【インタビュー】Tani Yuuki、1stアルバム、絢香との共演、そして生粋のシンガーソングライターとしての強い想いを語る
2022.03.23
取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine web)
2020年にTikTokやYouTubeへ投稿した「Myra」が10代を中心に話題となり、同曲の配信音源は累計ストリーミング1億回を突破。
デジタル・ネイティブ世代が最も注目するシンガーソングライターのひとりが、Tani Yuuki(タニ・ユウキ)だ。
その「Myra」や5thシングル「W/X/Y」など14曲を収録した1stアルバム『Memories』は2021年12月に配信リリースされ、好調なチャートアクションを見せた 。
そしてファンからの熱い要望を受けて、4月6日(水)にタワーレコード/タワレコオンラインにて、フィジカルCDのリリースが決定!
また、自身の公式YouTubeチャンネルでは、“Re:tter”という企画をスタートし、リスペクトする絢香との共演が話題だ。
今回のインタビューでは、アルバム収録曲や“Re:tter”について。また、シンガーソングライターとしての強い想いを語ってもらった。
言葉ではあまり伝えられないけど、歌ったら発信ができる。
──初めにTaniさんが歌うことになったきっかけから聞かせていただけますか?
Tani 中学でソフトテニス部に入っていたんですが、水分を摂らずに練習を続けることがあって、2年生のときに脳脊髄液減少症っていう病気になってしまったんです。それで部活はもちろん学校生活がままならなくなっちゃったんですよね。その後、病気は落ち着いたんですが、学校を休んでいて表の世界と遮られたから、自分の心境と外の世界とのギャップがすごく大きくなって。自分の思ってることを外に出せない、表に向かって発信できないっていう時期がありまして。
そんな僕を見て、祖父が「楽器とかやってみたらどうだ」ってアコースティックギターをくれたんです。最初は興味本位でコードも押さえず弾いていたんですが、徐々に曲をカバーしていく中で、ちょっと歌ってみようかなと。カバーした曲の歌詞に、自分が吐き出せなかった気持ちを重ねることがすごく多くなって。“俺は話す言葉ではあまり伝えられないけど、歌ったら発信ができる”と思えたんです。
──具体的にどんな曲をカバーしていましたか?
Tani YouTube上で初心者レッスンをされてる方がいて、それを観ながら練習していました。スピッツの「チェリー」、サスケの「青いベンチ」、YUIの「CHE.R.RY」などをやってましたね。
──今は鍵盤楽器もプレイするそうですが、それはいつ頃から?
Tani 高校を卒業してから音楽の専門学校に2年間通っていたんですが、その1年生の終わりか2年生の頭ぐらいです。シンガーソングライターコースに入っていて作詞作曲を始めていたので、コードを弾くときに、今どの音が鳴ってるんだろう? これをちょっとずらしたら、どんな音になるんだろう?というのが、ギターより見やすい。これは僕に必要な要素かなと思って始めました。
──ヴォイストレーニングの授業もあったかと思うのですが、そこで習ったことで今の基盤になったことはありますか?
Tani 僕、あんまり真面目にボイトレに通わなかったんですよ(笑)。入学してすぐアコースティックユニットを組んだんですけど、まだ、“僕のオリジナル曲です”って出せる曲がなかったんですよね。でも一緒に組んだメンバーには何百曲も素材があって、なんなら配信もしてた。うわっ、悔しいなと思って僕の作詞作曲の意欲に火がついて、“ボイトレ? そんなの知らないよ!”ってなった(笑)。
でも、“い〜”と発音しながら1度の音から5度の音に跳んで、ゆっくり1度に戻ってくる発声練習はすごくためになりました。声帯を柔らかく伸ばすストレッチは、今でも別の先生にボイトレをやっていただくときは、それに似たことをやっています。
──ほかに、作詞作曲の授業などで役立った授業は?
Tani セルフプロデュースの授業があって、コード進行のアドバイスをしてくれるんです。僕の作る曲にはこういうパターンがあって、「ちょっとこれを変えてみると、もっと広がりが出るかもよ」みたいに教えてくれて。その授業はめちゃめちゃ出てましたね。
──当時から自分のオリジナリティがあったと感じますか? 誰かに似ちゃうと嫌だなと考えながらやっていたのかなど、そのあたりを聞かせてください。
Tani 高校生ぐらいからRADWIMPSがすごく好きだったんです。キャッチーなメロディもですけど、特に歌詞の世界観や言い回しが僕の中ではまって。“今の僕にはこんな歌詞は書けないな”って、それがひとつの目標になったんですよね。似たくないということよりも、“野田洋次郎さんみたいな曲を書きたい”っていうのを意識して作ってました。
──リスペクトする存在であり、目標でもあったんですね。
Tani そのときは“僕自身”というのがまだなかったので。今でこそ個性とか僕自身のやりたいこと、書きたいことが出てくるんですけど、当時は本当に見様見真似というか。メロディとかもう、すごく意識してました(笑)。
──最初はマネすることもすごく勉強になるじゃないですか。それでいろいろ発見していくのだと思いますし。
Tani そうですね! どうしたって洋次郎さんにはなれないので。
──アレンジも学校で身につけていったんですか?
Tani 学生時代にはまったくやってませんでしたね。専門学生の2年間だけバンド組んでたんですが、そのときはベースのメンバーがアレンジをしてました。そのバンドが卒業するタイミングで“活動を休止しようか”となったときに、曲をアレンジしてくれる人がいないし、アレンジを頼むお金もない!となって(笑)。なけなしのお金でMac BookとLogic(DAWソフト)を買って、そこから僕のアレンジ人生が始まりました。
──楽曲のもとは、おもにギター1本で作るんですか?
Tani だいたいそうですね。頭の中では、“ここにこんなドラムが入ってたらいいな”とか、“ピアノを重ねて広がったらいいな”みたいなことを思いつつ。自分でアレンジをやっていたものの、人前に出せるクオリティじゃないっていう自覚はあったので、その間はアコースティックギターのバージョンをアップしつつ、裏でDAWを使って曲を作る作業を並行していました。
──動画を投稿するようになり、マイクやオーディオインターフェースの知識も蓄積していったと思いますが、始めた当時の機材、現在の機材を教えてください。
Tani RODE(ロード)の1万円ぐらいで買ったマイクと、インターフェースはスタインバーグのUR12とかのちっちゃいやつで、ポップガードも薄い布のもの。ドラクエで言うと“木の棒と布の服”みたいな、“ザ・初期装備!”で録ってましたね。今はだいぶ進化しまして、インターフェースがUNIVERSAL AUDIOのapolloで、マイクはTELEFUNKENのTF-47です。モニタースピーカーはADAMを使っています。当時はパソコンの内蔵スピーカーで制作してて……今思えば、ありえないですね(笑)。宅録やデモ段階での歌録りは自宅でするんですけど、本番のレコーディングはちゃんとしたスタジオで録ってもらう形を取っています。
──自宅での録音や録画、配信という作業で、試行錯誤の末に見つけたことなどはありますか?
Tani 僕自身で完結しようと思って始めたんですけど、技術的にミックスがやっぱり課題だったので、人に任せてみたら、つっかえてたものが砕けて、ちゃんと流れるようになりました。例えば「Myra」のオリジナルバージョンは全部僕がやってるんですけど、ミックス、マスタリングっていう行程はほぼ皆無で。だから配信されている音源の音とかすごいちっちゃいんです。最初はそういった自分に足りない部分を人に任せるのは少し抵抗あったんですけど、任せてみたらすごく良い方向に流れていった、みたいな。
──歌は最初から思ったように録れたんですか?
Tani いえ、一番初めに録った音はバキバキに割れていて、割れてるくせに通らない、みたいなのがあって(笑)。そこからEQをいじることを知ったり、コンプレッサーをかけるんだと覚えていきました。いろいろやっていったうえでたどり着いたのは、“1万円のマイクだと限界があるな”ってところでしたね。高いものに変えてみて、“あ、こんなに違うんだ”ってなりました。
──ドラクエ的に言えば、武器屋で売ってる“強い武器”が必要だなと。
Tani そうですね。木の棒と布服だと、ちょっと心もとないなって。木の棒だけじゃ、倒せないような、敵……みたいな(笑)。
──そうやって自宅で何度も録音することで、ヴォーカルも変わってきましたか?
Tani ホームビデオで撮った自分の声を聞くのって、すごく嫌じゃないですか? 僕も嫌なんですけど、いやが応でも聴かなきゃいけない状況ができるので、自分の声や歌い方を客観的に見ることができました。“動画を比べてみて、こっちなら自分でも鳥肌立つけど、こっちだと全然だな”みたいな。“この曲は自分の声に合うな”とか、“アップテンポ苦手なんだな”とか、わかることはけっこうありましたね。
──今回のアルバムでは「油性マジック」の後半にヴォーカルの多重録音をしていますね。
Tani メインのメロディが出てきたときに、音を伸ばすのは決まってたんです。だけど、1人(一声)だと少し心もとないし、楽器で厚みを持たせるのも何か違うなと思って。ハモリを普通に重ねたら、すごい良さげな響きだったんですよ。下が欲しいからオクターブ下で伸ばしてみよう、みたいな。それで“もうちょっと欲しいよな”って積み重ねていったら、あれになりました(笑)。