【ヴォイストレーナーインタビュー】Mayu Wakisaka(ヴォーカル・ディレクター/東京)
2024.03.29
取材・文:藤井 徹 撮影:ヨシダホヅミ
Vocal Magazine Webでは、全国各地の優秀なヴォイストレーナーさんを講師に迎え、2022年より「歌スク」というオンラインレッスンのサービスを展開してきました。残念ながら「歌スク」のレッスンサービスは2024年3月で終了となりますが、これまで同様にVocal Magazine Web誌上で歌や発声のノウハウを教えていただける先生として、さまざまな形でご協力いただく予定です。
読者の皆さんの中にも「歌を習いたい」、「声を良くしたい」とスクールを探している方は多いと思います。その際に、ぜひ「歌スク」の先生の素晴らしさを知っていただきたいと思い、各先生のインタビューやプロフィールを掲載させていただきます。読むだけでも役に立ちますし、トレーナー選びの参考にもお役立てください。
今回登場いただくのは、NiziUやTWICE、リトグリやゴスペラーズへのヴォーカル・ディレクションを担当するなど、国内外で活躍するヴォーカル・ディレクター、Mayu Wakisaka先生です。
講師プロフィール
Mayu Wakisaka
ヴォーカル・ディレクター
TWICE、NiziU、リトグリ、ゴスペラーズらのヴォーカル・ディレクションを担当。プロとして必要な表現力を身に付ける特別レッスン!
大阪府出身。京都大学法学部在学中に『ボーカルクイーンコンテスト』などで優勝する。大阪市立大学法科大学院に進学するも1年で中退し渡米。LA Music Academy(現LA Collage Of Music)にて、ティアニー・サットンらに師事する。在学時に制作した「24hours」はソニー“WALKMAN”のプレロードソングとして搭載され全世界で発売された。帰国後はシンガーソングライターとして活動しつつ、TWICE、NiziU、西野カナ、MISIA、ゴスペラーズ、TXT、King & Princeなどへ楽曲や歌詞を提供。Twice、NiziU、Little Glee Monster、ゴスペラーズなどの現場でヴォーカルディレクションも担当している。
ジャンル | J-POP、ロック、R&B、ボカロ、フォーク、演歌、洋楽、アイドル、ラップ/ヒップホップ、K-POP、ミュージカル、歌謡曲、カントリー、シティポップ |
好きなアーティスト | 自分が関わったすべてのアーティストさん |
趣味 | 魚釣り |
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講師からのメッセージ
実際にメジャーレーベルの第一線で活動する講師のレッスンをぜひ体験してください。
単に良い声が出る……だけでは成功が難しい音楽業界。人を惹きつける歌唱スタイルを身につけていきましょう!
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/
講師インタビュー
全部で4〜5個ぐらいのバンドを掛け持ちしてましたね、大学時代は。
──歌を始めたきっかけから聞かせてください。
Mayu Wakisaka 自分がそんな歌うまいとは思ってなくて、中学3年生か高校1年生か、そのあたりに友達と一緒にヤマハのカラオケコンテストが地元であったので、それに行ったら自分が大阪代表になって、東京の恵比寿ガーデンプレイスかどこかの本選に連れて行ってもらったんですよね。当時の大阪の中高生なんで、「歌を歌うだけで新幹線代も出してもらえて……」みたいな。そのあたりからですね、調子こいてきたのは(笑)。ちょっと面白い後日談で、そのときの審査員をしていたのが、実はゴスペラーズの皆さんだったんですが、最近ゴスペラーズに楽曲を提供させていただいたりしてるんです。当時の15歳ぐらいの自分に言ってあげたい。「続ければこんなことが待ってるよ」みたいな。
──オーディションで何を歌ったか覚えていますか?
Mayu Wakisaka 曲名は覚えてないですけど、UAの曲を歌いましたね。
──なんとなく応募したら大阪代表に選ばれてしまったんですね。それまではピアノなどをやっていたんですか?
Mayu Wakisaka クラシックピアノは普通に習ってました。ただ、弾き語りをするためのコードとかは全然知らなくて。中学校のときにコンピューターミュージックの授業があって。それで打ち込みが上手な子と一緒に発表会的に歌ったりはしてたんですけど、まさかコンテストを受けて東京に行けるとか、そこまでは全然考えてなかったですね。
──そこから歌ってみる回数が増えたんですね。高校時代はバンドですか?
Mayu Wakisaka 男子メンバーとガンズ・アンド・ローゼズのカバーバンドをやってました。「エアロスミスとは?」みたいな長電話がかかってくるんですよね(笑)。出番も学祭ぐらいしかなかったんで、ガンズ、オジー・オズボーン、エアロスミスとかを混ぜてやってました。大学に入ったら、いろんなカバーバンドに誘われましたね。
──ジャンルはバラバラ?
Mayu Wakisaka バラバラです。「インコグニートのカバーバンドに入ってくれ」とか、当時シェリル・クロウとかアラニス・モリセットみたいなシンガーソングライターの楽曲が好きだったんで、そういったカバーをするバンドをやったりオリジナルを作るバンドも始めて……。あとは「おじさんバンド」もやってました(笑)。大学のOBバンドだったんですけど、それはジョニ・ミッチェルとかリッキー・リー・ジョーンズとか、まさに「おじさんバンド」ですよね(笑)。全部で4〜5個ぐらいのバンドを掛け持ちしてましたね、大学時代は。
──京都大学の音楽サークルですか?
Mayu Wakisaka 全部サークルです。オーディションとかコンテストに話を戻すと、「音楽学校に行くか京都大学に行くか」と自分で考えたときに、音楽学校って専門学校なんで、2年ぐらいしかないのと、つぶしが効かなさそうで怖いなって思いがあったので、京都大学に行くことにしました。その中で「一番長く音楽をできるのは、医学部のサークルに入るってことだな」と。
──医学部は6年間ありますからね……。
Mayu Wakisaka そうそう。「仮に留年しても医学部のサークルに入っておけば、6年まではできるな」っていうことで、私が入ったのは医学部サークルですね。もちろん変人はたくさんいます、変人ばっかりです(笑)。まあ、サークルの中は卒業したおじさんのバンドって感じですけど、学食とか行くと、「この人はただ学食にご飯を食べに来る近所のおじさんなのか、十浪ぐらいしてる学生なのかわからない」って伝説の噂がある人とかいました(笑)。
──学生時代はプロを目指す具体的な活動をしていましたか?
Mayu Wakisaka ホリプロとヤマハが共催していた『ボーカルクイーンコンテスト』で優勝したので、ちょっとテレビをやったり、ラジオをやったり、ヤマハとデモテープを交換したりってことはやってました。最終的にホリプロかヤマハかに所属って話があったんですけど、ホリプロは菊川怜(東大)の対抗馬で、まずグラビアからをやらせたかったみたいで……。それでヤマハを選ぼうと思ったんだけど、担当の人が事務所に行ったらいなくなっていて。「Mayuちゃん聞いてない? あの人、福岡へ転勤になったんだよ」と……。それでどこにも入らず、ですね。
「私が踊らなくていいならば書きます」っていうことで(笑)、海外アイドルの作曲を始めました。
──そこから、どうやって音楽を続けましたか?
Mayu Wakisaka そのあと、甲陽音楽学院の主催でオリジナル曲を出させてくれるというオーディションがあって、それを京大医学部バンドと一緒に出て優勝してCDも作ってもらいましたね。草の根プロモーションとかもけっこうしたんですけど、最終的にメンバーは「ミュージシャンになるか医者になるか」っていうところで、医者になるっていう正しい選択をして……(笑)。自分はどうしようかなって悩んでたときに、テレビ朝日で『サマーソニック』に出るバンドを作る『Pro-file』っていうTVオーディションに出て優勝して、サマソニに出たんですけど、それも番組打ち切りとメンバー不仲でバンド解散になり……。その頃ぐらいにちょっと心が廃れてきたので、ちょっと心を入れ替えて「法科大学院でも行って人生整えるか」と思って、大阪市立大学の法科大学院に通うんですけど、やっぱり1年ぐらいで「音楽したいな」っていう気持ちになって。そのときに思ったのが「ここまで大人の事情でいろんな人にすごい振り回されたから、振り回されないようなスキルをちゃんと身につけないといけないな」と。洋楽テイストの楽曲が好きだったので、「勉強するんだったらアメリカに行こう」と大学院を辞めて、1年ぐらいバイトしてお金を貯めてアメリカに行きました。
──それまでヴォイストレーニングは受けていたりは?
Mayu Wakisaka ヤマハから話があったとき、太田先生っていうaikoちゃんとかも教えてた先生に習ってて、この先生からは習いたいなと思ったから、自費になってもそこそこの期間は習ってましたね。
──アメリカはロサンゼルスだったそうですが、ロスを選んだ理由は?
Mayu Wakisaka 学費が一番安かったから(笑)。ニューヨーク、ボストンと比べてロサンゼルスのほうが安い音楽学校で、なおかつ大学じゃないから、一般教養的な第二言語とか大学的な単位を取らず、最低限のスキルっていうのを教えてくれる専門学校が多かったのはロサンゼルスだったので。それでMIかLos Angels Music Academy(現Los Angels College Of Music)で悩んで、Los Angels Music Academyのほうに行きました。
──何科に通っていたんですか?
Mayu Wakisaka ソングライティングの授業もあったけれど、基本はヴォーカル科ですね。
──LAでは、どういうレッスンでしたか?
Mayu Wakisaka たぶん、私がちょっと特殊なところではあるんですけど、自分が行って3ヵ月ぐらいした時点で、ヴォーカルのトップの先生がいろいろなトラブルで辞めたんですよね。すると、次の先生が来るまでの間、繋ぎのいろんな先生がやってきて相性を見るじゃないですか。当時は不安いっぱいだったんですけど、最初の先生のテクニックを3ヵ月学んで、間にくる先生でいろんなミュージカル系の先生の指導だったりとか、ボイトレひと筋の先生の指導だったりとか、あとはジャズ系の先生の指導もあって……次、誰がトップになるのか、激動の戦国時代ですよね(笑)。そこでいろんな手法を学べたっていうのはあって。それが次の3ヵ月ぐらい。最終的にはティアニー・サットンって言ってグラミー賞に8回ぐらいノミネートされているジャズの先生がトップに入られたので、そこからはけっこうジャズ寄りの発声を勉強しましたね。
──このままアメリカで活動しようという考えは?
Mayu Wakisaka 願わくばそのままアメリカで活動したかったんですけど、やっぱりなかなか大変な世界っていうのもあるし、ビザが切れたとかあって……。でも、少なくともアメリカでやっていけるぐらい頑張れば、日本で何とかなるだろうっていう考えもあったので。できるだけベストを尽くして、ビザと貯金が切れた時点で帰ってくるんですけど、アメリカで撒いた種っていうのが学生時に作った楽曲がソニーのウォークマンで選ばれたのは、アメリカで公募してたので、送ったものがちょうど日本に帰国するぐらいに発売になって。そこから「ソニーのウォークマンに載ってるシンガーがいますよ」っていうことで、今のソニーの担当に紹介されたりとかしたので、点と線は何とか繋げていけました(笑)。
──帰国後はシンガーとして活動しながら、楽曲提供も同時に増えていった感じですか?
Mayu Wakisaka 曲をたくさん作り始めたきっかけというのが、学生時代に『ER』っていうTVドラマのミュージック・スーパーバイザーが学校に来たときに、「私が授業で録音した楽曲を聴いてくれ」ってCDに焼いて渡したんです。そうしたらこれをドラマで使いたいと言ってくれて。ただ授業で録ったから雑音が多すぎて無理になっちゃったんですけど……。ただ、「アメリカって人種だったり見た目とかも気にせず、曲が良かったらこんなに反応してくれるんだ!」と思って。それプラス、やっぱり声のいい人はすごく多いので、その中でオリジナリティを出すためには曲を書けたほうがいいなっていう気持ちもあって、曲を作り始めたんですよね。で、それと同じことを日本でやろうと思ったんですけど、思いのほかTVドラマとか映画で使われてる曲っていうのが、かなり政治の力で決まっていて、「どこの馬の骨とも知らないけど、曲が気に入ったらどんどん使いたいから探す」っていう人が……いまだに出会ってない(苦笑)。それでちょっと力尽きかけたところに、周りの人も「楽曲はすごく良いんだけど、海外向きだよね」と。実際そのときに決まっていた仕事もシンガポールのTVドラマのサブテーマソングになったり、韓国のTVドラマの挿入歌として使われたりしてたんです。「日本ではWakisakaさんの楽曲の使い方がわかんないから、試しに他の人に楽曲を書くっていうことに興味ありますか?」って言われたんで、「私が踊らなくていいならば書きます」っていうことで(笑)、海外アイドルの作曲を始めました。
──最初はK-POPからでしたか?
Mayu Wakisaka 韓国ですね。miss AっていうTWICEのお姉さんグループなんですけど、「Love Song」(2015年)という曲が最初のリリースだったと思います。デモを作るときの歌詞は全部英語で書きます。そうすることで、韓国にも日本にも、ともすれば中華圏にもピッチングができるので、仮歌は全部英語で書きます。
──そのまま「仮歌だけでなく、本番の歌詞も書いてよ」みたいな話になったり?
Mayu Wakisaka 韓国語はもちろん韓国の人が歌詞を書くのですが、日本盤だと私が作った英語のデモに対して「日本語詞を書いてください」ってことはありますね。
──楽曲提供を始めると、またそれまでと意識が変わりましたか?
Mayu Wakisaka めっちゃ変わりましたね。何が嬉しかったかって言うと、リリースに向けて「いい曲」を作れば良くて、その他の心配が要らないっていうのがまずひとつ嬉しくて(笑)。ミュージックビデオも撮ってくれるし、ミックスもマスタリングもみんな向こうがやってくれるから、いい曲を作ることに専念できたのがありがたかった。それと、やっぱり自分のアーティストパワーだけでは、なかなかドームが埋まらないじゃないですか。でも自分がやったバックヴォーカルが東京ドームでフーッと流れて、みんながワーってなってるのを見ると、すごい嬉しいですよね、やっぱり。
──バックヴォーカルのレコーディングに参加されることも多いんですね。
Mayu Wakisaka はい。アーティストも忙しいので、たまにデモに入れたバックヴォーカルをそのまま採用することもありますし。
──ヴォーカル・ディレクションをするようになったのは、どういう流れだったんですか?
Mayu Wakisaka 楽曲提供と並行してTSM(東京スクール・オブ・ミュージック)で歌も教えていたので、教えることはできるっていうのがひとつと、日本で特に楽曲が決まり出したときに、自分の楽曲をできるだけ良い状態で録りたいから、「ヴォーカルのディレクションもできますよ」って売り込みをしたんです。その曲のことを一番わかってるのは自分だし、普段から生徒にも接して、良いものを引き出すことをやってるので、「ヴォーカル・ディレクターとして私を使いませんか」っていうことでプレゼンをかけたら、「じゃあ、ぜひお願いします」ということでディレクションを始めましたね。
──それはK-POPのアイドル?
Mayu Wakisaka 日本のほうが多いです。K-POPの場合は日本語バージョンを録るときとかですね。
──そこでは、彼女ら、彼らに直接会って?
Mayu Wakisaka そうです。
生徒さん一人一人を見ながらベストを引き出すっていうのは、すごく得意だと思います。
──ちょっと話を戻しますと、歌を教えようという気持ちが芽生えたのは、いつからですか?
Mayu Wakisaka 教えようっていうよりも、自分がロスで学んだときの経験なんですけど、自分が「この人いいな」と思った先生はパフォーマーでもあり、例えば自分が長く習ったテジエニー・サットンはグラミー賞にも7〜8回ノミネートされつつ、LA Callege Of Musicのヴォーカル科のトップだったわけじゃないですか。なので、わりとパフォーマンスもしながら、何か創作活動もしながら、なおかつ教えているっていうミュージシャン像はすごく身近だったので。「そうだ、先生になるぞ」とか、あんまりその垣根はなかったんですね。わりとロールモデルの人がそういったパフォーマンスや創作もしつつ教えるってことをしていたので。
──トレーナーということも、Mayu Wakisakaさんを構成する要素のひとつであるっていうことですね。
Mayu Wakisaka はい。あとはやっぱり自分が教わった身としては、実践を積んでいる先生の教え方のほうがすごくわかりやすいとか、これはアメリカの授業あるあるなんですけど、良い先生はツアーに出るから、滅多に来ないんですよ(笑)。滅多に来ないわりに、その1回2回の授業で得る重さがメチャメチャ重い。悪いところの見抜き方とか、こうしたら良くなるっていうときのエクササイズのくれ方とかが、即効性もあるし、すごく良かったので。そういったサークルをしている先生の側にいたので、自分もそれをやっていくっていうのが普通。何も考えずに「そんなもんかな」と思ってました。
──教えることは性に合ってると感じますか?
Mayu Wakisaka そうですね。例えば何々テクニックを学んだとか、誰々の門下生でとか、そういうバックグラウンドや枠組みの中で教えることはすごく苦手だと思うんですけど、ただ、いろんな先生に学んだりとか、自分の音楽性もいろんなフェーズ……アーティストをやったり、ロックをやったり、ジャズをやったりと変わっていく中で、「このジャンルをやるときにはこの発声が効いた」とか「このジャンルのときはこの発声が必要になった」っていう積み重ねがあるので、生徒さん一人ひとりを見ながらベストを引き出すっていうのは、すごく得意だと思います。
──そしてトレーナーだけではなくて、ディレションという目線で教えることもできますよね。
Mayu Wakisaka そうですね。特にディレクションに関しては、デモを作ったり、自分が歌詞を書いて仮歌を入れているので、自分で自分のヴォーカル・ディレクションをすることが多いんですよ。「あ、ちょっと(歌のリズムが)ハシったな」と思ったときに、「ハシったから、ゆったりしよう」じゃなくて、自分がハシってるのは姿勢が問題なのか、ここに手を置いてるからなんだろうか?とか、何か原因があるんですよね。それを自分で考えてフィックスしてとか、ちょっと滑舌が悪いなと思ったら、こういうエクササイズをすればちょっと良くなるから、ちょっとエクササイズ・テイクを録って、もう一回レコーディングをする。そうやって自分がやってることを、そのまま人にやるだけです(笑)。
──なるほど。デモのレコーディングした状態を聴いて、「ここをこうすれば、たぶん改善するぞ」とか、それを日常でやられているから、生徒さんであっても見分けることがしやすいわけですね。
Mayu Wakisaka はい。しかも人にやるから自分にやるより、うんと気持ちもラクですね。
──個人としてレッスンはやっているんですか?
Mayu Wakisaka まず、そんなにSNSではレッスン自体の告知をしていないので、口コミというか、大体ディレクションに行った先のエンジニアさんの紹介だったりとか、そんな感じで「練習生を教えてください」っていうことはありますね。ディレクションをやってるぶん、結果を出すのは早いなと自分でも思ってはいるので、そういったスキルを提供したいなと思いつつ、日々の作家活動が忙しいので、広告が間に合わなかったんですね。そのときにこの『歌スク』のお話をいただいて、すごく助かりました。
──Wakisakaさんのレッスンは、目的をはっきり持った子のほうがやりやすい感じになりそうですか?
Mayu Wakisaka 楽しく発声をするっていうことも全然できます。例えばマレーシアへ行ったときは、クリスマスイベントで、リゾートに来た人が楽しめるっていうヴォーカルエクササイズ企画をして、2時間の間にギターとかピアノのバッキングに合わせて「自分の思いの丈を即興で歌で伝えられるようになろう」というエクササイズをして、それはすごく面白かったです。そういったプロになる以外のアプローチももちろんできるし、そのときに面白かったのは、そこのスタッフさんで時間が余ってた人も参加していたんですけど、もう思いの丈のストーリーがメチャメチャ濃厚っていうか……。仕事に行くためマレーシアまでの飛行機の切符をどうやって手に入れたかとか(笑)。
──違う国の方だったんですね。
Mayu Wakisaka そう、違う国の人です。いわゆる外国人労働者の苦しみってところかもしれないんですけど、感動するみたいな。「そういう気持ちで海を渡ってきたんだ」とか。周りの人も、うんうんってすごい感動してて。そういうエクササイズもできるし、単純に「カラオケで元気を出したい」っていう人もできるんですけど、ただ、自分が特化して「他の人よりすごくプラスアルファで提供できますよ」ってなると、やっぱり「今求められているヴォーカルのスキル」だったりとか、表現だったりとか、カラオケでみんなに褒められるヴォーカルになって終わるまでのスキル以上のところを、日々日々接してるのは自分だなとは思います。
──ある程度できあがってる子と、そうでない子だったら、どっちがいいとかありますか?
Mayu Wakisaka どちらでも大丈夫ですね。できあがってないからこそ、変な癖とか色が付いてないので、どんどん声を出せば出ていく子っていうのもいるし、逆にできあがってるせいで、よくあるのは悪い癖って付くとなかなか取りづらいんですよね。悪い癖は取るように努力するんですけど、例えば萎縮する癖……特に頑張ってきた子に多いんですけど、「ここで頑張りたい」っていうので、クッと締めるような癖が付いていて、それをまず自覚してもらって取っていく作業も、何もできてない子に「歌って、こういう風に歌うんだよ。こうやって声を出すんだよ」っていうのも同じぐらい大変な作業ではあるから、どちらでも全然大丈夫です。
歌の中で発声っていうのは30%に過ぎない。
──わかりました。では読者の皆さんにメッセージをいただけますでしょうか。
Mayu Wakisaka はい。ビギナーの方からアドバンスの方まで、ぜひレッスンを受けていただけたらいいなと思うんですけれども、特に「やっぱりプロになりたい」……で、プロとして必要な表現力だったり、あとはトレンド……といっても変わっていくから一概には言えないんですけど、トレンドとか、あとジャンルだったりとか、単に発声を超えた表現力を身につけたい方には、なかなか他では提供しづらいスキルとかもお伝えできるかなと思います。あと、このウェブサイトを見てる人に、歌の中で発声っていうのは30%に過ぎないっていうことを覚えててほしいなと思っていて。声を出すほかにも、例えば悲しい曲なのに、「声が出て気持ちがいい」っていう気持ちとか、声が出てる自分に溺れて悲しい歌を笑顔で歌ってる子がすごく多いので、発声は30%で、そのあとの滑舌の良さ、リズム感の良さ、表情の作り方、すべてが整ったときにプロとして表現ができたり、人の心に届くので。何か自分が欲しいスキルを身に付けるときに発声にとらわれず、私に限らず、どの先生が発声も含めて、「どんなスキルを持っているのかな?」っていう点で見てもらうと、すごく有益かなと思います。
──ありがとうございます。最後にもうひとつ。先生にとって「歌がうまい」ってどういうことだと思いますか?
Mayu Wakisaka 歌がうまい人は、「人の心に響く歌」が歌える人で……例えば、ボブ・ディラン。ディランが最高っていうわけじゃないんだけど、彼はカラオケ選手権で絶対優勝しないですよね(笑)。でも、やっぱり永遠に人の心に刺さり続ける。さっき出した例だと悲しい歌を笑顔で大声で歌う人は、歌がうまい人ではないですね。だからさっき言った通り、発声は30%なので、声が良くて表現力もあるという人もいれば、レンジはすごく高くないんだけど、奥田民生さんとかもそうですよね。たぶんレンジはそんなに広くないけど、やっぱり彼が歌うと味が出るし人の心には届く。MISIAもやっぱり声がいい上に表現力がある。やっぱりMISIAの歌がよくオーディションで選ばれるし、MISIAの曲を歌ってオーディションで優勝する子はいるんですけど、MISIAを超えるいい声の歌手が出てこないのは、やっぱり彼女の表現力……伝わる力を超えられている人がいないっていうところが大きいと思うので。歌のうまい人は、そういった人の心に届く表現力を持ってる人だと思います。
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/