【連載】「唄いろは」

鈴華ゆう子

第17回「歌手でいられる居場所に辿り着くまで (後編)〜音大卒業から和楽器バンドが生まれる寸前まで〜」

ピアノ講師、一般企業……働きながらも音楽活動に挑み続けた

そこからは、まずはピアノ講師をやりながら音楽活動をする道を探るため、音楽教室の募集のみを集中してチェックする日々。

とある音楽教室の募集を見て、家から近いことや、最初から40人くらいの生徒を持てるという条件があり、経験値にもなると思いそこを受けに行くと、なんと一発合格。これは本当にありがたかったです。
50人の中の1人で受かったことをあとで聞きましたが、笑顔が決め手とのことだったので、どんなときも笑顔を忘れずにというのは大切だと改めて思いました。

そこの教室では、3歳の子供から70歳の方まで幅広い年齢層の個人レッスンをしました。素人の方はもちろん、幼稚園の先生や、音大声楽科受験希望のピアノの指導など、「教える」という技術を磨くために一人ひとりレジュメを作り、演奏者とはまったく違うノウハウを学びました。

教室の収入だけでは生きていけなかったので、土日は教会式や披露宴のピアニストとして働ける事務所に登録をし、ブライダル演奏者をしました。
平日も、ピアノのレッスン後にフランス料理のお店でピアノを弾く仕事もしました。

さらに補えない生活費は、派遣登録して金融会社で午前中だけパートとして働きました。
この一般企業の中で働く経験は、いろんな生徒さんと関わったり、企業の方と音楽の売り込みをする際に必要だと思って始めたので、その後の人生にも非常に役立っています。
そして、この段階ではまだ歌はうたってません。

そして、あくまで演奏家であり続けるために、自身がリーダーとしてグループを作り、企業に売り込むマネージメントの仕事も始めました。

女性5人のヴァイオリン、オーボエ、フルート、ピアノのインストグループ。クラシックやポップスなど幅広く演奏しますということで企業のイベントや、パーティー演奏などをしながら自主制作のコンサートもやりました。
箱押さえから、グッズ制作や、チケット販売、CD制作や販売も自身で始めました。
それが波に乗り始めてから、オーディションを開催して、メンバーを増やしました。
サックス、クラリネット、チェロなど他の楽器のメンバーを増やし、活動の幅も広げました。
この頃から、私はヴォーカルもやるようになっていきます。

そんな中、世の中ではニコニコ動画が盛り上がり始めます。
弟から、
「得意の即興演奏で、生配信を始めてみたら?」と言われ、軽い気持ちで始めてみたところ、
1日で100人以上チャンネル登録してくれたことがあまりに嬉しく感動をしたのでした。
翌日にちょうど自身のグループのコンサートがあったので、その宣伝を配信でしたところ、
5人が実際にコンサートまで足を運んでくれました。

これまで、コンサートにお客様を集めることであんなに苦労したのに、ネットの世界では一瞬で100人の方々の前で自身のパフォーマンスが披露できるし、実際のリアルコンサートにまで会いにきてくださりファンが増える……。
私にとっては青天の霹靂でした。

そこからは、こまめに配信をするようになり、ファンがどんどん増え、ニコニコ動画内のイベントからもお声がかかるようになっていくのです。
その頃からさらに、私が歌だけをやる別のユニットも作り、ライブ活動も盛んになっていきました。
ネットとリアルの架け橋ができあがり、発想したものが形になることが楽しくて仕方ないという時期でした。

配信をしてる中で、実は詩吟もできるんだよねーというひとことから、詩吟をリクエストされることも増え、なかなか詩吟を聴ける機会がない人たちが喜んで聴きに来てくれるようにもなり、改めて本気でコンクールにも挑戦しようという気持ちが湧きました。

それまでも毎年出てはいたのですが、さらに練習に力を入れ、また自分の色に合っているコンクールにシフトすることにし、レコード会社が主催するものに出演した結果、見事全国大会で優勝し、その翌週に開催されたニコニコ動画の祭典でも、なぜか優勝してミスニコ生になり……。
そこからが私の人生が大きく変わっていくキッカケにもなりました。
そして、和楽器バンドに繋がっていくわけですが、今回も長くなってしまったので、この辺にしたいと思います。

チャレンジすることをやめてはいけない

音楽で生きていこうと決めた日から、とにかく発想して行動することを繰り返していた気がします。
どんなにそれが遠回りに感じても、音楽の道からは外れないように、必死にしがみついてきました。
自信がなくてもチャレンジすることをやめてはいけないと肝に銘じています。

やっと手に入れることができた、音楽で生きられる道。

すべて自分でやってきてキャパオーバーで苦労していた部分には、プロの力で助けてくれるスタッフの方々との出会いがあり、より良い環境に恵まれました。
私はこれからも、これらを大切に大切にしながら、精一杯歌で生きていこうと思います。

そこには、「その人の人生を応援したい」と思ってくださるファンの想いが大きな支えとしてあります。
私の歌を聴きたいといってくださり、そこに対価を支払ってくださるファンがいるからこそ、それでやっと歌手という職業として成り立つのですが、
技術以外に、どういう生き様をお見せし、どんな人柄であるかという面で、しっかり客観的に自分を見つめ続けることも、夢を提供する存在としてとても重要なのだと思っています。

格好悪いところも、弱いところも、それも含めて私自身なのだということを知っていただき、この時代に共に命があるからこそ、出会えたことに感謝しながら、ファンの皆様や、関わってくださるスタッフのみんなとワクワクドキドキなエネルギーの交換をしながら歩んでいくのが、私のスタイルです。

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本コラムの執筆者

鈴華ゆう子

6月7日生まれ 茨城出身。3歳よりピアノ、5歳より詩吟と剣詩舞を学び、2011年12月、『日本コロムビア全国吟詠コンクール全国大会』優勝の経験もある、東京音楽大学ピアノ科卒業の音楽才女。

「伝統芸能を世界へ広げたい」という思いから和楽器バンドを結成。また一方で地元愛も強く持ち、いばらき大使・水戸大使を務める一面も。ロックに詩吟を融合させ、唯一無二の歌声で圧倒的な存在感を放つ、和楽器バンドの音楽を華やかに彩るスーパー・ヴォーカリスト。

現在、「和楽器バンド」のヴォーカル、和風ユニット「華風月」のヴォーカル&ピアノを担当。
ソロ活動としては、アニメの声優に挑戦するなど才能の幅を広げている。

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