【インタビュー】高橋 優 弾き語り武道館2Daysと新曲「HIGH FIVE」の話を中心に、“ヴォーカリストとしての今”へ迫る!
2022.03.3
取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)
ライブ写真:新保 勇樹
先日、10th Anniversary Special 2Days『弾き語り武道館〜黒橋優と白橋優〜』を行なったシンガーソングライター、高橋 優。
初日(2月8日)を【黒橋優の日】、2日目を【白橋優の日】とし、自身のダークサイドとほんわかサイドを象徴する楽曲に分けて合計44曲を歌い上げた。
Vocal Magazine Webでも、このライブの模様をお届けしたが、余韻醒めやらぬ間にインタビューが実現。
終わったばかりのライブと、2月25日(金)にリリースされる新曲、「HIGH FIVE」について話を聞くことができた。
デビュー10年を越えてのヴォーカリストとしての意識の変化や、
普段のケアなどの話もたっぷりお届けしていきたい。
自分にとって一番何が大事かっていうと、やっぱり一生歌っていくこと。
──日本武道館の2Daysライブを拝見させていただきました。ライブが終わって10日ちょっと経った今(取材日は2月21日)、思い返すとどんな景色が浮かびますか?
高橋 こういうご時世の中で来てくれた方々と、できるだけ向き合って歌いたいという想いがあったので、今回ステージを360度回転するようにさせてもらいました。たぶん僕の思い込みですけど、(東西南北の)北には北の表情があるなぁと。最初は南を向いて歌ってたんですけど、“基本こっち見てくれるんでしょ”みたいな南の安心感もあって(笑)。お尻向けていたほう(北)を向いたら、“こっちも見てくれるんだ!”みたいな感じでテンションが上がったりとか。方角によって演奏する曲も違うからしょうがないんですけど、表情が違ってる気がして。僕はそれを楽しませてもらった感じがしましたね。
──初日【黒橋優の日】の軸になった曲は?
高橋 「ボーリング」ですかね。《面倒臭ぇ!》って連呼する曲なんですけど。あと「オナニー」って曲があって、《馬鹿ばっかりだ》って歌う曲。それらをリリースしたのが2012〜2013年ぐらいだったんですけど、あの頃に“黒橋優だ!”って言う人たちが増えた気がしたんですよね。僕自身は自分を黒だ白だって判断したことは一回もないんですけど、“なんかその辺で言われてたよね”っていうところから選んでいきました。
──中盤に演奏した2曲とは意外でした。オープニングの「こどものうた」あたりから決まったのかなと思ったんですけど。
高橋 そうですね。まぁ「こどものうた」は【白橋優の日】では歌わないなって。あと「素晴らしき日常」は入るだろうなって自分の中で思っていた部分はあるんです。最初にスタッフと“【黒橋】として、どの曲を今回のライブに入れるべきなのか?”って議題にあがっていたのは、ちょっとマイナーな曲というか……。「こどものうた」も僕のインディーズで最初のCDだったりするので、そういうメモリアルなニュアンスがあるものは後回しにして、「ボーリング」はどうするべきなのか……いや、やるでしょ!みたいな。そういう順番だった気がします。
──1日22曲あるので、同じ“黒”といっても高橋さんの中でグラデーションがあったのではないかと思いました。【黒橋】の中では、どんなふうに組み立てましたか?
高橋 セットリストを組む段階では、同じ【黒橋】と呼ばれてきた曲の中でも、アガりそうな曲を冒頭に持っていこうとか、クスッと笑われたりするかもしれない曲を中盤に持ってきたりとか、そういう選び方をしましたね。
──僕は聴いていて黒の中でも漆黒ではなく、“赤黒い”と感じることが多かったんですよね。それは若い頃に顕著な真っ直ぐで怒りの感情を含んだ炎みたいなもの。あとは血の赤色……それは痛みとかに結びつくんですけど。
高橋 自分ではわからないんですよね、それが。わかってたほうがいいんでしょうけど。いろいろ言ってくださる方がいらっしゃって、言っていただけることが一番ありがたいんです。聴いてもらわないとそういう感想も出てこないでしょうから。白と黒って分けた段階で「高橋優は白でも黒でもないですよ」と言ってくれる方もいたし。でも、実際に【黒橋の日】に僕は赤い服を着ていて、ダークな曲を歌うときに赤い照明を入れてくれる人がいたりとか。だから、おっしゃられてるニュアンスもあるんだろうなって思いますね。
でも、例えば“今日オレンジの服を着よう”ってときに、“私は完全にオレンジの人だから”って決意してる人は少ない気がするんですよね。だから自分の中で、“今日これを歌ったら何色に見られるのかなぁ”……っていうのを逆にちょっと楽しみにしてみたりもします。そこの意外性で保ってる部分もある気がしますね。自分が発信したものに対して、みなさんが色以外でも、何かを言ってくださるものに、“へぇ〜”って僕もちょっと(テンションが)上がるというか。
──なるほど。2013年くらいまでの曲については、歌い方や声の出し方が変わったなぁって感じたんですけど、ご自身ではどう思います?
高橋 そうですね。これはもう、“変えた”っていうレベルで変えましたね。
──明らかに周波数が変わったぐらいの聴こえ方に感じて。キーは同じですよね?
高橋 キーは同じです。
──どこを変えたんですか?
高橋 単純に喉を壊したんですよね、2013年ぐらいに。それこそ剥き出しで思うままに歌って、怒りなのか昂ぶる気持ちを感情のままに出して叫ぶように歌ってたら、声帯が壊れて出血しちゃったりして。ツアー中だったんですけど、声が出づらい状態になっちゃったんです。時々ヴォーカリストの方でも使われるステロイドとか、薬の力に頼らないと乗り越えられない時期があったんですよ。
おかしなもので薬を使ってると声って出るんですよね。気持ち悪いぐらい出るので、薬に頼って歌えている状態は良くないなと思ったんです。その辺りから試行錯誤が始まりました。いろんな人の話を聞いたし、僕自身もカラオケに行ったり、いろんな環境下で歌ってみて、2014年ぐらいから少しずつ自分の中での力の入れ方や声の出し方を変えていきました。
──ストリートで弾き語りをやると、それこそ肉声だったりするし、使うにしてもそんなに良いマイクを用意するわけじゃない。道行く人に届けるために無理した歌い方が身に付いちゃうことがありますよね。イメージとしては、そんな歌い方でデビューされた感じなんですか?
高橋 そうだと思います。それを“強み”とも思っていたんじゃないですかね。山から降りてきたまんまみたいな。僕、今でもボイトレとか一回も受けたことないんですけど、いろんな人たちが歌う世の中になって、自分も歌い手として大きいステージに立たせてもらい、何が強みかと考えたとき、路上みたいにガーッと力任せに歌う感じでやっていくんだって、初期の頃は思っていたんだと思います。音程よりパワーだと。始めて3年ぐらいで、そこに限界が来たんでしょうね。
──それもあるでしょうし、年齢とキャリアを重ねて、直接的ではなく、違った表現を曲に与えることも身に付けてきているのかなと感じます。
高橋 今でも“がなったり”するんですけど、その“がなる”っていうことも選択肢のひとつでしかないというか。技術でそれができるようになってるほうが、やっぱり長続きすると思ったんです。2時間半のライブでも、前は“がなったら次の曲でおしまい”って感じだったので。
でも、今はわざと“がなる”技術があったり、逆に“がなった”あとにすごくか細い声で歌うってことも、ジェットコースターの緩急みたいに自分の中で楽しめるようになってきてるんですよ。2014年以降、すごくそこに意識を向けるようになって、そのためには歌というよりも日頃の食生活とか、生活サイクル、あとメンタルがすごく大事だなと思うようになってきてますね。それでだいぶ変わった気がします。
──昔の曲に対して、それを“技術”で歌ったら、曲の持っていたパッションが伝わりにくくなるんじゃないかという恐れもあったかもしれないですよね。
高橋 荒削り一辺倒で、“うあーっ”とやっていた良さもあったから、そこだけを期待する人からすれば物足りないと思うかもしれないですね。でも、自分にとって一番何が大事かっていうと、やっぱり一生歌っていくこと。武道館でも言ったんですけど、“歌うって決めたからには死ぬまで歌う”ってなったときに、歌えなくなることが一番痛々しいと思ったんです。
自分で“歌わなくする日”があるのはいいけど、歌いたくても歌えない状態を自分で作ってしまうのは良くない。パワフルに歌えるようにする選択肢を持つ、そのために身体を鍛えるほうにシフトしていって、すごく可能性は広がった気がしますよね。
──なるほど。その話が聞けて良かったです。ライブレポートを書くために、改めて当時のミュージックビデオを観たんですけど、その歌い方は“斬るか斬られるか”という感じでしたものね。
高橋 実際そうだった気がしますよね。歌い方だけじゃなくて、自分の生き方自体が。東京に来て友達もさほどおらず、僕をスカウトしてくれた人とだけの人間関係で、最初の何年間かは保っていた部分があったので。会う人会う人、“陥れられるかもしれない”と思ってましたもん。
──大きなアーティスト事務所(以前に所属していた事務所)に入ったのに?
高橋 いや、それがね、これはずっと言ってるんですけど、最初に話しかけられたときは事務所のことを知らなかったんですよ。札幌にいるときだったんですけど、10人ぐらいしか入れないようなちっちゃなバーで、その日のオープニングアクトが欠席しちゃったので、たまたま僕が呼ばれて演奏したんです。ギターも持ってなくてメインの出演者から借りたくらいでしたから。
で、バーンと歌ったあと、楽屋から事務所の人に呼び出されまして。そのとき《大人はバカだから》って歌詞の「駱駝」も歌ってたし、場所はすすきので雑居ビルだったし、“これ、殺されちゃうんじゃないか?”って……。実はそのスタッフの人は別のバンドを観に来ていて、「俺、こういう者ですけど」なんて名刺渡されて。それでも僕は怖い人なのかと思ってました(笑)。
──あははは。
高橋 怖いなぁと思って(笑)。名刺の裏を見たらアーティストの名前がたくさん書いてあって、そこに僕の知ってるアーティストさんもあったので、こういう方も関わっているなら、そんなに悪い人じゃないのかなと。そんな感じで事務所に入ってきたので、スカウトしてくれたその人とウマが合ったというか、そこでコミュニケーションが成立したから一緒にやってるけど、関わってると思ってる人は本当に一緒にやった人だけなんですよね、今でも。
──良い悪いは別にして、もともと高橋さんは看板の大小に興味がないんでしょうね。
高橋 事務所に入った頃は、対バンしたときに楽屋で“将来安泰でいいね”って言われたことがありました。“大きなお城の中にいるんだったら、もうちょっと安心すればいいのに、俺”と自分で思ってましたね。それなのに、“斬るか斬られるか”……(笑)。
──そこはもう、常に退路を断って道を選んできた人生だと思うので、高橋さんは。
高橋 路上ライブをやってたとき、“ウチからCD出さない? ついては何十万円払ってください”と言ってくるような大人がいっぱいいたので。人の夢を良くない方法でお金にしようとする人たちの表情とかを見てきてるから。
こうやって出会ってお話して、同じ目的があったり、金銭の話も発生するけど、いい人と出会うとその金銭の話にイヤな匂いがしない。血生臭い感じじゃなくて、本当にみんながハッピーになるためのもののような感じがしてくるんですよね。
今でも一緒にやっている、あのとき僕をスカウトしてくれた人との繋がりで出会わせてもらった箭内道彦さんとか、バンドメンバーとは、ちゃんとお金のことも把握した上で、みんなで清潔にひとつの目的に向かってる感じがある。やっぱり人間は、人間関係が物を言うのかなって気がしますよね。