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【インタビュー】Shohei(THREE1989)、美しい歌声から見える真っ直ぐな歌への愛

2021.11.9

インタビュー:鈴木 瑞穂(Vocal Magazine Web)

11月3日、THREE1989(読み:スリー)がavex / rhythm zone移籍後初となるフル・アルバム 『Directorʼs Cut』をリリースした。今作は、“聴く映画”というコンセプトの通りメッセージ性が詰まった、THREE1989の新たな一面を垣間見れる全26曲収録の超大作。

そんなTHREE1989のヴォーカリスト、Shoheiにインタビューを実施し、美しい歌声を形づくった彼の音楽性のルーツと、歌唱面からのアルバムの聴きどころについてじっくり聞いた。

Shoheiの原点、「アメイジング・グレイス」

──まずはShoheiさんの“音楽性のルーツ”から紐解いていきたいのですが、小さい頃から歌手を目指していたんですか?

Shohei ホームビデオを観ると、3〜4歳ぐらいからお母さんのエレクトーンに合わせて歌ってる映像が残っているんですけど、はっきり歌手になろうと思ったのは、小学5年生の時。音楽専門の先生が赴任してきて、浦島先生っていうんですけど(笑)。その人がオペラとか声楽の先生だったんですよね。それで音楽の授業中に“君、歌うまいね”ってなって、1週間ぐらい「アメイジング・グレイス」をレッスンさせてもらいました。音楽会で披露したらみんな感動してくれたんで、歌で人を幸せに、楽しい気持ちにさせる職業に就きたいなと思ったのが原体験ですかね。

──中高校生の頃には、歌の活動をされていたんですか?

Shohei 中学高校はずっと野球をやってました。心のどこかで歌手として楽器を弾きたかったからピアノを習ったり吹奏楽部に入ったりしたかったんですけどね。でも、めちゃめちゃ田舎の中学校だったんで、“男はスポーツしろ、吹奏楽とかは女性がやるものだ”みたいな昔からの固定概念がまだまだ残っていたんですよ。お父さんにも薦められて野球をやってたんですけど、やっぱり心のどこかではずっとモヤモヤしてて、音楽したかったなっていう気持ちのまま過ごしてた感じですかね。

──音楽とは疎遠な青春時代だったんですね。

Shohei 中学時代は僕がヴォーカル、友達がギターを弾いて文化祭で“お遊びバンド”を披露したり、発表会でやったりはしたんですけど。それでも年1回とかです。高校1年生の時は『ハモネプ』が流行っててコーラスとかアカペラの全盛期だったんで、クラスの友達とアカペラ・グループを組んで文化祭で披露したりして。僕はその時ヴォーカルじゃなくて、ボイパ(ボイスパーカッション)を見様見真似でやってました。

──Shoheiさんのリズム感は、ボイパもルーツなんですか?

Shohei あっ、でも全然、その時だけの即席ボイパみたいな感じで(笑)。でも、今回のアルバム1曲目の「A. me too」という曲もコーラスワークから始まるんですけど、ハモリだとか多重録音が好きになったルーツではあるかなと思います。

──その当時は、どんなヴォーカリストを聴いていましたか?

Shohei 中学校の頃はCHEMISTRYが大好きでしたね。初めて買ったシングルCDは宇多田ヒカルさんの「Automatic/time will tell」。そこから歌モノというか、歌がうまい歌手をいっぱい聴くようになって、久保田利伸さんとかに行きましたね。

J-R&B、HIPHOP、EDM……多様な音楽を経て切り拓いた歌表現

──高校卒業後、大学に進学したんですよね?

Shohei わりと流されるまま大学に進んで、みんなでただ遊ぶサークルに入って。そこで僕だけ1年留年したんですよ。同級生は就職などで離れていくじゃないですか。そこで自分と向き合う時間ができて、“あれ、僕は何がしたかったんだっけ? やっぱり歌手になりたかったんだよね”と改めて思ったんです。覚悟を決めて家族会議で親父に“僕、歌手になります”と言ったら、“(熊本弁で)なんが歌手かお前は!”って怒られて、その時はバチバチに言い合ったんですけど(笑)。でも親父に言ってからはわりと事が進んで、自分でMacBook買って曲作って……。

──AIさんのツアーで前座を務めたというのも、その頃?

Shohei はい。洋服屋をやりながらイベントも手掛けている友達がいて、よく遊びに行ってたんです。そこで彼の紹介もあり、AIさんが全国のクラブを巡るツアーの熊本バージョンに出演させていただきました。事前に彼から“オリジナルを2曲作ってこい”って言われたんで、GarageBand(無料の音楽制作アプリ)を使い、ビートと軽いコードのループを組み合わせて作りました。そこから歌手の道みたいなものがどんどん開いていった感じですかね。

──コードやメロディの知識はどこかで勉強していたんですか?

Shohei まったくやってなかったです(笑)。それこそハモリはCHEMISTRYさんとかを聴いてたらできるようになったんですけど。例えばカラオケで誰かが歌ってるのに対して、僕がハモるのが好きでずっとやってたら自然に身についてきて。だからコードとかより“歌や音と音との距離感”みたいなところを認識できるようになったのが先だったかな。あとはGarageBandのサンプリングにあるループを使って、このコードに対してはたぶんこの音だな、みたいな感覚で音楽制作を始めていましたね。

──どんなジャンルの楽曲を作っていたんですか?

Shohei 当時の熊本には僕みたいなソロ歌手がライブハウスに出る文化があまり浸透してなくて、クラブで歌ってたんですよね。そうするとクラブに合わせるような音楽を作るしかないから、ノリがいいヒップホップ系の曲を作ったりしていました。

THREE1989_1

──大学卒業後、専門学校でTHREE1989を結成してから音楽性の変化はありましたか?

Shohei めちゃめちゃありましたね。僕が歌手を目指すきっかけになったのは、やっぱり「アメイジング・グレイス」で、それと結成当時のTHREE1989がやっていた音楽は言うなれば真逆。賛美歌とクラブミュージックは、静かなものと動くものって感じで対極にあったと思うんです。

──その「動」という音楽はどんなものだったんでしょうか。

Shohei 東京に出てひとりで活動している中でTHREE1989のメンバーと専門学校で会うわけですけども、その時に全然知らなかったEDMという、当時はAviciiとかが流行り出したぐらいだったんですよね。それでDatchくん(DJ)がやりたいと言ってきて。もともとクラブでヒップホップとかやってたので、そこまで矛盾はなかったもののEDMに対してはまったくド素人だったんですけど、やってみようってことで、彼とShimo(key)と一緒に音楽を作るようになったって感じですね。だからけっこう全然違うものをやってたという感じ。

──EDM寄りになっていくうえで、自身の歌い方にも変化がありましたか?

Shohei 僕がずっと聴いていたR&Bは1音の中にどれだけフェイクやビブラート、歌手のニュアンスを強く出せるかという歌い方の一方で、EDMではわりと機械的に歌ったり真っ直ぐ声を飛ばすという感じで、ライブしてて“なんか違うな”と思っていたかもしれないですね。組んだ当時はもの珍しくてやってて楽しかったし、音的にライブで流すと誰しもがノレるようなサウンド感なんで、それだけで満足してて。でも、心のどこかでは、もっと歌のニュアンスを出したいなと思ってて、どんどん違和感が募っていったのかもしれないですね。

──それでだんだん80年代の音楽のほうへと……。

Shohei EDMが“ちょっと違うな、僕には合ってないな”と思ったので、もう1回自分のルーツを振り返った時に、久保田利伸さんのように80年代の日本に新たなR&Bを広めた人たちや、親が聴いていた山下達郎さん、竹内まりやさんとか、やっぱりそういうところかなと。今で言うシティポップ、セブンスのコードにJ-POPのメロディを乗せるといった、ちょっとジャズ要素があるものが好きだと改めて思ったんです。

大学の時に出会ったジャズ・ヒップホップの巨匠Nujabesも、ヒップホップの単調なリズムの中にジャズのコードを入れてて良いなと思ったし、久石譲さんみたいなジブリの日本的な美しい旋律を聴いた時にも、こういうジャズのオシャレで美しい旋律の中にJ-POPを入れたいなって。

そのタイミングが2016年だったんですけど、ちょうど熊本地震が起きたんですよ。テレビの奥で、地元の熊本の見たことない光景が広がってて。その時に、“この人生いつ終わるかわかんないから、やっぱりやりたいことをやったうえで、人に伝えていきたいな”と改めて思ったんです。それをメンバーに熱く話したら、“僕らもそう思う”と語り合えたんですよね。3人の中での“こういうことやりたい”が重なったところが、今のTHREE1989の音楽だったっていう感じですかね。

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