【インタビュー&撮り下ろし写真】宮本佳林が語る、多彩な歌表現の源にあるポリシー。“未完成でもいいというアイドル感はいらない”

取材・文:田代智衣里(Vocal Magazine Web)
撮影:松井伴実

2020年12月に約8年所属したJuice=Juiceおよびハロー!プロジェクトを卒業し、2021年12月にソロ名義で初となる1stシングルを発表した宮本佳林が、2ndシングル「なんてったって I Love You / ハウリング」を6月22日にリリースした。

ひとつひとつの楽曲を丁寧に汲み取り、多彩な表現で“アイドル歌手”の素晴らしさを体現してきた彼女は、どのように歌を育ててきたのだろうか。

今回のインタビューでは、ヴォイストレーニングへの取り組み、グループとソロそれぞれの歌唱、アイドルとアーティストの狭間にいるようだと語る現在まで、歌のルーツを軸に話を聞いた。その道のりには自身の強い意志と、母、ヴォイストレーナー、そして、つんくの言葉があった。

菅井先生に“教えてください”とお願いしてヴォーカルのレッスンを

──℃-uteに憧れてハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)のオーディションを受け、9歳でハロー!プロジェクトに加入した宮本さん。歌い始めたきっかけはどんなことでしたか?

宮本 ハロプロエッグのオーディションを受ける前から、どこかに公開するわけではないんですけど家で歌は歌っていたんです。当時流行っていた「e-kara」の月島きらりバージョンを購入して、モーニング娘。のカセットも歌っていました。中でも一番歌っていたのは、松田聖子さんのカセットでしたね。私の中ではそこが歌の始まりです。

──その頃、ヴォイストレーニングをしたことはありましたか?

宮本 ヴォイストレーニングはしていなかったです。ダンスだけを習っていて、歌のトレーナーはお母さんでした。めちゃめちゃ厳しくて、毎日泣きながら練習していました。

──何をきっかけにお母さんのレッスンが始まったのですか?

宮本 小学3年生のときに、そんなに厳しいオーディションではないけど(ダンススクールで)歌うメンバーを決めることになって、私は選んでもらえなかったんです。それで歌がヘタなんだって傷ついて、練習したいと言ったことが始まりです。お母さんは一度始めるとすごく厳しくなる人で、エスカレートしていきましたね(笑)。

──お母さんも歌うことが好きだったのでしょうか?

宮本 お母さんは本当に歌が大好きで、特に松田聖子さんが好きです。ちょうど松田聖子さんが全盛期の時代にお母さんが学生で、カセットテープで何回も擦り切れるまで聴いて、ラジオも録音して、自分でも歌って研究していたみたいです。歌手になりたいわけではなかったらしいんですけど。

──お母さんのレッスンは、歌ってはフィードバックをもらうような内容でしたか?

宮本 お母さんのセンスで“ここはもっとこうがいい”とか、“感情が足りない”とか、“滑舌が悪い”とか。聴いていてわかることや、自分が思ったことを伝える感じでした。

──印象に残っているお母さんの言葉はありますか?

宮本 今でも言うんですけど、“命をかけてるぐらいの気持ちがなきゃダメ”って。確かにそうだよなって思います。それは今も変わらないですね。

──当時、発声方法について意識していたことはありますか?

宮本 当時は身体も小さいので、そこまで発声方法を意識しなくても高い音が出たんです。だから腹式呼吸について調べて、“こんな感じなんだ”ぐらいまではわかっていたんですけど、本格的に呼吸法までたどり着いたのは、ハロー!プロジェクトに入ってヴォーカルの先生に教わったあとだと思います。

──腹式呼吸について自分で調べたときは、ネットで検索したのですか?

宮本 本を読んでいましたね。広瀬香美さんの歌の本や、高田さん(高田三郎)の“高い声が出る”みたいな本も読んでいた気がします。ただ、ハロー!プロジェクトに加入したあとのほうが読んでいたかもしれません。

──呼吸を安定させるために、筋トレや体幹トレーニングはしていましたか?

宮本 高校生の頃は一番トレーニングをしていて、ジムにしょっちゅう通っていました。今でも体幹だけはやっておかないといけないと思っていて、プランクはもうずっとできる感じです。プランクができると、踊りも歌も安定しやすいと思います。

──プランクはいつ頃からやり始めましたか?

宮本 中高生ぐらいで、ヨガにハマった時期からですね。ヨガって際限なく上があって、難しい技は新体操みたいなんです。ヨガの中で太陽礼拝というひとつの流れがあるんですけど、プランクができないときついんですよ。それが悔しくてプランクをやっていたら、体幹が強くなりました。

──宮本さんの歌は言葉が聴き取りやすいことも特徴のひとつだと思うのですが、そこにはお母さんのレッスンも影響しているのでしょうか?

宮本 その要素もあると思うんですけど、そのあと有名な菅井先生(菅井秀憲)に“教えてください”とお願いしてヴォーカルのレッスンを始めたんです。菅井先生のレッスンも、歌詞を全部ローマ字に置き換えて一旦書いてから歌ったり、音程をつけないでしゃべるだけで歌ったりする内容が多かったんですよ。だから、そのレッスンのおかげもあると思います。

あとはハロプロエッグ時代に数年間、滑舌のレッスンをしていた時期があるんです。滑舌の先生がいらっしゃって「外郎売り」とかをやっていたので、けっこう効果があったんじゃないかなと思います。

──その滑舌のレッスンは、ハロー!プロジェクトの中でみんなが受けているものなんですか?

宮本 ハロプロエッグの人たちだけが受けていました。「研修生発表会」って今は歌と踊りだけなんですけど、当時は2回ぐらい舞台もあったんですよ。だから舞台のレッスンの一環ということもあって、「外郎売り」を披露していました。

──なるほど。お願いして受けたという菅井先生のレッスンは、他にもヴォーカルのレッスンがある中で、さらに増やしたのですか?

宮本 元々ボイトレの先生がいらっしゃったんですけど、相性の問題ですね。その方もすごい人で、うまくなる子もいたと思うんですけど、なんだろう……厳しくなかったんですよ。

──厳しくなかった?

宮本 ある程度できると“できているから大丈夫”って自信をつけてくれるような先生で、私には今それは必要ないと思ったんです。でも、当時は他のレッスンについて調べても、つてがなかったんですよ。事務所にちゃんと言ってから受けたいとも思っていたので、マネージャーさんに“どうにかしてレッスンを受けたい”と話して受けさせてもらいました。

──菅井先生のレッスンが始まったのはいつ頃でしたか?

宮本 デビューして1年目に入る前だと思います。舞台「恋するハローキティ」が始まる前ぐらい。

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