【連載】「唄いろは」

鈴華ゆう子

第17回「歌手でいられる居場所に辿り着くまで (後編)〜音大卒業から和楽器バンドが生まれる寸前まで〜」

前回のコラムにて、歌手になるにはどうしたらいいですか?
との質問に対し、ひと昔前の時代にはなりますが、ご参考までに私の道のりをいち体験として話してみようかと思い、音大入学までを前編として紹介しました。
今回は、卒業後について触れたいと思います。

音大時代の就活

音大生は就活の時期にも、他の大学のように企業に何社もエントリーしているような動きをしている人がまわりにはほとんどいませんでした。
その空気感の中にいると、知らず知らずのうちに、就活をしないのが当たり前みたいな価値観すら生まれています。
特に私がいたピアノ科の風潮としては、大学院への進学や海外への留学を目指す子が多い印象です。
それまで、音大に入ることや、音大の中で上位に行くことを目標として努力してきた人たちが、急に社会にポンと出される瞬間が近づいていることに気づいたときには、もう大学4年生の卒業間際なんてことも、ありがちな気がします。

私は教えることは好きなので、なんとなく教員免許だけは絶対取っておきたいという思いがあり、中学と高校の音楽の免許は取得しました。
しかし、私自身も大学3年生で就活をしなければいけないなど考えたことすらなく、コンクールを受けることや、大学内の実技試験や、教育実習などで必死でした。

ある日、学生課の前の掲示板にふと目をやったときに、銀行のエントリー募集を見つけ、よくよくこれから先について急に思考したことを覚えています。

その日から毎日学生課の掲示板を見に行くようになりました。
さまざまな企業からの募集に加え、音楽教室や教員の募集なども掲載されていました。
教員採用試験の問題集を買ってみたりもしました。
大学院の課題曲を見たり、留学にはどのくらいお金がかかるのかをチェックしてみたり……。

「そうか、私はこれまで音楽一筋で生きてきたけど、これから社会に出る身としては一般企業に勤める道もあり得るのか……」
と我に返り、親に質問したことを覚えています。
「大学を卒業したらどういう道に行ってほしくて、音大を目指すことを薦めたの? これから先、銀行員になることが堅実かな?」
と。
大学に入った直後に父が突然死をし、これ以上親には迷惑をかけられないという思いもあり、音楽は趣味にし、一般企業に勤めて安定した生活をして母を支えたほうがいいのかなども考え、悩みに悩んだ末の質問でした。

そのときの母の答えは、
「パパは、ゆう子の音楽がとても好きだった。自分が死んだことによって、夢を諦めようとしているのだとしたら、そんなことは望んでいないよ。お金のことならどうにかなるから、自分が本当に進みたい道に進みなさい。お母さんは、手に職があれば、女性として子育てをしなければいけないときがきても、必ず力となり助けられると思ってピアノをやらせたのが、きっかけだよ。だから何になってほしいというのはない。自分がやりたいことをやればそれでいい。」
とのことでした。

そのときに、私はひとつの決心をしました。
音楽で生きてゆく、と。

>>次ページは「ピアノ講師、一般企業……働きながらも音楽活動に挑み続けた日々」

本コラムの執筆者

鈴華ゆう子

6月7日生まれ 茨城出身。3歳よりピアノ、5歳より詩吟と剣詩舞を学び、2011年12月、『日本コロムビア全国吟詠コンクール全国大会』優勝の経験もある、東京音楽大学ピアノ科卒業の音楽才女。

「伝統芸能を世界へ広げたい」という思いから和楽器バンドを結成。また一方で地元愛も強く持ち、いばらき大使・水戸大使を務める一面も。ロックに詩吟を融合させ、唯一無二の歌声で圧倒的な存在感を放つ、和楽器バンドの音楽を華やかに彩るスーパー・ヴォーカリスト。

現在、「和楽器バンド」のヴォーカル、和風ユニット「華風月」のヴォーカル&ピアノを担当。
ソロ活動としては、アニメの声優に挑戦するなど才能の幅を広げている。

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