【インタビュー】竹内アンナ、そのギター同様にカラフルな歌声を響かせた、5th E.P『at FIVE』を語る。楽曲の主人公に“寄り添える声”の魅力とは?

取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)

アコースティック・ギターの高いテクニックと、さまざまな色を持つ声が特徴的なヴォーカルを備えたシンガーソングライター、竹内アンナ。
彼女の5枚目となるE.P、『at FIVE』が2月22日(水)にリリースされ、好評発売中だ。

2022年に配信リリースされた「あいたいわ」、「made my day feat. Takuya Kuroda / Marcus D」、「サヨナラ」に加えて、リードトラックとなる「WILD & FREE」と、ジャズバンドとの共作となる新境地のナンバー「生活 feat. パジャマで海なんかいかない」を収録している。

Vocal Magazine Webでは、楽曲によってカラフルに変化していくヴォーカルスタイルと、自身の歌のルーツ、ヴォーカリストとしてのこだわりなどを聞いてみた。

アコギの人と歌の人が別々で立っているような演奏を、ひとりでできたらいいな

──歌はいつ頃、どんな形で始めましたか?

竹内 中学1年生からギターはやっていたんですけど、最初は歌うことは全然考えてなくて。中学3年生のときに、当時教えていただいていたギターの師匠から「ライブハウスに出てみない?」と言われたのがきっかけで、初めて曲を作って人前で歌いました。それまで教室の発表会にはたまに弾き語りで出たりしていたんですけど、本当にその程度です。歌は好きだけど、まだそんなに自信がなかったし、それよりもまず、ギターが弾けるようになりたかったので。

──特定のアーティストさん、歌い手さんで好きだった人とかはいましたか?

竹内 シンガーソングライターっていうところでは、私はずっとテイラー・スウィフトとYUIさんには影響を受けていると思います。それは歌い方とか曲作りを含めて……ですね。家では弾き語りでカバーしたりもしていましたが、本当に自己満足の世界みたいな感じでした(笑)。

──ヴォイストレーニングの経験はありますか?

竹内 中3で初めてライブに出演したときに、それがすごく楽しかったし、もっと作詞作曲もやりたいと思ったんです。高1ぐらいから本格的にライブ活動を始めたので、そのタイミングからちょこちょこボイトレには通い出しました。最初は右も左もわからなかったから、紹介していただいた先生に教えてもらっていた感じですね。

──どのくらいのペースで通ってました?

竹内 あんまり覚えてないんですけど、そんなに頻繁には通えてなくて。そのときはどっちかと言うとギターに重きを置いていたので、本格的にしっかりボイトレに通い出したのは大学3年生……21歳とか、それぐらいからですかね。

──21歳ですと、すでにデビューもされていますね。しっかりボイトレに通おうと思ったきっかけがあったんですか?

竹内 私自身はあまり歌い上げるタイプの歌い方ではないんですけど、歌い上げるときにボリュームがちょっと小さくなりがちだったので、野外ライブなどで、どうしても(声が)風に飛ばされちゃうことがあったんです。届くはずなのに届かないのがすごく悔しいなと思って(笑)。もっと基礎体力を上げていきたいというところから、ちゃんとやり直そうっていう感じでしたね。

──オリジナル曲を作り出したのも、中3くらいからですか?

竹内 はい。普通だったら“持ち曲があるからライブハウスに出よう”ってなると思うんですけど、私の場合は逆で、“ライブハウスに出るから曲作ろう”って(笑)。もちろんカバーで出ても良かったんですけど、せっかくそういう機会をもらったから、何となく頭の片隅にあった“シンガーソングライターとして曲を作る”ことをやってみたいなと。そのとき初めて作った曲が『at ONE』というデビューEPの中に入ってる「Ordinary days」っていう曲なんです。簡単なコードから始めて、ちょっとずつ組み立てていった感じです。

──それは今に繋がるような作り方でした?

竹内 そのときはDTMも使えなかったし、とりあえずギターで作っていました。そのあとに名前は忘れちゃったんですけど、自分でトラックをポチポチ打ち込める簡単な機材があって、それでリズムトラックとか入れた簡単なデモを作るようになり、自分のパソコンを手にしてからはLogic Pro(DTMのソフト)で作り始めました。

──曲はメロディを先に作りますか?

竹内 私はメロディ先行が多いです。メロをギターでコードに起こすときもあれば、ギターを置いてパソコン上でデモをある程度作っちゃって、最後にギターを入れるみたいな作り方もよくします。

──コードはあとで?

竹内 コードはざっくり決めてるんですけど、最近はギターフレーズのアプローチを一番あとに持ってきたりもします。

──高校に進学してからは、どういう感じで活動をしていましたか?

竹内 基本的にはライブハウスのイベントに出てました。私はずっと京都に住んでいたんですけど、大阪にグランフロント大阪っていう許可を取ってストリートライブができる施設があるんです。そこでストリートライブをやったり、あとはいろんなオーディションをとにかく受けまくってましたね。

──ストリートも昔みたいにギターケースを出してお金をもらうスタイルではなくなってきているじゃないですか。今のミュージシャンは、スマホで配信して投げ銭をもらったりしていますが。

竹内 配信とかはやったことがなかったんですけど、大きい商業施設なので休日とかに行って、ふらっと歩いている方に足を止めてもらって、自主制作のCDを売ったりライブのチケットを売ったりっていう風にしていました。

──ストリートで鍛えられたことは?

竹内 たくさんありますね。まず心がとても鍛えられました(笑)。どんなに土日だったとしても、やっぱり足を止めてくれない人のほうが圧倒的に多いので……。どうやったら足を止めてもらえるか、くじけそうになりながら何回も試行錯誤しました。それこそみんなが知ってるカバー曲でまず足を止めてもらって、そこから「じゃあ、私の曲を聴いてください」みたいにすると、皆さんけっこう立ち止まってくれたりするんです。

あとはしゃべりだったり、“何かやってる”感じを出すとか、いろいろ考えたりっていうので、すごく心も鍛えられたし、そういうところでやるからこそ、“キャッチーな歌を作ろう!”みたいな、自分の曲作りにもフィードバックできていたかなと思います。

──ストリートをやるときの機材は、アンプにマイクとギターを入れてミックスする感じですか?

竹内 そうですね。アンプも中くらいのサイズで……。キャリーで運んでマイクを立てて……ってやってました。

──そうやって活動していく中で、自分のスタイルは見えていきましたか?

竹内 ストリートもそうだし、ライブやったりオーディションを受ける中で、やっぱり私は軸にすごくアコギっていうものがあるので、ただジャカジャカとストロークを弾くんじゃなくて、アコギはアコギで、歌ってる人とは別の人が弾いているような、アコギの人と歌の人が別々で立っているような演奏を、ひとりでできたらいいなって。私はジョン・メイヤーが大好きで、彼のプレイにそういうものを感じていたから、私もそうなりたいなって思ったんです。そうして人と違うことを探して、自分のものにしていって……という感じでした。

──オーソドックスなストロークが浮かんだとしても、もっと突き詰めていく、みたいな?

竹内 もちろん、あえて難しくしたいとは思ってないんですけど、それこそストリートで通りすがった人が、“こんな子が、こんなことやるの!?”っていう驚きみたいな、思わず耳を傾けてしまうハッとする瞬間が、ギターでも歌でもちゃんと作れたらいいなっていうのは、すごく考えてやってました。

──ギターでのスラッピング(弦を叩くように弾くテクニック)は、その中で始めたことですか?

竹内 そうですね。ジョンもそういう奏法をやるし、MIYAVIさんの演奏もよくチェックしていたんです。もちろん、その先で“こういうプレイができたらカッコいいな”っていうのはあったんですけど、それよりそもそも興味があったというか、自分がシンプルに“やってみたい、できたら面白いだろうな”というところから、まずは始めました。

──自分の声についてはどういう分析をされていますか?

竹内 自分の声は……さっき話したとおり、そんなに歌い上げるタイプではないけれど、“寄り添える声”ではあるのかなと思っていて。自分の曲の中で喜怒哀楽の感情や、英語と日本語の使い分けなどを、自分の声でスムーズに行き来できているかなと感じています。

最近「ラジオから聴こえてきたら、アンナちゃんの声だとすぐわかるよ」って言っていただく機会がすごく増えたんです。もともと自分の声にはそんなに自信はなかったんですが、デビューしてからいろんな曲を出して、そう言っていただく機会が増えたので、そうなのかな(すぐわかる声なのかな)と思えるようになってきています。

──的確な自己分析ですね。まさにそういう話をEPの中でお聞きしようと思っています。では、EPの話へ進む前に、もうひとつだけ質問です。デビュー後にリリースを重ね始めた頃に、ちょうどコロナ禍になってしまい、想像していた活動ができない部分があったと思います。そんな中ではどんなことを考えてましたか?

竹内 (コロナ禍の)最初は、私もライブが中止になったり延期になったりで、ほかのアーティストと一緒でほとんどが飛んでしまいました。そのときに初めて、いかにライブが自分にとって大切なものだったかを感じました。それまでは自分の中で、“リリースをして、ライブして”ということが当たり前だったんですけど、いざライブがなくなってみると、“あぁ、こんなに心がぽっかり空いてしまうんだ”と思いました。

リリースだけじゃなくて、ライブをしてお客さんに届けて初めて完成する部分があったので、そういう場所がなくなってしまうのは、置き場のない感情というか、“どうしたらいいんだろう?”って気持ちになりました。最初はどうしたらいいかわかんなくて、すごい落ち込んでしまったんですけど、1ヵ月経ったあたりから、まわりのミュージシャンが配信ライブを始めたり、おうちの中でできることをやり出した姿を見て、私も落ち込んでいられないなと思ったし、“家の中でもできること、意外とたくさんあるじゃん”っていうのに気づいて。それまで“生でライブすることがすべてだ”と思っていたけど、携帯で簡単に配信できるし、“今はそれを有効活用するときなのかもしれない”と。私もそのタイミングで配信ライブもやったし、インスタライブとかYouTubeライブとかも積極的にトライするようになりました。

今は……あの期間がないに越したことはなかったんですけど、あったからこそ気づけたこともたくさんあったし、生まれた歌もあるから……。これからもコロナの時期を無駄にしないように、それを糧に作っていけたらいいなって思ってます。

──配信用の場所みたいなものや環境を作りましたか?

竹内 背景を作るために部屋を片付けました(笑)。あとは携帯に直接繋いでアコギとマイクの音をきれいに拾える機材(RolandのGO:MIXER PRO-X)を使ってみたりとか、いろいろ新しい機材に手を出したりできたので、ちょっと楽しかったです。

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