取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)ライヴ写真:上溝恭香
異端だったとしたら、それこそが今ご褒美になってますよね。
──この2枚のアルバムで、REBOOT後に演奏していなかった曲はけっこうあったんですか?
RYUICHI 「FAKE」なんて、まだライヴでもやってないですからね。あとは「SELVES」だったり……。「LOVELESS」は何回かやってますけど、SUGIちゃんが3ネックのギターを持って出てくる感じっていうのも、だいぶ減ったと思いますし。ほかに「GENESIS OF MIND 〜夢の彼方へ〜」もそんなにやってないし「1999」も全然やってなかった。「CIVILIZE」もたまにレア曲でやる感じでしたね。
──そういう曲と久々に対面してみて、新たに気付くことはありました?
RYUICHI さっき言ったように、やっぱりすごく型破りで、LUNA SEAじゃないとこういう楽曲を生めなかったというか……。1994年に『MOTHER』が出て、1996年が『STYLE』で、東京ドーム公演もこの頃にやってると思うんですよ(1995年12月23日)。バンドを大きくしたかったし、一個の頂きに向かって滑走しているときですよね。例えば僕なんかが若い子たちをプロデュースしようとすると、「いい楽曲を集めよう」とか言うかもしれないですよね。いい楽曲って俗に言う耳当たりが良くて覚えやすくて、一昔前だとカラオケでいっぱい歌ってくれて、CMになりそうな楽曲なんだけど。でもLUNA SEAは「このときに、こんなアルバム出してるんだ!?」という、ある意味もう本当にちょっと地軸が違うところにあって(笑)。でも「俺たちの真ん中はここなんだよね」ってアルバムを出していた。聴きづらいとは言わないけど、やっぱり「これでドームやったんだ!?」っていう、型破り感はかなりあるような気がするんですよね。どっちが偉いかとか、そういうのじゃなくて。
──その曲たちがあるから、まさに「アルバム」になってるっていう感じはありますよね。
RYUICHI ありますね。シングルの寄せ集めじゃない感じ。本当に「アルバムとしての物語が、LUNA SEAです」みたいな。例えば「LOVELESS」はイントロが長すぎて、「ラジオエディションを作ろうよ」って話が出てたぐらいだから。そういう意味では実際かなり異端だったんじゃないかな、自分たちは気付かなかったですけどね。もう「上がっていきたい、上がっていきたい」の想いだけでやり続けてたし。でも異端だったとしたら、それこそが今ご褒美になってますよね。他のバンドとは一線を引いて自分たちのコアなムーブメントで上がってきたバンドだから、自分で言うとヘンですけど「強い」と思うんです。「あぁ、この曲よくCMで聴いた」っていうバンドたちが8割9割の中、シーンで上がって、ライヴで上がって、アルバムで上がってきたバンドって、あんまりいないと思うんで。それは感じましたね。インディペンデント性っていうか、独自の解釈と独自のメッセージがあるんだなと。
──ライヴであまりやっていなかった曲も、「ライヴでやったら?」という気持ちで、もう一回アレンジするようですね。
RYUICHI 自分たちがやれることと、やってきたことに責任を持つっていう感覚を強く持ってるんです。ウチのバンドってわかりやすいんですけど、新譜が出るじゃないですか? すると「新譜のあそこ、(CDで)こう歌ってたのに、(ライヴで)こう歌い返さないほうがいいと思う。1回目のツアーだから」とか、そういう会話が出るんですよ。あるいは「あのフレーズは絶対印象に残ってるから、やったほうがいい、1回目のツアーだから、2回目のツアーだから」と。それで3回目ぐらいになって、ちょっとアレンジして「あ、いいね」ってなってくる。だから「歌い崩す」とか「弾き崩す」っていう演奏のバリエーションはちょっと温存してるバンドかもしれない。
──ありがとうございます。一方で「ROSIER」などREBOOT後のライヴでもずっと演奏してきた曲は、常にアップデートされた「ライヴ版」が手元にある状態ですよね。いざレコーディングしようということで、多少意識を変えた部分はありましたか?
RYUICHI まさに「ROSIER」なんかに顕著に表われたんですけど、さっき言ったみたいに1ツアー目はできるだけレコーディングしたテイクに近づけて歌うとか、意識をしていくんですけども、当然30年もやってたらシンコペをシンコペしていなくなったりとか、ファンのみんなに歌ってもらってて自分自身がそこを歌わないから……歌い忘れてたりとか(笑)。それは、ゆっくりとした時の中で変化していくんですね。
例えば《I’ve pricked my heart》っていうところ、その《heart》の《ハ〜〜》が、最後にちょっとベンドしていく感じとか、そういうところも当時のニュアンスをすっかり忘れていたりもする。それは長く演奏していればライヴで変化していって良いものだと思ってるし、今の自分のシャウトやフェイクを活かすべきだっていう風に、それを信じてやってるから。だけど今回のレコーディングではやっぱり「そのときのそれがいいんだよ」っていう話も出てくるわけですよ。「8小節行ったら9小節目アタマの《揺れて揺れて》の《ゆ》はシンコペしようよ。オリジナルはシンコペしてるし」とか。《I’ve pricked my heart》の最後も、《ハーーー》って(伸ばして)歌うんじゃなくて、《ハーー↴ 》ってなる。「その緩やかなカーブは、もう一回表現してみようよ」とかね。昔のオリエンテーションじゃないけど、「このポイントは絶対に再録しよう、ポイントを守ろう」っていうような話はありました。
それがたぶんアップデートされていく「ROSIER」や他の楽曲の中にもあって、もしかしたらファンの皆さんが、当時聴いていた印象を呼び起こしてくれるような何かになるのかもしれないし、そうそう「ROSIER」はこうやって歌ってほしかったっていう、何かになるのかもしれない。それはたぶん演奏陣もみんな同じじゃないかと思うんですけどね。レコーディングでは「えっ、音的には一緒なんだけど何が違うの?」とかって思いながら(笑)、もう一回歌って「みんなどうぞ聴いてください」みたいなキャッチボールをやってました。Jが「俺行くわ」ってヴォーカルブースまで来てくれて「もうちょっとこういう感じでやってみて。ああ、今のかも!」みたいな。うん、それは本当にちょっとしたニュアンスなんですよね。
──ご自身で「これがいい」って判断はあんまりされない?
RYUICHI 「歌」ってちょっとモノマネみたいになっちゃうところがあって。それは嫌だったんで、やっぱり今の声、今の歌っていうのを中心に作っていきながら、原曲を持ってきてくれた作者が「いや、ここだけは絶対過去のこれがいいんだ」とか、もしくは「ここはこういう風にコーラスを重ねたいんだけど、どうかな?」という発展的なリアレンジに対しても「なるほど、じゃあやってみよう」っていう風に、フレキシブルにできるだけやりたいなって想いがありましたね。
──メンバーのアレンジでアップデートされたものを聴いて「おっ!」と感じたものはありましたか?
RYUICHI ありましたね。「FACE TO FACE」のINORANがやっているコーラスワークもそうだし、「MOTHER」のエンディングのストリングスアレンジの感じだとか、いろいろなところが変化をしていたんで。それに関しては「こうしたかったんだね!」みたいな感じで歌いながら聴いてましたけどね(笑)。