【インタビュー】高橋 優 9thアルバム『HAPPY』をリリース。さまざまな形で届けられる「幸せ」をテーマにした楽曲について語る。

2025.01.24

取材・文:藤井 徹

“リアルタイムシンガーソングライター”高橋 優が、9枚目のオリジナルアルバム『HAPPY』を1月22日にリリースした。

さまざまな形で「幸せ」をテーマにした本作には、ドラマやアニメの主題歌(「spotlight」、「雪月風花」)、ニュースや情報番組のテーマソング(「キセキ」、「現下の喝采」、「オープンワールド」)、地元・秋田の大型観光キャンペーンソング(「BRAVE TRAIN」)、あきたこまち40周年記念CMソング(「リアルタイムシンガーソングライター」)などのタイアップ曲が収録されている。

さらに「明日から戦争が始まるみたいだ」、全編秋田弁で強いメッセージが届けられる「WINDING MIND」といった、高橋ならではの視点で切り取られる骨太な曲や、「はなうた-pray for Akita-」や「かくれんぼ」のような死を見つめる美しい楽曲もあり、デビュー15周年を飾るにふさわしい大作となっている。

まずは『HAPPY』制作に至る前、自身初となる47都道府県弾き語りツアーの話からスタートしていこう。

「常に歌と共にある」みたいな気持ちにさせてもらえるツアーだった

──2023年12月から2024年7月まで、自身初の47都道府県を弾き語りで回るツアーを行ないました。全国を回ったことで改めて自身にフィードバックしたことはありましたか?

高橋 僕、元々が路上シンガーで、札幌すすきのの、狸小路で毎週土曜日に歌っていたんです。誰にやれと言われたわけじゃなく自分で決めたから、当時は土曜日に合わせて喉を作ったり、新曲を書いていったりしていて、その時の気持ちを思い出しました。というのは47都道府県全国ツアーでは、だいたい金土日に地方でライブをやらせてもらって、月曜日に東京へ戻ってくる日々で、そのルーティンワークがすごく良くて。一定の緊張感もずっとあるし、だらけてしまわなくて済む。日にちが開くとステージに立つ感覚、空気感がすぐ離れていっちゃうんですよね。それがすごく根付きました。

 完全にオフっているときの自分なんてのは、めっちゃ眠いとか、めっちゃ酔っ払ってるとか、人にお見せできないものってあるんですけど、それがツアーの半年間ほとんどなかったんですよ。ある一定の緊張感と喉の調子とかを見ながら過ごしていて、大変だったかと聞かれれば大変です。2024年2月には初めて声帯炎にもなったし。でもツアーを飛ばすことなくやれたことはすごく自信になったし、ギター1本でホールを回れたことも自分の中で幸せなことだなと思ったし。だから7月でツアーは終わったんですけど、終わってからも週1ぐらいでスタジオに入って、弾き語りツアーをやっているかのようなテンション感を自分の中で作ったりしました。ちょっと前までは、あまりそういう感覚ではやってなくて、「本番に向けてウォーー!」みたいな感じだったんですよ。それが「常に歌と共にある」みたいな気持ちにさせてもらえるツアーだったので、すごく良かったです。

──ツアーが終わってから制作モードにうまく移行できたところが想像できますね。

高橋 そうですね。あとは“HAPPY”っていうテーマが見え始めたのもこの頃です。アルバムのオフィシャルコメントで「自分以外の人の幸せを考えられるようになってきた」みたいに話したんですけど、それは何ゆえかと言ったら、弾き語りツアーでは基本的に前日入りして、その地方のトピックをひとつ味わうっていうことをしていたからです。例えば地元の遊園地に行くでもいいし、ご当地のグルメを食べるでもいいので、とにかく何かやるんですよ。それをライブの時にポロっと話したり、買ってきたお土産をお客さんに見せたり、そういったことをほぼ全箇所でやったんですね。

 それってまあ「歌い手って自由で幸せでいいね」と見えるかもしれないけど、本人はけっこう大変だったりするんです。やりたい気持ちはあるけど、ライブだけに集中したい部分もあるので。でもそれをすることでライブがもっと良くなるかもしれない。「高橋、あそこに行ったんだ、じゃあもう一回行ってみるか」となったり、「行ったことないけど食いに行ってみるか」とかってなることで、何にも期待してなかったものに食いついてもらえたり、ワクワクしたりとか、次の曲の聴こえ方が変わったりとかするって、幸せの共有だと思うんですよね。

──そうですね。

高橋 だから(自分自身も)行きたいけど、ただ100%遊びで行っているかと言われれば、もしかしたら「(そこに)行ったら誰かに喜んでもらえるかもしれない」って意識はずっとあったんですよ。その意識が、ちょっと大げさに言えば誰かの幸せを意識している瞬間かもしれないというか、誕生日プレゼントを選んでいるときの気持ちにちょっと似ていて。47都道府県ツアーあたりからどんどんその意識が強くなりましたね。そういう意味でも回って良かったなと思いました。

──アルバム収録曲情報番組系のテーマソングが多いですよね。「キセキ」がTBS系列『news23』は夜のニュースでエンディングテーマ。「現下の喝采」が、日本テレビ系の朝の情報番組『Oha!4 NEWS LIVE』で、「オープンワールド」は秋田朝日放送『サタナビっ!』です。こういった情報番組で高橋優の歌が求められているということに対して、俯瞰で見て思うことはありますか?

高橋 たぶん「虹」の『熱闘甲子園』とか、「PRIDE」という曲が野球のアニメ『セカンドメジャー』の主題歌になったりとか、そっち方面の「励まされました」みたいなことが理由としてあったような気がします。高橋優でやろうと言ってくれたスタッフがいるんですよ、各現場に。すごくありがたいことですけど、その人たちが言ってたのは、「スポーツに当てられた曲を聴いて元気をもらえた」とかっていう話だった気がしますね。「あ、そうなんだ」って思って嬉しかったです。

──高橋さんの曲を聴いてきた年代のスタッフが、制作の現場の方々に増えてきているんでしょうね。

高橋 ありがたいですよね。「次、(テーマ)誰でやる?」ってなったときに、「高橋優がいいです」って手を挙げてくれた若い方がいるわけですから。今回いただいたタイアップには、そういうケースが多かったんですよね。例えば「オープンワールド」もそうですし、秋田案件は基本そんな感じですね。

──先の「オープンワールド」もそうですし、「BRAVE TRAIN」は、秋田県冬の大型観光キャンペーン『誰と行く? 冬の秋田』テーマソング、「リアルタイムシンガーソングライター」は、『あきたこまち40周年記念』CMソング。さらに通常盤に収録された「はなたうた -pray for Akita-」と、秋田弁で歌われる「WINDING MIND」まで含めると、秋田に関わる曲の比率が高くなっています。フェスの準備なども含めると、年間どのくらい地元にいるイメージですか?

高橋 どれくらいだろう。1年のうち3〜4週間は秋田にいるかもしれないですね。正月も帰りますし、お盆もできるだけ帰っているから。まとめたら1ヵ月弱になるのかなあ。それぐらいは帰っている感じがします。

──それは以前に比べて増えたのですか?

高橋 『秋田 CARAVAN MUSIC FES』を始めてからは変わらないですね。フェスのことでちょっと帰ったり。あとは、それらと全然関係なくても、なんかちょっと父親と話すために帰ったりすることもあるし。秋田好きですよ、今でもすごく。故郷としての秋田っていうのは、以前よりはあまり思わなくなったけど。

──秋田という「場所」が、より好きになった?

高橋 うん。故郷の秋田に変わりはないんですけどね。どちらかというと今はアプローチしに行くというか、次に秋田へ行ったら「何をみんなに届けようか」とか、「誰に会ってなんて言えるだろうか」みたいなことを帰りの新幹線の中で考えたりするので。ただ息抜きに帰るという場所ではなくなったのかなって思うところもありますけど、大好きなことに変わりないし。おっしゃられたみたいにアルバムの中の随所にちょっと秋田っぽさが入っているというのは、まさにそこに「自分」が出たんだろうなと思います。

──『秋田 CARAVAN MUSIC FES』も2024年には7回目を数えまして、秋田県内の全13市のうち、半分を超えました。いよいよ後半戦に入りますね。

高橋 2024年のフェスは2日間ともすごい雨でした。道はもう本当にあってないようなもので、下は泥だらけ。しかも強風でセットがお客さんのほうに行くかもしれないからと、2日目にはステージセットを外したりしたんです。さらに寒かった。9月とはいえど、みんな「夏フェス」だと思ってるから防寒対策をしてきてない人たちもいて。僕らも携帯カイロを配って歩きましたから。でも、例えばぬくぬくと何の経験もしないまま、仲良しなまんま友達5人組が「幸せだったね〜」って笑ってるのと、いろんなことを経験した5人組が……5人じゃなくてもいいんですけど(笑)、「いろんなところへ行ったね、いろんなことをやったね」っていう友達グループがいるとしたら、どっちのほうが振り返るものが多く、絆が深まるのかというと、僕はやっぱりいろんなことがあったほうがいいなって思うんですよ。

──それは経験としてありますね。

高橋 今までが不思議なぐらい晴れまくってただけで、僕は「いずれ(悪天候は)来るだろうな」と思っていたんですよ、野外フェスなんだから。『秋田 CARAVAN MUSIC FES』は、それこそ他の野外フェスに比べれば、まだまだ若輩者のフェスではありますが、7年目にしてみんなでものすごく素敵な経験値を稼ぐことができた。みんな一緒にあの雨を経験したし、全員であの寒さを経験して。「寒いね〜」と言いながら、でも最後まで残ってくれたっていう経験ができたから。人が成長するというよりも「フェスが成長できた」と僕は思ってます。もし来年以降に雨のフェスが続いたり、もっと過酷なことが起こるとしても、2024年が「伝説のCARAVAN FES」って言われると思います。一番初めにみんなでその蓋を開けたというか、どうなるのか?っていう先が見えない瞬間を何度もみんなで経験したので。

──今回初めて最高気温が10度台だったんですよね。

高橋 秋田も暖かかったんですよ、フェスのちょっと前までは。あの2日間だけガクンと気温が下がったんです。だからこれはもう、そうなるべくしてなったんだなと。神様だなんだっていうのはよくわからないですけども、経験させてもらったからには、それをどう受け取って、次に行動を起こすかってのは我々次第ですから、僕はいい経験値をたくさんいただいたなと思ってます。

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