【ヴォイストレーナーインタビュー】本山nackeyナオト(SMDボーカル教室 西川口校/埼玉)

取材・文:藤井 徹 撮影:ヨシダホヅミ

Vocal Magazine Webでは、全国各地の優秀なヴォイストレーナーさんを講師に迎え、2022年より「歌スク」というオンラインレッスンのサービスを展開してきました。残念ながら「歌スク」のレッスンサービスは2024年3月で終了となりますが、これまで同様にVocal Magazine Web誌上で歌や発声のノウハウを教えていただける先生として、さまざまな形でご協力いただく予定です。

読者の皆さんの中にも「歌を習いたい」、「声を良くしたい」とスクールを探している方は多いと思います。その際に、ぜひ「歌スク」の先生の素晴らしさを知っていただきたいと思い、各先生のインタビューやプロフィールを掲載させていただきます。読むだけでも役に立ちますし、トレーナー選びの参考にもお役立てください。

今回登場いただくのは、30年以上のキャリアを誇り、多くのロック・ヴォーカリストを育ててきた、本山nackeyナオト先生です。

講師プロフィール

本山nackeyナオト

SMDボーカル教室 西川口校

ハイトーン必須のロック・ヴォーカルならお任せ! ヴォイストレーナー歴35年の豊富な経験で、あなたの魅力を引き出す!!

埼玉県出身。愛称はナッキー先生。中学時代からハードロック・バンドを結成して活動。その後、メジャーレーベルでガイドヴォーカルを務めつつ、渋谷LA MAMAのブッキングマネージャーとしてTHE YELLOW MONKEYらをメジャーシーンに送り出す。1989年、埼玉県川口市にスタジオモンキーダンスを設立。のちにSMDボーカル教室を開校。豊富な経験に裏打ちされた“アーティストの魅力を引き出す”レッスンに定評がある。『Vocal Magazine Web』では、集中連載『ロック・ヴォーカリスト“THE BIBLE”』を執筆した(全6回)。

ジャンルJ-POP、ロック、R&B、ジャズ、アニソン、ボカロ、フォーク、演歌、洋楽、アイドル、ラップ/ヒップホップ、K-POP、民謡、歌謡曲
好きなアーティストONE OK ROCK、Official髭男dism、UVERworld、Mrs. GREEN APPLE、デヴィッド・リー・ロス、レッド・ウォーリアーズ、アンセム、ラウドネス、X JAPAN、陰陽座
趣味アメ車、ハーレー乗り、自己投資

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講師からのメッセージ

夢を持つ人が大好きです。その夢を叶えるための力になれたら本当に嬉しいです。
楽しくそして熱くみなさんと一緒に、頑張っていけたら最高です。
確実に実力をつけるレッスンを心がけています。
また、プロ志望ではなくても歌や声にコンプレックスがある方も、しっかりとサポートさせていただきますので、ご安心ください。
一緒に頑張りましょう。そしてあなたの夢を応援します。
お会いできるのを楽しみにお待ちしております。

SMDボーカル教室 西川口校

■スクール名    
SMDボーカル教室 西川口校

■所在地 
所在地:埼玉県川口市西川口1-33-9 博宝堂ビル2F スタジオモンキーダンス内 
TEL:048-256-2839 
講師:本山nackeyナオト/紫音/高橋IBUKI愛理/うみ。

■ホームページ    
http://smdvocal.com/

■ブログ   
『ロック・ヴォーカリスト“THE BIBLE”』/『Vocal Magazine Web』にて連載中 
https://vocalmagazine.jp/technique/vocal-method/220410_band_vocal_vol1/  

■SNS   
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\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/


講師インタビュー

当時ヘヴィメタルのトレーナーなんていなかったですから。

──音楽と歌を始めたきっかけは?

本山 小学校5年生のときにTV番組の『おはようこどもショー』に出たんです。TVに出て歌ってバーッとウケて。それがきっかけと言えば、きっかけですよね。もともと目立ちたがり屋で沢田研二の歌を歌ったりしていたので。そのときは全国大会で準優勝だったんですね。審査員で唯一NGを出したのが谷啓さんだったんで、谷啓さんは未だに好きじゃないです(笑)。

──バンドはいつから組んだんですか?

本山 中学2年からやってました。当時、私の友達に紅麗威甦という横浜銀蝿の弟分バンドのギタリストがいまして。不良仲間で一緒に遊んでたりしていたんですが、そいつがギターやってるから、じゃあ僕はベースをやろうかなと。バンドの入口はベースでしたね。

──何のコピーバンドでした?

本山 私たちの世代はディープ・パープルですね。日本のバンドではBOWWOWとか。けっこうマニアックなんですけど「Silver Lightning」とかやりました。私たちの頃って楽器やるやつが珍しかったから、最初は楽器に憧れたんですよ。逆に歌えるやつはいっぱいいました。だから「何となく歌えるやつ」に歌わせてましたね。でも、高校生になる頃には、自分は完全にヴォーカリストになってましたけど。

──高校生で歌っていたのもハードロック?

本山 ハードロックの流れですね。子供ばんどがヒットしていた時代です。あとはもう本当に我々の世代なんですけど、LOUDNESS、EARTHSHAKER、44マグナムっていう、いわゆるジャパメタですよね。まさかのちにANTHEMの人と一緒に仕事することになるとは……と思いましたけど(注:ヴォーカルのさかもとえいぞう氏が、のちに本山のスクールで指導する)。

──そういったバンドですと、ハイトーンが必須ですね。

本山 ジャパニーズメタルはウルトラハイトーンですから、周りの高校生で発声できる人は、ほぼいないじゃないですか。発声できるだけで「おお〜」ってなるんですよね。だから当時はヴォーカリストとしてけっこうモテまして、バンドは掛け持ちで20個くらいやってましたもん。毎日何かのリハをやっている感じでした。

──そのとき、ヴォイストレーニングをしていたんですか?

本山 ものすごくいい質問ですね(笑)。そこは自己流です。だって当時ヘヴィメタルのヴォーカルのトレーナーなんていなかったですから。それで18歳くらいのとき、教えてくれる先生を探しまくったんです。その頃のヴォイストレーナーはプロしか教えてない人ばかりなので、ギャラが異様に高かったのを覚えてます。30年前で1時間1万6000円とかですよ。しかもヘヴィメタルなんて言葉も知らないような先生ですから「そんな声出すな!」とか言われましたよね(笑)。

受かるまでやる、これがオーディションの秘訣です。

──その後の音楽活動は?

本山 ライブハウスに出て活動し『ロッキンf』みたいな雑誌の誌面にも出たんですが、バンドでメジャーデビューはできませんでした。ただ、歌のほうでたまたまソニーと契約できて、カラオケなどのガイドヴォーカル、いわゆる仮歌の仕事がメインにしていました。その後、SD制作部という新人発掘の部門に2年ほどお世話になるんです。今のプロデューサーはビックリすると思うんですけど、当時の応募音源はカセットテープなんですよ。朝、自分のデスクに行くとカセットが山積みになってる。「うへぇ、これ1日で聴くのか」って感じですよね。十何時間かけて聴き終わるんですが、次の日に行くとまた山積みです(笑)。当時はバンドも流行っていたから応募も多かった。それこそ何万通と来てましたね。

──試聴した中で、のちに有名になった人のテープはありましたか?

本山 いますよ。今や日本を代表する女性シンガーです。彼女は高校生ぐらいから何度も応募してて……。そうなんですよ、しつこく応募することも大事なんです。受かるまでやる、これがオーディションの秘訣です、本当に。そういう人は落としたとしても覚えてるんですよ。「この子また来たじゃん、ガッツあるな」って、やっぱり思うじゃないですか。で、次第にうまくなってたりすると何か嬉しくなるし、育て甲斐があるなって感じたりするんですよね。

──逆に、そこで落として、よそから出てブレイクした人は?

本山 もう鬼のようにいます。それがあったからソニーをクビになるんですよね(笑)。あと音楽業界の入り口としては、ソニーの前にライブハウスのLA MAMAにいてブッキングマネージャーをやっていました。そのときはMr.Children、スピッツ、THE YELLOW MONKEYとかも出てました。自分もプレイヤーとしてやってたし、ブッキングもやってたんで、「今度こういうイベントをやろうか」とか話してましたね。

──就活はしました?

本山 してないですね。バンドで食っていこうと思ってました。仮歌でけっこうギャラをもらえてたし。

──SMDボーカル教室は、いつからスタートされたのですか?

本山 けっこう時期がかぶっていて、大学を出て次の年にはもう今の物件を借りてました。だから22歳とか23歳とかです。ヴォーカル教室としてではなく、リハーサルスタジオが先ですね。自分は音楽で食っていくと決めてたんですが、一番困ったのがスタジオなんですよ。今よりスタジオも少なかったし、なかなか空いてなかった。リハするところに困っていたから、「それなら自分で持ってればいいじゃん」って。バンドブームだったし、自分もアーティストで知り合いもいっぱいいたから最初は儲かりましたよ。2部屋のスタジオが目一杯に入ってました。そうしてスタジオのオーナーをやりながら、LA MAMAもやってたし、仮歌もアーティスト活動も……ここは時期がかぶってたと思います。

──ものすごいバイタリティ……。

本山 これは本当に皆さんへ伝えたいんですけど、スタジオを作るのに、やっぱり2,000万ぐらいかかるんです。それをやった勇気っていうか、資金を借りた勇気というか(笑)。22の時に2,000万円の借金を抱えた勇気を、若い皆さんに伝えたいですね。

──確実に返せるという打算があったわけはなく?

本山 打算というか……貸してくれるというから借りた、みたいな感じです(笑)。まあ時代も良かったですよね。ここを建てたのが1989年なんでバブルの真っ最中でしたから。でも銀行もよく貸しましたよね……だって、無職のロックンローラーに2,000万ですよ(笑)。

──(笑)。スクール事業ということでは、どういう動きだったのですか?

本山 裏方に回ったときに、明らかに自分よりヘタクソな連中がデビューできたりするのを見てると、ブッキングするにしてもレコーディングに立ち会うにしても、いろいろ言いたくなったりするじゃないですか(笑)。「ここのところ、もう少しこういう風に歌いな」って。それで手本を見せると「教えてください」って言われて。そういう形から教えるということは始まりました。

──最初は個人的なレッスンだったわけですね。

本山 そう。「自分が持ってるもの、知ってることは教えられるよ」って。そこからもう30年ですよね(笑)。ヴォーカル教室としてオープンしたのは、いつか定かじゃないんですよ。バンドブームが終わり、スタジオに人が来なくなった。どちらかと言ったら、もう(スクールを)やんなきゃしょうがない、方向転換しないとちょっとまずいなという感じで始めました。それが20年前くらいですかね。

──とは言え、20年……。生徒さんは延べでどれくらいになりましたか?

本山 延べだともう万単位でしょうね。レコーディングだけ立ち会うとかアドバイスするだけとかの人も入れたら、もう数え切れないです(笑)。

──教えるということに関して勉強したことは?

本山 基本的には独学です。ただ、教え始めた頃から今も続いてるのは、世の中に出ているヴォーカル教則の情報をまず全部求めます。当時は本やCDしかなかったんですけど、いろんな有名な先生の本を読んで自分なりに噛んで含んで、それをリピートしての繰り返しですよね。その中で「この先生はこう言うけど、僕はこういう感じのほうが教えやすいな」とかアレンジを加えながら、いろんなメソッドをちょっとずつ変えていった感じです。今も常に勉強してますよ。それはやったほうが良いと思います、プロですから。時代の流れは早いし、音楽なんか特にね。

──ミックスヴォイスなんてレッスンは当時はなかったですよね。

本山 なかった、なかった。もしかしたらミックスヴォイスって言い出したの、私が最初かな?くらいに思ってますよ。

──ヴォーカルのテクニックは、時代を経てだいぶ変わった感じがしますか? 

本山 そんなに大きなテクニックの変化はないですね、流行りは変わってますけど。私が現役の頃にはなかったデスヴォイスとかを歌うバンドが出てきたり、グロウルとかフライスクリームとかのテクニックも出てきました。その辺は新しい情報を得て勉強しないと、生徒さんの要望がありますんで。ちなみに自分はデスヴォイスをやるのは苦手なんですけど、いろんなアーティストも聴いてかなり勉強しましたよ。いっぱい生徒さんを教えてるんで、生徒さんから情報をもらえるんです。それで「こんな感じなのね」って。何しろ、ここで仮歌の仕事をした経験が役立つんですよ。アーティストの真似をすることに長けているんで、「こんな感じ?」とか、喉の使い方を真似してみたりします。

私は「人を輝かせるのが好き」なんですよ。

──指導の基本姿勢とか方針、一番大事にしていることは?

本山 いつも本気で思ってるんですけど、私は「人を輝かせるのが好き」なんですよ。実は歌のうまさなんかより、もっともっと大事なものってあるじゃないですか。それって全員世の中の人は持っているんですよ。もともとウチに習いに来るような子たちは、すでに「ダイヤモンドの原石」なんですよね。そして私の仕事は、そのダイヤモンドに磨きをかけてあげるだけなんですよ。だから「主役は必ず生徒さん」なんですね。これが一番伝えたいことです。私はアーティスト出身で裏方もやってたんで、両方の気持ちが本当にわかる。どっちも偉いんですけど、やっぱりアーティストを目立たせるほうが自分にとっての適性だったんですね。だから、自分の職業はやっぱり「トレーナー」ですよね。よく「先生」って言ってくれる人が多いんですけど、私としてはトレーナーって意識が大きいです。「一緒に登っていこう」っていうほうが感覚的に好きですね。

──得意なジャンルはやはりロックですか?

本山 あえてジャンルで言えばロックなんですけど、それよりも他のスクールにないところは、やっぱりアーティストの魅力を引き出すところじゃないですかね。歌のうまさじゃないんですよ、プロって。技術を教えることはできても、プロになるためには、「どういう努力をしたらいいか」、「どういう戦法を打ったらいいか」とか、それこそ「どんな本を読んだらいいか」までレッスンで教えてますよ。

──こちらに通われている生徒さんの年齢、性別はどのあたりが多いですか?

本山 これは千差万別ですね。基本的にはプロ志望の子だと自分がノレるんで、そういった意味では教えやすいんですけど、「プロを育てます」ってやっていると、普通に趣味でやる人も来るんですよね、これは不思議と。だからやっぱりレベルを高いところに合わせるのが一番いいのかなって思います。

──とはいえ、埼玉県の高校の軽音楽部の大会の審査をやっていたりと、地元密着という部分も大事にされていますよね。

本山 そうですね。さっきも演歌を歌いたいというご夫婦が体験レッスンに来ていただきましたし、もちろん趣味で楽しむ方も大事にしています。「こういうやり方をするとカラオケの得点が上がりますよ」とか、「こういう歌い方すると女の子にモテますよ」みたいな(笑)。そんな面白みを含めてやってたりします。

──レッスンでは、どんな人に来てもらえると嬉しいですか?

本山 どんな人でも本当に来てほしいんですけど……「どこに行ってもうまくなんない」とか、「どこへ行っても結果が出せなかった」とか、「歌はうまくなったけど、結局音楽で食っていけない」とか、そんな人には力強いアドバイスができるし、かなり有意義なことを教えられることと思います。

──「プロになりたいけど、自分には才能がないんじゃないか」と思っている生徒さんがいたら、どんな言葉をかけますか?

本山 プロになるっていうのは才能じゃなくて、どこまでもやり続けることができるくらい「歌や音楽が好きかどうか」なんですよ。才能じゃないですよ。好きだからやっぱりその道にみんな行くんで、「誰にも負けない好きさ」が大切ですかね。そういう人にはやっぱり運が回ってきます。ロックの神様はロックが好きでないと好きになってくれないので。強烈に思うのは、みんな運は持ってるんです。だけど本当に運のある人って、ちゃんとチャンスを逃がさないんですよ。チャンスが来たときのため、ちゃんと準備してるんですね。だから「ここがチャンスだ!」というときに良い作品が出せたりする。つまり運がいい人は結局「準備ができてる人」です。

──これはとても大事なことですね。

本山 実は、ひとつ話しておきたいことがあって……。ちょっと音楽とは外れちゃうんですけど、私は30代でバリバリに身体が動くときにがんを患ったんです。マジでステージ4でした。自分が知らないところで家族が集められ、「ご主人、あと半年ぐらいです。準備をしてください」って言われたそうです。子供はまだ小さくて、この教室しかやってなくて。スタジオの売り上げが下降してきてヴォイストレーナーを始めた頃だったんです。本当に目の前が真っ暗でした。そのときに、どうやってがんを克服できたかっていうと、やっぱりマインドなんですよ。マインドの強さっていうのは、やっぱりプロを目指す人にとって大事だと思うので、ちょっと皆さんにお伝えしたいところですね。


\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/


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