撮影:高田 梓
楽曲を作るときには「問い」があるかどうか(水野)
関取 自分からただ生まれて、タイアップとか付いてない曲と、タイアップが付いていたり、書き下ろしです、テーマ決まってます、みたいなときって、けっこう違いますか? 例えば『キングダム』だったら、景色とか、大きい世界観だからコーラス入れるとか、そういうところから入る人と、主題歌だけど、ちっちゃい恋のこととかを書く人もいる気がしてて。どこから着想をして始めるのかなとか、あるいはタイアップがない場合は、どういうときに曲を作ろう、書こうとなるのかなとか。
水野 「問い」があるかどうかなんです。タイアップなしで作るときは自分で問いを作るっていう作業が入ってきて、それは「テーマ」と言ってもいいのかもしれないけど、そこがけっこう難しいんですよね。タイアップの場合「問い」は先にあるじゃないですか。「これに対してどう向き合うんですか?」って。ただ作品の世界観を楽曲で表わせばいいわけではないっていうか。例えばアニメだったらアニメ作品の下の存在でしかなくなっちゃうから。それだとどっちにも得にならないというか。
関取 確かに。それ以上のものにならなくなっちゃいますからね。
水野 タイアップ先の方も、けっこうそういう風におっしゃるんです。やっぱりね、作品を広く伝えたいわけだから。そうなってくると、例えば「『キングダム』って結局、今の世の中に対してどういう作品なの? 何の問いがあるの?」っていうことを考える。もちろん『キングダム』側は『キングダム』側であるじゃないですか。一生懸命に皆さんが作られているわけで。アニメーションもそうだし、原作の原先生もそうだし。原先生のお話を聞いたり、アニメーションの監督のお話を聞いたりしてヒントが出てきて、それを自分の中で「問い」にして、自分で答えていく感じがあります。清涼飲料水のCMだったら、その銘柄の持つイメージだったり、この飲料水を飲むことによって、こんなふうな青春生活を送ってほしいとか、いろいろとブランドコンセプトがあったり、願いがあったりするから。それをそのまま書いても良くなくて、それをヒントにして「問い」を作って書く感じだと思います。
関取 なるほど。逆にそうじゃない、「どうぞ好きに書いてください、アルバムの曲です」みたいなときは?
水野 タイアップでも全然関係ない曲でも、さらに前提のほうに「生きている自分」がいるから、そうすると10年ごとぐらいに軸が変わるんです。僕だったら自分の人生で子供が生まれるということは、わりと大きな変化になっていて。自分の人生以上のことを考えなきゃいけないという現実が突然やってくるじゃないですか。そうすると今までは「死」について考えたときに、自分の人生だけしか考えてないから、死んだらそれで終わりと思ってるけど、終わりじゃないっていうことに気づく。それでパッとうしろを振り向いてみると、自分も両親の子供だったり、その先には祖父母がいたりって、「誰かの命のあとにいる」ということに現実味を持つと、歌の軸が変わるんですよ、やっぱり。
そこで同じ「死」をテーマに描くにしても、「死」のあとの人たちがいるっていうことを意識するんです。生きている人は死んだ誰かのあとにいるから、それは歌として必要だなと。その大きな幹みたいなものから派生して、例えば小さいテーマは10代の恋の歌かもしれないけど、10代のこの別れの先には死があるとかフワーってあるわけです。それがどのくらい歌詞に影響してくるかっていうと、そんなに細かくは影響してこないかもしれないけど、ちょっとしたチョイスで出てくると思うんですよ。それがどのタイアップでも、タイアップがなくても前提になることなのかなって思います。










