取材・文:舟見 佳子
1本目のテイクっていうのは白紙の中に歌を歌うことなんですよ。
──ヴォーカルアプローチについてですが、個人的には「祈りの空」のヴォーカルはすごく“近い”感じがして刺さる歌でした。
森友 あぁ、違いを嗅ぎ分けてますね。実はあれ、仮歌なんですよ。
──えっ、仮歌って?
森友 「祈りの空」は、アレンジですごく煮詰まった曲で、最後の最後にピアノとオルガンだけで行きたいって決まって、それも“小島(良喜)さんにお願いしたい”と。コジヤン(=小島)とはもう関係性が深いし、やってほしいことも伝えてあったんですよ。彼の『KOJIMA SOLO PIANO/ANTOLOGY』っていうアルバムに「TRUTH IN MY EYES」っていう曲があって、その曲のエネルギーがすごくイメージに近かったので、“その感じをよみがえらせて、コード進行はこれで、テンポはいくつで、歌詞はこれね”って伝えて。最初にピアノを録ったんだけど、「ガイド(ヴォーカル)要る?」って訊いたら「なくていいかな」って。ピアノソロみたいな感じで弾いてくれて、「ワンテイクOK、バッチリ!」みたいな感じだったわけ。
で、ちょっと休憩はさんで「オルガン録りましょう」ってときに、また「歌はガイドあったほうがいい?」って訊いたら、彼が「あるほうがいいね」って。そこにガイドヴォーカルを録るマイクが立ててあったから、「とりあえずツルッと歌うわ、(レコーダー)回して」って、パラッと1本歌ったんです。どう歌おうとか全然考えてなくて、いつも2人でライブセッションしてる感覚? 向こうにコジヤンが立ってこっちを見てて、僕もコジヤンを見ながら、さっき録ったばかりのピアノの音を聴きつつ軽~く歌った。で、その後のオルガンもワンテイクでOK。結局これ3回しかマルチ(レコーダー)回ってないんです。歌は仮歌ですしね。自分のスタジオに気に入っているマイクがあるので、オケを持ち帰って録り直そうと思っていたんです。で、実際やってるんです、何回も。でも……超えられない(笑)。
──具体的には何が超えられない?
森友 強くなっちゃう。これ、レコーディングの話でよく言われると思うけど、歌はファーストテイクに良いのが多いんですよ。書道に似ていて、真っ白な半紙に筆を持って文字を書くときに、筆を置いたところから、そのバランスを自分でとりながら書いていくんです。でも、(半紙に)お手本が書いてあると何かおかしなことになっちゃう。お手本があることで流れが壊れる。1本目のテイクっていうのは白紙の中に歌を歌うことなんです。でも2本目は“1本見えちゃってる”。1本歌ったあとに感じるでしょ? あそこをもうちょっとこうしたいとか。
──はい。
森友 シンガーとして、“良い歌”を残したいと思う。“良い歌”ってのは、もしかしたら“うまい歌”。「うまいですね」って言われる立派なものを残したいんですよ、どこかで。でも、それは作品としては力がない。録った歌を聴くときにはもう、そうやって純粋じゃないものが混ざってる。歌い手が持ってる……“邪(念)”ですよね。それが生まれるのは仕方ないんだけど、1本目だけそれがないわけ。筆で書き始めてからずっと流れていくだけのもの。でも1本歌ってしまうと、“あそこをもっとこうしたい、ここをもっとこうしたい”という……。
──欲が出てくるんですね。
森友 2本目からはそれが出ちゃうんですよ。イメージが浮かんじゃうの。「祈りの空」も、あの仮歌があって……気に入ってましたよ。いい感じだなと思ってたけど、聴くとやっぱり“もうちょっとこうだったら……”って浮かぶわけです。その思いが全部足し算されたうえに、気に入ったマイクの前で歌って残るわけでしょ? 何本歌ってもトゥーマッチ。歌ってるときはそう思わないけど、歌ってる瞬間は「今の良かったかも」とか思うわけで。
僕は録ったものは必ず1日置くので、次の日に聴くと、すーっと入ってこない。なんかうざい。押し付けがましいというか……。“いらない”って言ってるのに、“いや、そう言わずにお前これ食べてみろよ”って言われてる感じがするわけ。で、何回か挑戦したんだけど、それがやっぱり拭えなくて。もう1回仮歌をちゃんと聴いてみようかなと最初のテイクを裸でもらって、ミックスも自分でやり直して聴いたときに……“これがいいじゃん”と。“これで”じゃなくて“これが”いいじゃんと。これは超えられないなと思った。
──ちなみに、何テイクか録った場合、森友さんのOKテイクの決め手は?
森友 90年代は3テイクぐらいでしたね。その中で、“これ!”っていうのを1本決める。リスナーにはわからなくても、どうしても気になるところってあるじゃないですか。そこはもう2本歌った中からデータを移すぐらいで、パンチインもあまりしなかった。歌ってるときに自分でわかるんですよ、“今の(がOK)!”って。だから、“変わらないでくれ”と思いながら歌うときもある。特にスローな曲は入り口が少し変わったり、ちょっと違う気持ちが入ってきたら大きくずれていく。集中力みたいなものがあって、ガッと最初に入った線のまま、“最後までずっと行ってくれ!”と思いながら歌ってる。ただ、それすら思わないで歌い切るときは一番いい。それぐらい入り込むときもある。この「祈りの空」の歌はそのときですよ。うまく歌おうともなんとも思ってなくて、曲の世界にポンと入って最後までただ歌い切っただけ。
──ピュアな歌ってことですね。
森友 でも、そうやって歌い切ることって一番難しい。“今良かったな”とか、“今ちょっとやっちゃった”とか、どうしても浮かぶんですよ。ヘッドホンから聴こえてくるから、自分が出したものに、自分がまた反応しちゃう。陶酔してダーッて歌い切れたら一番いいと思う。音程がどうとか細かい部分じゃなくて……音になるところ以外の何かがあるんだと思う。
──何かって?
森友 それがわからないんです。だって息ひとつで変わるから。僕らが使うレコーディング用のコンデンサーマイクって、1本目、2本目、3本目とやって、同じ気持ちで歌ったって絶対同じにならない、特にこういう曲は。何かをちょっと変えたら大きく違う歌になる。それぐらい繊細なものも全部キャッチするから。イントロが終わって歌の始まりがどこから入るかっていうのがとっても大きい。その入り口がいっぱいあるんだけど、自然にフッと入れたら一番いい流れになるね。
その先、ワンコーラス終わったあたりで、“今いい感じで歌えてるな”と浮かぶこともあるんだけど、そういうときは“思うな、思うな”って考えを消す(笑)。自分の歌に意識を引っ張られたくない。引っ張られた瞬間に影響されて、ほぼほぼ壊れる。良くしようと思って良くなることはない。歌おうと思ったらダメなんです。
──深いですね。もはや哲学的です。
森友 アップテンポの曲はそこまでわからないと思います。オケもうるさいし、そんなデリケートなところは全部かき消されるから。それよりもパッションだったりアタックだったり勢い、そういうものが結果的には大きなエネルギーになる。届くものとしてね。でも「祈りの空」みたいなものはピアニシモのほうが大きい。息とか、歌わない間(マ)とか、声の出る瞬間のかすれとかのほうが届く影響力が大きいから。だけど、“歌おう”と頭で考えたら、その瞬間に全部消えていっちゃう。
歌おうと思わなくて歌うって難しいわけ。自分の意識で何とかできないから。だから、フッと始める。そのために、自分のスタジオでは、歌入れのセッティングは常に固定で決めてあって、パパッてスイッチ入れるとすぐレコーディングできるようにしてある。“今、歌いたい!”っていう気持ちになったときに、ポンと歌うだけ。テストもしない。そんなことやってるうちに、もう気持ちが変わっちゃうからね。その“今”を逃がさないこと。
──それは理想ですよね。
森友 だからみんな自分のスタジオを持ちたいんじゃない? 今歌いたいのに、(スタジオ押さえると)早くても明日とか明後日になるでしょ。今、歌いたいと思ったら機材のスイッチを3個入れてMac開いたらもうできちゃう。5分あったらもう歌が歌える。
──森友さんのスタジオって、どんな設備なんですか?
森友 レコーディングできます、完全に。そんなに広くないですけどね、僕しか使わないから。僕はヴォーカルしか録らないけど、録ろうと思えば……ドラムはちょっと厳しいけどいろいろ録れますね、部屋自体がひとつの完全防音されたブースなので。歌は基本的にそこで全部やります。
──ディレクションも入れない?
森友 ディレクターもレコーディングエンジニアも入れない。僕しかいない。歌入れは1人でやってます。今回のアルバムの中で、唯一僕のスタジオじゃないところで録ったのは「祈りの空」だけです。
──今メインで使ってるマイクは?
森友 ノイマンU47のチューブ(真空管)ですね。コンプレッサーの修理に行ったお店でU47が見えて、状態を訊いたら「めちゃくちゃ良い」と。僕は玉置浩二さんの歌、特にあの息の感じがすごく好きなんです。レコードの中にその息づかいが全部入るじゃないですか。何かの映像で玉置さんのスタジオにU47チューブが置かれているのを観てからすごく興味があって。「やっぱり違うの?」って訊いたら「全然違いますよ」って。そこのブースで試しに録ってみたんだけど、いつも自分が使ってるマイクとどう違うのかは、同じ環境で比べてみないと全然わからなかった。けっこう高額なので、お願いして自分のスタジオで試してみたんです。自分のとU47のマイクを立てて、両方で歌を録って聴き比べたんですけど、良いとか悪いとかじゃなくて、録れるところが違いましたね。びっくりして即購入して以降は、そのU47をメインに使っています。