【インタビュー】エッジヴォイスと低音を武器に──。PAREDが切り拓く“艶ある男性ヴォーカリストの声”に満ち溢れた1stアルバム!

2022.03.25

取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)

群雄割拠の歌い手シーンから、“がなり声と低音”を売りにしたヴォーカリストが登場した。

福岡出身の23歳、PARED(読み・パレッド)の1stアルバム『Room Night』(3月16日発売)は“夜に聴きたくなる曲”をコンセプトにした12曲を収録。
みきとP×堂村璃羽、ひとしずく×やま△、こめだわら、神前暁、ミト(クラムボン)といった作家陣による書き下ろし楽曲のほか、ツミキ「フォニイ」など話題のボカロ曲や、いきものがかり「ブルーバード」などの人気J-POPカバーが収録されている。

シティポップ感のあるトラックに、真っ直ぐ通る低音と艶のあるエッジヴォイスがよく似合う良作だ。ハイトーン全盛の男性ヴォーカリストのシーンにおいて、異色のハスキー&パワフルな歌声で勝負する男、PAREDの“声”はいかにして磨かれたのか、話を聞いた。

“低音”と“がなりヴォイス”を前に出して売っていこう。

──福岡のご出身だそうですね。

PARED はい。今は東京ですけど高校を卒業するまでは、ずっと福岡に住んでました。東京に来たのは4年前くらい前ですね。

──学生時代は何かスポーツをやっていたんですか?

PARED 中学時代は美術部だったんですが、高校で本当に突然バドミントン部に入りたくなって(笑)。3年間やって、実績としては一応ダブルスで県大会までは行けました。

──運動部に入部する前は、大きな声を出すような環境ではなかった?

PARED そうですね。マジでご飯食べるときの「いただきます」くらいしか(大きな)声を出さなかったです(笑)。確かに運動部になってからけっこう声を出すようになりました。応援するときや気合を入れるために声を出したりとかするので。もともと喘息持ちでブレスも続かないほうだったんですけど、毎日4.7キロぐらい走らされ……いや、走らせていただいてたんで(笑)、だいぶ体力がつきました。音楽をするうえでの身体作りでは、いいきっかけにはなっていたと思いますね。

──これだけ太くてパンチとパワーがある声なので、どこかでそういう大きな声を出した経験があるんじゃないかなと思って聞いてみました(笑)。

PARED そうだったんですね(笑)。確かに応援のときはめちゃくちゃ声出してました。声自体、もともとは高かったんですけど、変声期のときに喉がつぶれちゃったんです。その当時、“声マネ”っていうジャンルがネットで流行ったことがあって。僕もふざけてやってたんですけど、ちょうど変声期が来てたからか、喉が壊れちゃって。痛みが治まったぐらいからこんな(低い)声になって、歌うときも高い声が全然出なくなっちゃったんです。それでも無理やり出してたら、けっこう自分の個性が出始めてきて。きつくない程度に出しつつ、徐々にコントロールできるようになった感じですね。

──特別に音楽と多く触れ合う家庭環境でしたか?

PARED どちらかと言えば音楽に触れるっていうよりも、インターネットに触れるのが早かったかもしれないです。小学校5年生ぐらいの頃にパソコンを親にもらいました。まだYouTubeも今ほどメジャーじゃなかったんですが、『ニコニコ動画』などでいろんな歌い手さんの歌を聴いていて、楽しそうだなと。それ以外は親世代の音楽ばっかり聴いてたんで、ボカロとかも全然わからなかったですね。

──『ニコニコ動画』の「歌ってみた」は、あくまでリスナーとして聴いていた感じですか?

PARED そうですね。自分もコメントとかして盛り上がるのがすごく楽しいという側だったんですけど、反面やっぱり羨ましいというか、“これくらい反応をもらえたら嬉しいだろうな”という気持ちはありながらも、“まあ、たぶん(自分は)やらないんだろうな”と思いつつ聴いてました(笑)。そのあと、ネットでいろんな方と知り合って話したりして、少しずつ “音楽をやる、ネットに投稿する”っていう形になりましたね。

──上京前に動画投稿は始めていたんですか?

PARED 音楽投稿アプリ・nanaには投稿してたんですけど、YouTube投稿などは上京してからですね。

──nana以外で最初に配信を始めたのは、ツイキャスのようですね。

PARED そうです。ただ、ツイキャスでは基本ずっとおしゃべりで、たまに“歌配信”って呼ばれる生で歌って届けることもやってました。そのときはカバー曲を投稿するうえでのルールも知らないし、そこまで歌を投稿したいという欲がなかったんで、“生歌で普通に歌っていられればいいや”って。コロナが流行する前だったんで、それこそいろんな演者さんがいるライブにも呼んでいただいて、多いときは月に7本ぐらい出てましたね。

──会社勤めをしながらだったそうですが、どのぐらいの時期から活動のギアが一段上がった感じですか?

PARED トータルで2年働いたんですけど、勤め始めて1年ぐらいは、ずっとツイキャスをやっていましたね。そのツイキャスで出会った方が、今回のアルバムでも「テレフォン・ラブ」の作詞をしてくださった堂村瑠羽さんだったんです。本当にお世話になって、どうやって投稿したらいいのか、どうやったら再生数が伸びるかなど、右も左もわからない僕にいろいろ教えてくださいました。しかも「ただ投稿するだけだったら、お前のその歌唱力はもったいないから、もっとしっかり考えてやったほうがいい」と、僕をプロデュースしてくれたんです。堂村さんに薦められて、月に15本「歌ってみた」投稿をやって……。

──15本!? 2日に1本ペースじゃないですか。

PARED 堂村さんからは最初「月に10本投稿!」って言われたんですが、それだと普通かなと感じて自分で「15本行ってみます!」って言ってみたんですよ。まあ、思った以上というか、想像以上のキツさでしたね(笑)。最初にバズったのは、back numberさんの「大不正解」っていう曲を顔出しで歌わせてもらったときで、“ここが切り替えるところだ”と感じ、完全に音楽でやっていきたい、と。そこで会社を辞めることにして、有給休暇を消化しながら投稿に力を入れていきました(笑)。きっかけは堂村さんからのそのひと言ですね。そのときの月15本投稿が、チリツモというか土台にあった感じがします。

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