取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)
アイデンティティみたいなものが、なかなか濃くなってこなかった(堂珍)
──2017年に活動を再開されましたが、久しぶりに声を合わせたときに、お互いの歌い方などが変わったなと思ったことはありました?
堂珍 活動再開のときじゃなくて、デビューから4〜5年の頃じゃないですかね。うん、ビブラートとか……。それはたぶんライブとかやりながらだよね。
川畑 うん、やりながらだね。
堂珍 お互いの特徴はわかってるとは思うんだけど。そこに対しての寄り添い方っていうのはやっぱりとても大事ですよね。ディレクションの人が間に入ろうが入るまいが、ライブで歌うときはふたりだから。ただ個人としての変化はありました。たぶん薄っぺらいところで歌ってて、「これさえできればうまい」みたいな自分が20代の前半にはどこかにいたんですよね。で、「いやそうじゃない、言葉が大事だ」とか、「想い」とか「伝え方が大事だ」とか、「愛が大事だ」とか、いろんなことで一回ちょっと迷った時期があったんです。そういう意味では、わりと早くに迷ったんです。ツアーのとき、“いがるように”歌っていた時期もあって……360度ステージのとき。
川畑 『One × One』ツアー?
堂珍 そう。あのときは尾崎豊さんじゃないけれど、「吼えるように歌わないと」って思っていて……。
川畑 ああ、ちょっとあったかもね。
堂珍 誰も何も教えてくれないから、自分でいいなと思ったらやってみて、自分で修正していくしか当時なかったんで。あのときは情熱的に歌う方法が、自分の中では「吼える」だったと思うんですよ。やっぱりそれまで聴いてきた音楽のこともあっただろうし。でも、ああいう歌い方をすると、やっぱりファルセットも出づらくなるし、ゆったりとしたビブラートだったのが、ちょっと細かくなっちゃったなとか。そういうところから少し抜け出せずにいたんですよね。
CHEMISTRYをやる以上、基本はR&B、ポップスっていうのはあると思うんですけど、時にはレゲエだったり壮大なバラードがあったりと、間口の広い音楽ジャンルだから「自分はレゲエシンガーです!」でもないし、「R&Bです!」って感じでもないし……。アイデンティティみたいなものが、なかなか濃くなってこない。今もたぶん濃くなる途中だと思うんだけど、そういうのもあって、なかなか難しかったですよね。
でも、ふたりだから乗り越えられたんだと俺は思っていて、ひとりだったら潰れていたかもしれないけど、ふたりだから何とか形になるっていうのもあった。リスナーの人はあまりそういうことを感じなかったと思うけど、舞台とかをやりながら一個ずつ課題を潰していった感じです。舞台用の発声って、お腹ベースなんですよ。どうしても声が太くなっていくんですけど、そういう自分も気に入ることができたし、いろんな経験があって今の自分があると思うんです。ふたりで歌うときは一行ずつとか交代があるんで、そこの中であんまり意味を持たせなくていいとき、流すときもあれば、ちょっと「ボンッ」と感情的にやってみたりとか、今はそういう変化の付け方も楽しみながらやれていますね。
川畑 僕は今の今まで……これからもですけど、歌い方は常にライブの本番で試していますね。だから毎回違うアプローチをしているんです。「今の声の出し方、なんでこんなにスッと行けた?」とか、「今のタイム感、良かったな」とか、やっぱり歌っていて気づくんですよね。本当にライブって「生きた音楽、生きた歌」だと思うので、オーディエンスの反応の度合いや、その日のテンションの違いもあるじゃないですか。エモーショナルな部分が出て歌が変わっていくこともあると思うので、そこに身を任せて……じゃないですけど、「そこの俺、じゃあどう歌う?」みたいに、客観的に自分で自分を試すようなことを、ライブ中にやりますね。