【連載】「理論・感覚・考え方も磨くヴォーカルトレーニング」

tOmozo

第2回「理論と感覚」の「考え方」

2024.02.14

考え方を進めます

 tOmozoです。連載第2回目のこの記事では、連載タイトルにもある「理論・感覚・考え方」のとある側面についてお話ししてみたいと思います。しばらくは「考え方」を進めていく予定です。たぶん長くなりますよ。そしていつになったらボイトレに入ることやら……(笑)。

歌の習得のムズかしさ

 音楽の中でも歌ってのは一番「感覚」を掴むのが難しい分野です。なんでかって答えは簡単「発声しているときの身体の様子を目で確認することがほとんどできないから」です。例えばピアノは手で弾くから、そのフォームは外から見ることができますよね。歌の場合は特に目に見えない部分が多く、頭の中で各器官の動きを想像したり、出てくる歌声で判断して調整しないとなりません。

 そして楽器の習得とは違い、歌は「音楽理論」を知らなくとも歌うことができてしまう代わりに、身体に関する理論「発声理論」を習得するのは一番難しいと言えます。ちゃんと理解しようとすればするほど医療用語のような難しい言葉ばっかり出てきますからね。_(:3 」∠)_

歌と理論、歌と感覚

 歌というものは、実は理論を使わずに感覚だけで成し遂げることができる唯一の音楽分野です。ギターやピアノは触るだけで、音名やコードネームなどの音楽の構造部分に必ず触れることになります。その反面、歌の場合は楽譜は読めなくても良いし、自分が今出している音名が何なのか知らなくても歌えてしまいます。自分が納得のいく歌声さえ出せていれば何も気にならないで気持ち良く歌える場合が多いのです。
 でも!……それをしても許されるのは、いわゆる「天才」だけです。何のテコ入れをしなくても音色も音程もリズムも表現も完璧ならば!感覚だけで歌ってもOKなのです。ということでほとんどの人が「どうすれば上手くなるのか?」という問いにぶつかるわけですけど、その「どうすれば?」に答えを探す思考そのものが「理論」の始まりとなります。
 歌の場合は「発声で裏返る失敗をした ⇒ 共鳴を減らす/呼気で馴染ませる」とか「暖かい声色を出したい ⇒ 鼻音を足す/呼気を暖める」とか「ここの音程が取れない ⇒ この音程の度数は3度で、4度寄りにズレているから下方修正をする」など、「この感覚のとき ⇒ 理論ではこういう状態」「この理論を使えば ⇒ この感覚になる」というふうに、理論と感覚をリンクさせる作業をしていきます。この作業の積み重ねが、失敗を減らして成功の確率を上げる「再現性」を鍛えてくれます。上手くなりたければ「どうすれば成功するのか/どういう条件なら失敗してしまうのか」を考え、その答えを理解して、感覚で実行する、この作業が必須です。言わずもがな理論と感覚、どちらも必要になります。そして、こうして理論武装をし、感覚を磨き上げて一流になった人は「秀才」と呼ばれることになります。

理論vs感覚?

 では理論と感覚、どちらも必要だけど、どちらが大事なのでしょうか?まず、理論と感覚は相反するものとして扱う場面があります。例えば歌われた歌に対して「理論的に整理され緻密に作り込まれた歌」とか「直感に優れていて表情変化に富んだ歌」という判断をする時などです。この場合は「どちらが大事?」という話ではなくて「赤なのか青なのか?」、「太陽なのか月なのか?」みたいな、あくまで「性格がどちら寄りなのか?」の話です。これと以下の場面での話はまた別になります。以下の2つの例を比べてみましょう。

⑴ 理論が感覚を助けてくれる話

 例えば「ド~ミ」は正式には「3度音程」と数えますが、今ここでは「3.0cm」と置き換えて考えましょう。「ド」に対して「ミ」をハモらせる練習の場面で、本人は正しい「ミ」を出しているつもりでも、実際には「2.7cm」と低くズレていた場合、正しいミの高さに矯正するには0.3cm上げる必要があります。この「本人のつもり」が「感覚」であり、「0.3cm」が「理論」です。

 この場面ではどちらが「正解」を持っているのかは一目瞭然です。錯覚や錯視という現象がありますが、人の感覚とは本当にいい加減なもので、感覚が細かく成長するまではこのような勘違いは普通に起こり得ます。この場合「理論は感覚を正しく導いてくれるもの」と思ってください。

 はい、理論は大事です、理論の勝ちー(笑)……でも!

⑵ 感覚が理論を飛び越えるとき

 でも、待ってください。第1回で「僕は背面からも側面からも語る」と言いましたね?(笑)。こういう場面ではどうでしょうか?……例えば歌詞が「悲しいよ~辛いよ~」だった場合。この「悲しい苦しい感情」を実直に表現するならば、実は音程は低めに歌ったほうが「悲しく辛そうに」それらしく聴こえる場合があります(※1)。雰囲気が出ていてこれに感動できる人がいるならば、結果として正しい音程より低くても問題ない、むしろそのほうが良い感じじゃない?という考え方です。
 「えー、音程ズレててもいいの?…」と感じると思いますが、「極論OK」です。例えばライブで歌唱中に、お客さんを煽るために歌詞の部分を「歌わずに叫ぶ」演出があるじゃないですか?……勘の良い人はこの話で分かりましたね?(ΦωΦ)フフフ……

(※1)「場合がある」と言うのには小難しい理由があるので小窓書きにしますが、これは聴き手が持っている、ある特性に関係します。それは聴き手が「文系脳」なのか「理系脳」なのか?です。これについても次回触れたいと思います。「感じ方は人それぞれ」になる理由のひとつになります。

 今日はここまでにしましょう。次回、連載の第3回は以下のトピックに触れながら「感覚は理論を飛び越えた存在になる」ことについて詳しく説明していきます。

次回のトピック

・「低めの音程」を図解で3つ紹介。
・「文系脳/理系脳」?
・「音程ズラし」は「歌い方の工夫」
・「歌い方の工夫」こそ「表現」
・「発声センス」より「音楽センス」
・「感覚は理論を飛び越える」

第2回の要点・結論

・歌は感覚だけでも歌えないことはない。
・「天才」でなければ「秀才」を目指そう。
・天才以外には理論と感覚、どちらも必要。
・「理論と感覚のリンク」が再現性を上げる。
・「いい加減な感覚」は「理論」が矯正してくれる。
・「感覚が理論を飛び越える?」結論は次回。

次回予告

・第3回「感覚は理論を飛び越える」を予定。

本コラムの執筆者

tOmozo

岩手県田野畑村出身。独学で中学1年の時にピアノ演奏、高校時代から作曲を始める。北海道教育大学大学院音楽教育専修修了。在学時から札幌の自宅で音楽教室を開く。2016年より岩手県盛岡市にてNoteOn音楽指導部を立ち上げ、ヴォイストレーニングだけでなく、ピアノ、作曲などのレッスンを行なっており、各SNSでは演奏やレッスンのコンテンツを投稿している。芸能プロダクションでのトレーナー経験があるだけでなく、作曲、編曲の仕事もしており、TV番組やCMソングなども担当。

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