取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)
平井堅や米津玄師を始め、多彩なレパートリーを高い歌唱力でモノマネすることで注目を集めている松浦航大が、1stアルバム『I am a Singer』を10月28日にリリースした。
自身で作詞・作曲したナンバーを中心に、全10曲のオリジナル曲が並んだアルバムは、歌手の技術としてモノマネで培った幅広い表現力が存分に活かされた良質なヴォーカル作品として届けられた。
モノマネとオリジナリティの狭間で悩み、受け入れ、乗り越えてアイデンティティを確立したからこそ歌えるメッセージは、誰にも置き換えられる言葉として響くだろう。
そんな松浦のモノマネへのこだわり、歌への愛を語ってもらったインタビューをお届けする。
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週5のバイトでエビの皮を剥いてボイトレに通いました
──幼少の頃から歌が好きで、ずっと歌っていらっしゃったそうですね。
松浦航大 はい。でも歌がうまいっていうより、目立ちたい!って感じでしたね。目立ちたがり屋でした。
──歌が好きな家族だったとか?
松浦 いえ、そういうわけではないです。ただ気付いたら僕だけがずっと歌っている感じでしたね。
──小中高と進むにつれて、歌や音楽とはどう関わっていきましたか?
松浦 小学生のときは、学芸会でミュージカルの主役をやったりしました……あと6年生では主役じゃなかったんですけど、舞台でバク転するという“目立ちそうだな”という役を選んでやったりしてましたね(笑)。中学生になると友達同士でカラオケに行き始めて、たくさん歌ってました。これは本当にスーパー偶然なんですけど、合唱コンクール3年連続金賞だったりとかはしてましたね。
──当時歌っていた音楽ジャンルは、おもにJ-POPですか?
松浦 そうですね。ジャンルっていう言葉自体を小学校、中学校時代は知らなかったので、高校のときくらいから、ジャンルを覚え始めて……。
──どこかハマったものがありました?
松浦 ファンクミュージックがめちゃめちゃハマりましたね。歌のうまい人が本当に好きなので、ゴスペラーズさん、平井堅さん、コブクロさん、Superflyさん……。そこらへんをガーッと聴き漁って、いろいろハマりました。
──そのままルーツを掘っていったり?
松浦 そうですね、洋楽もけっこう聴いてました。日本の音楽が真似しているというか、取り入れているのが海外のミュージックにあると思うんで。ブライアン・マックナイト、ボーイズIIメンも聴いてたし、タワー・オブ・パワーに行ったりスティーヴィー・ワンダーに行ったり。本当にいろいろ聴いてましたね。
──高校時代、歌手になると決めてボイトレに通い始めたそうですね。「まずボイトレをしなきゃ」と考えた理由があれば聞かせてください。
松浦 単純に「歌がうまくなる」ってどうなることか、わからなかったんです。でも自分の歌を聴いて「上手だなと思わないな」というところから、自分自身でも「あ、上手!」ってなりたくてボイトレに通い始めました。どこか弱点を克服したいというよりは、「歌、うまくなってみたいな」と強く思って。親に相談したら「あんたがバイトしてお金貯めて行きなさい」って言うので、週5でスーパーの水産コーナーでエビの皮を剥いて、そのお金でボイトレに通ってました。
──楽器もその頃から始めたんですか?
松浦 中学生のときから、ちょっとずつギターをやり始めて弾き語りしたり……って感じでしたね。
──オリジナル曲はどの時期から書き始めたんですか?
松浦 18歳ぐらいのときから作り始めていましたけど、全然聴けたような曲じゃないので、全部ボツにしました。あれは世に出しちゃいけないです(笑)。
──札幌の高校を卒業してから、東京の音楽専門学校、ESPミュージカルアカデミー(現・専門学校ESPエンターテインメント東京)に通われていたとのことですが、どんな感じの生徒さんだったんですか?
松浦 自分以外の生徒は全員敵だと思ってましたね(笑)。学校で仲良くなる人は、「もう音楽の道では行かないだろうな」っていう子ばかりで。……だいたい何となくわかってくるじゃないですか。なんか就職しそうなムードが漂ってくる子とかがいるんですよ、1年生でも。だから、そういう子とは仲良くしてました、ライバルじゃないんで(笑)。
──自分と同じくらいガツガツやってる子とは、一定の距離を置いて?
松浦 そうです(笑)。でも、今の事務所には専門学校が繋げてくれたので、そこは良かったかなと思いますね。それこそ人の繋がりの面でも通って良かったです。
──当時の松浦さんがイメージしていた“自分のプロミュージシャン像”はどんな形でしたか? バンドやグループだったり、ソロだったり、弾き語りだったり、いろいろありますが。
松浦 とりあえずなんでもいいから世に出たいなと思っていたので。こうじゃなきゃ嫌だと思ったことはなかったです。だけど、やっぱり歌が目立たない音楽をやるつもりはなかったですね。絶対に歌が目立つ音楽をやろうと思ってました。
歌を聴くとき、自分で歌うときのピクセルが上がった
──TV番組『ハモネプリーグ』の2008年大会を制した、同郷のアカペラグループ、じゃ〜んずΩさんに憧れていたそうですね。アカペラもやりたかったんでしょうか?
松浦 憧れ、ありました。高校生のとき『ハモネプ』を観てボイパをやってみたり、実際にオーディションを受けたりしたんですけど、やっぱり高校生だとモチベーションのある人がなかなか揃わなくて。全然ダメだったというか練習も進まずに……そう、それをきっかけに僕、歌を練習し始めたんですよ。
──『ハモネプ』に出たくて?
松浦 はい。最初はボイパで出たかったんですけど、まず歌のうまい人があんまりいないのと、いてもやる気ないっていうので、これは自分がうまくなるしかないなと思って。それで練習し始めてLDHさんの『VOCAL BATTLE AUDITION』を受けたり、いろいろやってましたね、当時は。
──その中で、じゃーんずΩさんは、どんな感じの存在だったんですか?
松浦 番組で観ていて、“優勝したグループ、カッコいいな”っていうので、北海道のイオンでインストアライブやライブハウスへ観に行ったりしてました。
──実はVocal Magazine Web編集部で、『アカペラスタイル』という本を8月に出してまして……。よろしければ読んでみてください(と手渡す)。
松浦 いいんですか! ありがとうございます。うわ、すげぇ。スコアが載ってるの、いいですね。これアカペラーなら、みんな嬉しいですね。あ、Rabbit Catだ!
──松浦さんが知り合い同士でアカペラグループを作るなら、どんなメンバーでやりたいですか?
松浦 うわ〜(笑)。やっぱり最強グループを作りたいですよね。モノマネだったらそれこそ荒牧陽子さん、よよよちゃん、ビューティーこくぶさん……そして僕。ボイパは僕か、エハラマサヒロさんもできるんですよ。だからエハラさんにもいてほしいですね。この5人でやれば僕がリードに回ってもボイパがいるし、エハラさんがリードをやるときは僕がボイパできるし、そういう使い分けもできる。
──リードもガンガン回せますね。
松浦 なんならリードを自分だけでも(モノマネで)回せますよ(笑)。
──これは確かに最強のメンツですね。
松浦 はい。あと歌手メインでやっている方だったら、優里くん、川崎鷹也くん、城田優さんとか。
──城田さんもお友達なんですね!
松浦 はい、仲良くさせていただいてます。しかも城田さんは一回『ハモネプ』に出てるんですよね、芸能人大会みたいなときがあって(2013年に出演)。一緒にカラオケへ行っても、めちゃめちゃ上手です。
──わりとみなさんカラオケでも“ハモリたがり”ですか?
松浦 そうですね、ハモるの好きですね(笑)。僕も好きです。鷹也くんも優さんもハモり得意だし、けっこう良いグループになるんじゃないかなあ(笑)。
──そう言えば、次回の『ハモネプ』は、プロでも応募していいらしいですよ。
松浦 そうなんですか……これ、アリですね(笑)。
──モノマネについては高校生とか専門学校のときから?
松浦 友達の前でふざけて学校の先生のマネしてたりしていましたけど、本格的にはやってなかったです。でも、平井堅さんのマネはずっとやってましたね。
──モノマネをすることがきっかけで、歌唱力が上がったと感じるものですか?
松浦 そうですね。本当に良い部分を吸収するのが歌のうまくなり方だし、物事全部そうじゃないですか。うまいこと取り入れて自分のものにしていって、その中で自分らしさって出てくると思うんで。これ、ブライアン・マックナイトも本で書いてました。清水翔太さんも「モノマネが歌がうまくなる近道だ」って言ってましたし、やっぱりマネするっていうのは何事においても大事だなって思いますね。
──他の人の歌い方や特徴を分析することで、得られるものも多いでしょうしね。
松浦 単純に歌を聴くとき、自分で歌うときのピクセルが上がったというか、その網目が細かくなりました。それこそモノマネのために分析しているからだと思うんですけど。それからモノマネするってことで自分の耳の中じゃなくて、外からどう聴こえているのかも確認したいので録音もするじゃないですか。(モノマネは)自分で歌って聴いてを普通に歌うよりも繰り返してるんですよね。そういう中でわずかな息の加減とか、同じフォールにしても、裏声に逃がすフォールなのか、エッジヴォイスをかけながらフォールするのかとかで、全然表現が変わってきたりするんで。常に考えてやっているわけじゃないですけど、それを感じ取った瞬間に自然と出るようになる引き出しは増えているのかなと思います。