【インタビュー】スージー鈴木、『平成Jポップと令和歌謡』から語るヴォーカリスト比較論

2021.11.3

インタビュー:藤井 徹(Vocal Magazine Web)

“平成Jポップ”から“令和歌謡”へ。

──そんな98年に揃ってデビューしたのが、宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、aikoさん。スージーさんは稀代の歌姫達たちの登場を、どういう感覚で見ていました?

スージー 僕はまずaikoだったんですよ。ほとんどノン・エコーじゃないですか。あれってイマっぽいんですよね。華美な虚飾を剥いだ生の音で勝負するっていう。一貫してヴォーカル・ミキシングにいろんなエフェクトをかけないっていうのが新しくて。そして「カブトムシ」に代表されるような癖の強いメロディで、抜群に歌がうまい。

一方で当時騒がれてた宇多田ヒカルの良さは、僕はわからなかったんです。あまりにもみんなが天才と持ち上げるから、その反動でちょっと醒めた目で見ていたところはあるんですけど、宇多田ヒカルは絶対に2016年の一連の作品のほうが素晴らしいと思っています。

椎名林檎は99年に発売された、ユーミンのトリビュート・アルバム『Dear Yuming』でカバーした「翳りゆく部屋」を聴いてノックアウトされました。椎名林檎とaikoに関しては、それ以前の平成Jポップの枠組みに入ってこない才能に驚きましたね。

──実際に98年をピークにCDの売上が伸び悩み、音楽の広がり方が変わっていきました。メガヒットが出にくくなり、お茶の間の誰もが知るようなスターが生まれづらくなっていきましたね。

スージー その3人は、聴いただけでaikoの声、椎名林檎の声、宇多田ヒカルの声ってわかる“声の署名性”を持っていたんじゃないかと思います。平成J-ポップが、CMとかドラマといった他の媒体の力を使わないと広まらない、他の拡大装置を伴わないとヒットが生まれないジャンルだとすると、声に署名性があると、タイアップがなくてもラジオで聴いただけで、そのマーケットのファンが食いついてくるっていう。もしかしたら“タイアップ不要時代”に、声の署名性というものがあって生き残った歌姫かもしれませんね。

──なるほど、よくわかります。そしてゼロ年代、2000年からは音楽フェス全盛の時代ですよね。ここからの10年っていうのはライブに強い人が生き残ってきたと思うんですけど、ここで印象に残る人は?

スージー CDとサブスクの間に“フェス時代”みたいなものがあって、デジタル化、複製音楽の反動として生音が求められましたよね。よく山下達郎がラジオで「音にガッツがあるかないか」って言い方をするんですけど、ガッツのある音を生で演奏できることが一周回って珍重されていくと。

だから、あの当時に出てきたバンドは強いですよね。僕が2000年代の幕開けの曲をあげるとすれば、やっぱりBUMP OF CHICKEN「天体観測」なんです。ギターをちゃんと弾いて、それを何本も重ねて。一周回って普通のロック・バンドが特異な価値を持ち始めた。で、それはRADWIMPSなども含めて今にも繋がっていますね。

──平成最後の10年と少しはいかがでしょうか? 震災と経済停滞みたいな閉塞感の部分と、インターネット発のアーティストが増えて裾野がすごく広がった状況かなと思うんですけど。多様化が進んだというか。

スージー 2010年以降の自分の選んだ「レコード大賞」を見ていますが、前半5年間は混沌としていますね。#ベッキー、桑田佳祐、木村カエラ、大友良英、赤い公園……。逆に連載で書いていたからかもしれませんが、後半の5年間はすごくクリアです。仮に「2010年代のMVPは?」と聞かれたら、星野源か米津玄師を選ぶと思いますね。

ただし、彼らは若い音楽家の中でもミュージシャンズ・ミュージシャンっていうか、非常に音楽的にも高度で周りのミュージシャンの参考になっている。その点で少し過大評価しているのかもしれません。ただオジサン同様に若者もその音楽を支持している。まあ、若者と言っても、少し年齢が上かもしれませんけど、それは僕には心地よかったですね。

──でも、それぞれの時代の10代の子たちは、必死に“自分たちの世代の音楽”を探していたんでしょうね。

スージー この本の中でも何回か書いたんですけど、本当に出てきてほしいんですよ、“令和のブルーハーツ”が。なぜ「ロンドン・コーリング」(ザ・クラッシュ)ならぬ「東京コーリング」を歌う生きの良いアーティストが出てこないんだろう。出てきたら大応援するのにって。“令和のブルーハーツ”が出てくることを心から望んでいますが、僕にはまだ聴こえてこないですね。

──スージーさんが “令和歌謡”と定義づけたのは、どういう部分なのですか?

スージー 曲の長さが3分ぐらいで、キーは短調(マイナー)。シンプルな編成で、変な転調とかなく、丸っこい声でしっとり聴かせる。言い方を変えると、“昭和の歌謡曲に近いようなタッチの音作り”っていうものが、復活するんじゃないかと。

──具体的には昭和歌謡の、どの時代の音楽と近いんでしょうか?

スージー ちあきなおみの「喝采」(1972年)ですかね。昭和歌謡は基本的にキーが短調なんですけど「喝采」はメジャー・キーなんです。でも声の署名性が極めて強くあり、メロディに物語性があって、センチメンタルというよりはメランコリーな歌詞。シンプルなAメロ、Bメロだけの構成で、昭和歌謡を代表する1曲っていうと、ちあきなおみの「喝采」だと思うんですよね。

──それが令和になって再現されてきているというか、類似性のある部分が感じられると?

スージー はい。直接的ではないかもしれませんけど、米津玄師、藤井 風、Aimer、miletなどは声に独特の署名性があり、かつ全体的にメランコリックで……暗い。だから錦糸町のスナックでかかってもおかしくない……。

──どこかで聞いた例え……(笑)。マキタスポーツさんとの共著『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(リットーミュージック刊)で話題となった、アーバン・ポップスかシティ・ポップの境界線を巡る論争ですね。

スージー そうです(笑)。80年代の話に戻すと、やっぱり「ワインレッドの心」(安全地帯)が錦糸町のスナックという関門をくぐったと思うんですが、令和歌謡には、そういう音楽の感じがするんですよ。

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