【インタビュー】浜口飛雄也(moon drop)、ラブストーリーを描き、感情のままに歌う。自身が大事にしている温かい想い

2022.01.21

取材・文:鈴木 瑞穂(Vocal Magazine Web)

1月19日(水)、“愛だの恋だのラブソングだけを歌い続けるバンド”、moon dropが1stフルアルバム『この掌がまだ君を覚えている』を発売した。

アルバムには全11篇のドラマチックなラブストーリーが詰め込まれており、この作品を耳にすればきっと、自身の恋愛と重なって胸がキュンとなる1曲に出会えるだろう。

今回はそんなmoon dropからラブソングの生みの親・浜口飛雄也(vo)が登場。アルバムにおけるラブソング・ライティングから、ラブソングを生み出すきっかけとなった浜口のヴォーカル・ルーツ、そしてライブを軸に活動を続ける彼らのステージにかける想いについてじっくり聞いた。

ラブソングばっかり書いている。そういう曲ばかり聴いてきたので自然とそうなっちゃったんです。

──まずは“愛だの恋だのラブソングだけを歌い続ける”浜口さんのルーツから紐解いていければと思います。スバリ、小さい頃からよく恋愛をされていたんですか?

浜口飛雄也 あははは。いや……そんなに小さい頃から恋愛経験豊富というわけではないです(笑)。ドラマチックな雰囲気の曲が好きだったりするので、ラブソングを歌っているのはそこから来てますね。

──そうでしたか(笑)。歌は小さい頃から歌っていたんですか?

浜口 僕は兄ちゃんと姉ちゃんの3人兄弟なんですけど、お父さんが音楽をやっていた影響で3人とも学生時代はバンドをやっていたり、音楽に触れる機会は多かったんです。でも、ギターヴォーカルを始めたのが高校1年生のときだったので、歌に触れる機会はそこからですね。

──小さい頃はどんなヴォーカリストを聴いてました?

浜口 親の車で流れてたのはMr.Children。あとは兄ちゃんの影響でかりゆし58、姉ちゃんが聴いてたのでチャットモンチーもよく聴いてました。家族の影響は強いですね。また、音楽をよく聴き始めた中学生ぐらいの頃は、RADWINPSをめっちゃ歌ってました。難しくて……まだまだヘタクソながら地元のカラオケですごい歌ってましたね。

──back numberの曲に出会い衝撃を受けて、バンドに興味を持つきっかけになったと聞きました。

浜口 姉ちゃんの車で流れていた「西藤公園」という曲を一番初めに聴いたんですけど、なんかもう……頭の入りから持っていかれまして(笑)。歌詞もそうなんですけど、曲作りで一番大事にしているのはメロディなので、僕が思う気持ちいいメロディラインのドンピシャをいっていて、ハマりました。僕がラブソングばっかり書いてるのは、そういう曲ばかり聴いてきたので、自然とそうなっちゃったんです。

──back numberのどんな部分に衝撃を受けましたか?

浜口 言葉選びなんですけど、それこそすべて言葉で言っちゃわないところ。例えば「西藤公園」の最後も《私は冬が好き/僕は、君が》で終わるんですよ。そういうドラマチックなメロディラインと言葉がすごくマッチしているところが好きです。

──浜口さんがギターヴォーカルを始めたのは高校1年生だそうですね。moon dropは、高校2年生(2014年)のときに、浜口さんとギターの清水琢聖さんを中心に結成したと聞きました。

浜口 琢聖とは高校のとき地元のライブハウスで出会いました。お互い違うバンドをやっていたんですけど、同じタイミングで両バンドとも解散することになって。琢聖は初対バンしたときから僕のことが気になっていたみたいで、“一緒に音楽をやりたい”って誘ってくれました。でも僕、1ヵ月くらい連絡を返さなくて(笑)。組んでいたバンドが解散したあと、ひとり弾き語りでライブをしていたから、またバンドをやるっていう実感があんまり掴めなくて……。でも、地元のライブハウスで先輩のライブを見たら“やっぱり弾き語りよりバンドをやりたい!”って気持ちになって、琢聖に連絡しました。

──弾き語りのときからオリジナル曲を作っていたんですか?

浜口 そのときはカバーを歌っていて、back numberの曲を歌ってました。きっかけはmoon dropを結成してライブが決まって、“なんとかオリジナル曲でやりたい!”と思って、そこから急いで作って皆に聴かせて。

──それはラブソング?

浜口 全曲ラブソングです。でも、ラブソングを作ろうと思って書いたというよりは、なんかもう出来上がったらラブソングだったみたいな感覚で。歌詞も、今回のフルアルバムから少しずつ物語を書いたりしてるんですけど、今まではほぼほぼ実体験です。

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