取材・文:藤井 徹 撮影:ヨシダホヅミ
Vocal Magazine Webでは、全国各地の優秀なヴォイストレーナーさんを講師に迎え、2022年より「歌スク」というオンラインレッスンのサービスを展開してきました。残念ながら「歌スク」のレッスンサービスは2024年3月で終了となりますが、これまで同様にVocal Magazine Web誌上で歌や発声のノウハウを教えていただける先生として、さまざまな形でご協力いただく予定です。
読者の皆さんの中にも「歌を習いたい」、「声を良くしたい」とスクールを探している方は多いと思います。その際に、ぜひ「歌スク」の先生の素晴らしさを知っていただきたいと思い、各先生のインタビューやプロフィールを掲載させていただきます。読むだけでも役に立ちますし、トレーナー選びの参考にもお役立てください。
今回登場いただくのは、松任谷由実のコーラスを25年担当する傍ら、『関ジャム完全燃SHOW』を始め、数多くの音楽番組でも活躍中。さらにクレッセミュージックスクールの代表も務める、今井マサキ先生です!
講師プロフィール
今井 マサキ
クレッセミュージックスクール
松任谷由実らのツアー、音楽番組でコーラスを務める現役バリバリ! 『関ジャム完全燃SHOW』でも評判の鋭い視点で、あなたの声に「芯」を作ります!
大阪府出身。高校時代からバンド活動を開始し、大阪の音楽専門学校卒業後に上京。1999年から松任谷由実のツアーにコーラスとして参加し、プロ活動をスタートする。2005年より『FNS歌謡祭』のホストバンドのコーラスとしてレギュラー出演。また『僕らの音楽』、『MUSIC FAIR』、『水曜歌謡祭』、『関ジャム完全燃SHOW』など、さまざまな番組で活躍している。ヴォイストレーナーとしては、CHICのヴォーカリストでもあったディーヴァ・グレイに師事。2010年より東京・三軒茶屋にてクレッセミュージックスクールを開校し、プロ・アーティスト、練習生、一般の方々にヴォーカルの指導を行なっている。
ジャンル | J-POP、ロック、R&B、ジャズ、アニソン、ボカロ、フォーク、演歌、洋楽、アイドル、ラップ/ヒップホップ、K-POP、ミュージカル、民謡、歌謡曲 |
好きなアーティスト | Al Jarreau、玉置浩二、SING LIKE TALKING、Stevie Wonder、槇原敬之、松任谷由実、milet、山下達郎、他多数 |
趣味 | ドライブ、ギター練習 |
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講師からのメッセージ
松任谷由実さんのバックコーラスとしてキャリアをスタートしてから20数年、現在も音楽業界の第一線で活動していますが、僕も初めは高い声も出ない、すぐ枯れるような状態でした。「もっと力を抜いて!」と教えられても力の抜き方を教えてくれる先生はいません。そこでアレキサンダーテクニークを学び、骨格や筋肉の使い方を学び確立したメソッドを作りました。そんな僕の経験から得たメソッドを全力でお伝えしていけたらと思っています。
クレッセミュージックスクール
■スクール名
クレッセミュージックスクール
■スタジオ
所在地:東京都世田谷区三軒茶屋1-38-8 ステーションプラザロイヤル4F
TEL:03-6450-9603
営業時間:11:00〜22:00(完全予約制)
■講師
今井マサキ/大滝裕子(アマゾンズ)/吉川智子(アマゾンズ)/橘哲夫/Kayo/清永大心/吉岡悠歩/永山由美マリア/北川さやか
■ホームページ
http://cresce-music.net/
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/
講師インタビュー
「度胸試しに受けてみたら?」と言われたのが、ユーミンのコーラスオーディションだったんですよ。
──歌を始めたきっかけから聞かせてください。
今井 歌を始めたきっかけっていうのは、高校生のときのバンドですね。
──高校まではそんなに歌う子ではなかった?
今井 はい。中学3年生のときに、僕の同級生がエレクトーンをやってて発表会を観に行ったんですよ。忘れもしないカシオペアの「Bayside Express」をエレクトーンだけで友達が演奏してて。僕の人生初フュージョンはそれなんですけど、そのお洒落な音楽を聴いて「カッコいい。なんだこれは!」となって音楽っていうものに興味を持ちました。中学生のとき、アニメの『シティーハンター』をやってた世代なので、いわゆる「GET WILD」が全盛期。僕が初めて買ったCDはTM NETWORKなんですけど、そういう音楽にちょっと興味を持っているくらいの普通に一般視聴者でした。それが、友達のエレクトーン演奏を聴いて音楽を演奏することに興味を持ち、友達にまず「GET WILD」のイントロのピアノを教えてもらいました。そこから親に頼んで小室(哲哉)さんが使っていたシンセサイザー、ヤマハEOSのB200っていうスピーカーが付いたやつがあって、当時30万円くらいしたのかな……本当に泣きながら親に頼んで買ってもらいました。高校に入ってバンド組んだときも、僕はキーボーディストでバンドに入ってたんですよね。そうしたら、そのときのヴォーカルのやつがメッチャ歌がヘタだったんです。「いや、ちょっと待て。それだったらまだ俺のほうがうまいわ」って。「ちょっと一回替われ。お前キーボード、俺、歌」と、そこで替わったんです。そこから僕のヴォーカル人生が始まったんです。
──それはTM METWORKのコピーバンドですか?
今井 そのときはTMのコピーをまずやったかな……。ヴォーカルのやつにキーボードをやらせたけど、いきなりキーボードはできないしね(笑)。それで何か打ち込みとかちょっとやってみたけど、バンドという形としてはそこまで進まなかったから、結局ほかの友達とロックバンドを組んだんですよね。今度は僕がヴォーカリストとして入って、そこでコピーしたのがKATZEです。BOØWYのコピバンはいっぱいいたけど、そこの中で「KATZEカッコいいな」ってなって。さらに別の同級生とユニットを組んで、それはもうTMと同じようにキーボード、ギター、ヴォーカルの編成で、ドラムは打ち込みでした。そのバンドでオリジナルを作ってヤマハの『ティーンズ・ミュージック・フェスティバル』みたいなオーディションに出たり、自分たちでイベントをやったりしました。そうすると、やっぱりプロのヴォーカリストになりたいっていう夢は出てきて、大阪の2年制の音楽専門学校のヴォーカル科に入りました。
──歌を教わったのは、そこが初めてですか?
今井 ちゃんと教わったのは初めてでしたけど……なんかよくわかんなかったですね。きっと教わってたことは、今になったら「ああ、そういうことか」って理解できるものもあったかもしれないですけど、あの当時は「もっと力を抜いてごらん」とか言われても、どこの力を抜いていいかもわかんないし、わりとヴォイストレーニングや腹式呼吸とかも「根性」に近いような時代だったので、まだそんなにメソッドが確立されてない。「その先生が感じることを伝える」みたいな時代だったから。「もっとお腹から声出して」とか「もっと遠くに飛ばして」とか、そういうざっくりとした感じで、具体的にどうするかを教えてもらうことはあまりなかったし、あまり記憶してないんですよ。言われた通りのことをやってみて「そう!」って言われても、何が「そう!」かわかんない(笑)。自分の理解度が上がらないままに、ただ教わってそれを具現化してたけど、自分の中に落とし込まないまま2年間を過ごしてしまった感じがして、それは自分の落ち度ではあるでしょうね。学び方がちゃんとなってなかったと思ってはいます。
──卒業後はどういう形で音楽活動を続けたのですか?
今井 当時、専門学校の中でもわりとちやほやされたほうなんですよ。学校内のイベントでも僕らのバンドが採用されたり、学内でミュージカルのテーマソングを歌う際にヴォーカリストをやったりしたし。それで、ちょっと僕、調子に乗ったんでしょうね。勘違いして「もう卒業したらデビューしてる」ってつもりでいたんですけど、もちろん卒業しても何にもなってなくて。「このままじゃまずいな、どうしようかな」となったときに、「やっぱり東京に行くべきだろうな」と思って上京を決意しました。もう親にお金を出してくれよとは言えなかったので、そこから1年かけて100万円を貯めることを目標にしましたね。昼間は建築現場のバイト、夜はパチンコ屋の掃除をやりました。パチンコ屋が閉店した夜の11時から深夜1時まで掃除して帰宅。朝6時には家を出て建築現場の仕事に行って、夕方5時か6時に帰ってきて、またパチンコ屋に行く。休みの日はスタジオに入って練習する、みたいな生活をして100万貯めて21歳のときに上京しました。
──東京では、どういう活動を?
今井 ヴォーカリスト募集のバンドを探したりしてバンドを組みました。そのときはけっこう年上の方とやったりしましたね。それこそSING LIKE TALKING的なお洒落な曲をカバーをしたり、オリジナルを作ったりもしました。オーディションを受けたりもしていたんだけど、デビューに繋がるっていうことはないままズルズルと行ってたんです。ただ、東京に来てからもヴォイストレーニングは継続しようと思って、知り合いの紹介でトレーナーの方について週1とかでレッスンを受けてました。その流れで「あるアーティストがコーラスのオーディションをしているから、度胸試しに受けてみたら?」と言われたのが、ユーミンのコーラスオーディションだったんですよ。
──いきなりすごい展開ですよね。
今井 このオーディションは今も忘れられないですけど、めっちゃトラウマになるかっていうぐらい打ちのめされました。課題曲を与えられてコーラスの譜面をもらい、それを覚えて歌うことと、自由曲で自分が好きな曲を披露するふたつの審査がありました。自由曲は槇原敬之さんの曲を歌ったんですけど、そのあと、ユーミンの楽曲の課題曲を参加者と一緒にハモるんです。でも、僕、それまでちゃんとハモったことがなかったんですよね(笑)。楽譜で音符を覚えて予習して歌うっていうのはやってたんですけど。
──ピンチですね。
今井 でも、高校生のときからカラオケに行くと友達の歌に勝手にハモるタイプではあったんです。「何かわからないけど、何となくハモれる」みたいな感じの、そういう音感はあったみたいで。ただ、実際そのプロの現場でプロの譜面の通りにウーとかアーとかしたことはなかったから、それはけっこう怖かったですね。「ちゃんとできるかな」って。でもまあ、何とか覚えた通りにやったんですけど、そのときにプロデューサーの松任谷正隆さんがサラサラとその場で譜面を書いて僕に渡し、「これを歌ってみて」って言われたんですよ。当時はアプリもないし、ピアノの鍵盤もないしで、まったく何の音の情報もないまま「譜面だけを見て歌ってごらん」って言われたんですけど、まったくわかんなかったんですよね。もう自分でも想像もつかないし、譜面も読めないからどういう動きをしているのかもわかんない。何もできなくて「ごめんなさい、できません」って言って突き返したんですよ(笑)。そうしたら松任谷さんに、「ああ、君の弱点はこれだね。ありがとう、お疲れさま」と言われて、それで終わったんです。「もうこのオーディション落ちたな。プロの世界ってこんなに厳しいんだな」っていうのを思い知って、けっこう打ちのめされて「はぁ〜」となってたら、1週間後に合格っていう連絡をいただいて。
──正隆さんは、今井さんがきっと自分で努力できる、勉強してくる人だと何かを感じ取ったんでしょうね。
今井 そう……ですかね。でも本当にただのド素人をそうやって見出してくださって、いきなりアリーナツアーのコーラスをやらせていただいたんです。その前に苗場のコンサートというのがデビューだったんですけど。
──デビュー戦が苗場は痺れますね。
今井 最初が苗場のコンサートで、そのあとはサーカス団と一緒に廻る『シャングリラ』っていうツアーがあるんですが、それの第1弾が僕の初めての全国ツアーだったんですよ。でもそんなところに本当のド素人を採用してくださって……もうそれに応えることで精一杯だったから、プロの洗礼をそこでいっぱい受けて。でも、逆に学校で学んだことを、そういう現場で使った記憶がないんですよね。むしろ、現場に出たときに「こんなことは教わったことなかった!」みたいなことのほうが多くて。だからヴォイストレーニングとか、そういうレッスンみたいなものではなくて、本番1本から学ぶことのほうが多くて。100回の練習より1回の本番で学ぶこと、経験値っていうものは自分の中のすごく大きな割合を占めてます。
──ユーミンさんのコンサートでコーラスをやっていることで、他の現場からもお仕事の話が来るようになりましたか?
今井 ないです(笑)! だって、そんなド素人がそうやって採用されて、「へえ、ユーミンのコンサートに新しく若い子が入ったんだね」ってなるけど、それで「じゃあうちのツアーも!」なんて夢みたいな話はまったくなかったんですよ。本当に仕事はなくて、20代の頃はユーミン全国ツアーファイナル、代々木第一体育館が終わって、「いえ〜い!」って打ち上げた翌日は、もうアルバイトの面接行ってましたから(笑)。ツアーで拘束されてる何ヵ月間はあるけど、それ以外はただのプータローなので、次のバイトをしないと暮らせなかった。その頃はツアーを廻ってるときに、次の年のツアーのスケジュールも決まっていたけど、来年のツアーまでが僕はスケジュール空っぽだからバイトして。20代はユーミン以外はほぼ仕事がなかったですね。
それまで感覚でしか掴んでいなかった発声の仕方に、立体的な絵が見えたんですよね。
──ヴォイストレーナーの仕事は20代から始めていたんですか?
今井 20代後半……もう本当に30歳の手前ぐらいですね。当時、ある専門学校で僕の知り合いのヴォーカリストの方がレッスンをされていたんですが、そこの先生から「講師が足りないから、良かったらお前、教えてみないか?」って言われたんですけど、「いや、僕、教えたことないです」って。「いや、何とかなるよ」って誘われて、そこからとにかく教えたことないけど教えるっていうことを始めたんですね。「自分が教わったことを伝える」ということなら、なんとかできるかなと思って、教わった通りのことをやったりしようと思ったんですけど、最初に1クラスに30人以上の【全員ボイトレ】っていうワケのわからないクラスを任されて(笑)。全員で一斉にボイトレするっていうクラスを、教えたことのない素人が教えに行くという状況だったんです。一人ひとりに対応するんだったらできるんだけど、全員いっぺんにやるってのは「これはできないわ」と思って。そこでヴォイストレーニング本を買い漁って読んで、本のCD音源をかけて、「はい。これに合わせてやってみよう」みたいな感じで、「ララララララララ〜!」みたいなことを全員にやらせました。目の前を歩きながら声を聴いて、一人ずつ「もうちょっとこうしたほうがいいよ」みたいなことを言って、とりあえずやり過ごしてたんですけどね(笑)。そこは頑張ったんですけど、2年で辞めました。そこで、「たくさんの人数に教えるのは性に合わないな、個人でボイトレをしよう」と思って。当時、自分でホームページなども作り始めた頃だったから、知り合いとかツテとかいろんなところで「ヴォーカルトレーナーを探してる人がいる」みたいなときに、紹介してもらった人を月に2〜3人教えるとか、そんな程度から始めていきましたね。でも、教え始めというのは、使える話は何にもないと思います(笑)。
──自分で振り返っても、まだまだ?
今井 本当に教えるも何もわかってない状況だったので。ただ、いろんなボイトレ本を買い漁った中で、それを熟読してたから、いろんなメソッドの存在を知ったし、それと同時にいろんなヴォーカリストの先生に教わり始めたんですよね。「教えるには教わらないとダメだ」と思って、ロック・ヴォーカリストに教わったり、クラシックの先生に教わったりとかっていう風にやったんですけど、20代後半で巡り合ったのがディーバ・グレイという人でした。CHICの初期にヴォーカリストを務めた黒人の女性シンガーなんですけど、彼女が日本のヴォーカルスクールで教えていたのを見つけて教えてもらいに行ったんです。ディーヴァに教わっていく中で、僕の声を聴いて、「あなたはここにいちゃダメだわ。私の家に来なさい」って、グループレッスンだったのに、特別に個人で教えてくれるようになったんですね。
──すごいことですね。
今井 それから1年、ディーヴァの家に通って教わったんですけど、そのときに日本人のトレーナーから教わったことのない世界をディーヴァが教えてくれました。それがレッスン動画で行なった「深さ」なんですよ。それまでは自分の声がすごく高いから、録音した自分のしゃべり声を聞くと「気持ち悪いな」と思って大嫌いだったんです。だけど、ディーヴァに声の深さと、その筋肉の鍛え方を教わったら自分が出したことがない低音が出るようになったんです。これが当時セリーヌ・ディオンとかもやっていたらしいんですけど、声帯の手術をしたときに、リハビリで声を戻していくためのメソッドのひとつとして開発された手法を歌に応用する「ヴォイスビルディング」というものだったんです。そこで低音が出るようになると、今度は高音が伸びたんですよ。そういう自分が知らなかった世界を教えてもらったことで探究心に火がついて、「もっと声を良くする、身体を鳴らすにはどうしたらいいか」っていうことを学ぶ必要があるなと思ったんです。
──ついに自分が納得いくものと巡り合ったのですね。
今井 そこでヴォイストレーニングだけではなく、もっと身体を知らなきゃいけないと思って、そこから「アレクサンダー・テクニーク」っていうスクールに通って身体の骨格とか筋肉の勉強を始めました。そのライセンスを取ろうと思って数年通っていたんですけど、いくつかのアレクサンダー・テクニークのスクールに通って自分の身体の使い方とか声の使い方、筋肉の使い方……発声しているときに筋肉が、骨格がどう動いているかっていうことを勉強していくと、自分がそれまで感覚でしか掴んでいなかった発声の仕方に、立体的な絵が見えたんですよね。そこから教えるっていう世界がもっと広がっていきました。前だったりうしろだったりっていう響きとかも、そこから全部導き出していって。で、いろんなアーティストの声……それこそ『FNS歌謡祭』みたいないろんなアーティストの声の鳴ってる場所に行くと、骨格とかの勉強したぶん、それぞれのアーティストが響かせている空間をイメージできるようになりました。「あ、この人はここからこう繋いで鳴らしてんだな」という身体の中の通り道みたいなものです。そうすると「当てる場所」みたいな感覚が見えたりとか、その通り道とかを想像していくと、自分も同じようにその場所に通すようになっていったんですよ。
──息とかの通り道ですね。
今井 うん、息とか響かせ方だとかです。「ああ、こういう感覚で鳴らすことで、このアーティストの声はこういう鳴り方をするんだな」という分析をするようになっていきました。以前に郷ひろみさんのツアーでコーラスをしたことがあったんですね。ひろみさんが楽屋に入ると、自身がニューヨークで受けていたトレーニングのレッスンCDをかけて、30分ぐらいずっとボイトレをやるんです。その発声がすごく深い声で、クラシックみたいな発声をするんですよ。本当に隣の楽屋の壁がビリビリするくらいのボリュームで鳴らしてて。「ひろみさんってこういう発声をするから、ああいう歌い方ができるんだな」と思って。「ひろみさんのボイトレすごいっすね」って話をしたら、「よかったらボイトレの音源をあげようか?」と言って音源をコピーしてくれたんですよ。その後、僕もひろみさんのボイトレ音源をウォークマンで聴きながら、客席の外とか、なるべく人に迷惑をかけない場所で、ひろみさんが出していたのと同じような深い声で発声しました。ひろみさんの声は「こう鳴らして、ここに深さがあって」と、その声に自分の声を寄り添うことを意識してツアーを60本近くやったんです。ここで、さらに僕の「声のキャラクターを寄せていく感覚」が培われた感じがありましたね。
──コーラスの面白みも、また増えてきたのでは?
今井 より面白くなっていきましたね。ただ自分の声で歌うんじゃなくて、そこにアーティストの声のタイプをして、そのタイプにカラーを寄せていくみたいなことをやっていくようになった。そこまでは「自分が一生懸命歌う。その音を歌う」しかやってなかったけど、そうじゃなくて、もっと「声の質感に寄り添う」みたいなことを意識したのが、そこからですね。
その人の声のバランス感覚を僕が見て、どこが足りないかのバランスを整える。
──クレッセミュージックスクールをオープンされたのは、いつからですか?
今井 スクールは2010年からですね。2007年に子供が生まれたんですけど、それまでは自分の仕事は待つしかなかったんです。待っていてお誘いが来たらツアーの仕事が来る、レコーディングの仕事が来る……なんだけど、「この子が成人するまでに仕事をもっと増やしていくために、どうしたらいいか?」ってなったときに、「自分で仕事を作れるようになればいいんだ」と。それで会社を興したんですよね。「会社を興したってことは人を雇えるな」と思ったんです。人を雇えるってことは自分の城を持って、そこでスクールみたいな形を作れるんじゃないかなと。そこで三軒茶屋でワンルームマンションを借りて、クレッセミュージックスクールという名前を付けて起ち上げたのが始まりで、それが2010年。そのときに先輩のシンガーの方とかも誘って「一緒にスクールで教えてもらえませんか?」と巻き込みました。その先輩方っていうのがアマゾンズという久保田利伸さんとかのコーラスを初期の頃とかにずっとされていた、超有名なコーラスグループの方で、今も先生をしていただいています。その先輩方とかと一緒に本当にゼロから作って起ち上げたんですよね。
──当初の生徒さんは、どういう方が多かったですか?
今井 当初はカラオケで上手になりたい人とか、どういう人でもいいから歌を学びたいっていう人たちを教えていけたらなっていう、一般の方々を教えていくことをメインにやってました。ただこういう仕事柄、いろんな事務所との関わりがあるから「ウチで預かってる新人を見てくれないかな」みたいな話が起こるようになってきて。いろんな事務所の育成みたいな子たち、小学生、中学生、高校生たちのレッスンを任せてもらうようになり、実績を作っていった感じですね。今、事務所の育成をほとんど僕が担当していて、一般の生徒さんは逆にウチの他の先生たちにも見てもらったりしています。
──教えていくことで、自分のメソッドが確立されていった感はありますか?
今井 ありますね。解説動画でも話したように、一般の生徒さんは「歌がうまくなる」っていうことであればビブラートだったりとかの「テクニックを身に付けたい」という人がすごくいるんですよね。そのテクニックを身に付けることで、うまくなる……と多くの人は思うんですけど、ヴォイストレーニングをやることでうまく……ならない。「ヴォイストレーニングがうまくなる」んですけど、「歌はうまくならない」んですよ。ヴォイストレーニングで「いい声」にすることはできるけど、歌をうまくするっていうのはまた別次元の話で、それはやっぱり歌わなきゃいけなくて……。だから「ヴォイストレーニングをやっていれば、もっとこんな歌が歌える」とかっていうのは、「高い声が出る。ビブラートができる」とかっていう技術を身に付ける、声のバランスを整えるっていう話にはなるんですけど、「結局、歌うまくなんないじゃん」っていう話がやっぱ出てくる。
──そうですよね。
今井 新人とか練習生の育成をしてると、「腹式呼吸で大きい声を出せるようにしてください」とか言われる。トレーニングで大きく声が出せるようになったとして、じゃあ「歌がうまくなってるか?」っていうと、ならないんですよね。それは一般レベルの話じゃなくてデビューするっていう前提の話なので……。そこで「デビューしている人たちと、今この子たちで何が違うんだろう?」っていうことを考えるようになったんです。すると「キャラクターがあるかないか?」っていう話になってきたんですよ。一流のアーティストは、それぞれに真似したくなるキャラクターを持ってるじゃないですか。でも一生懸命、上手に歌ってる人にはキャラクターがあんまりないんですよ。技術があっていい声だとしても、そこに突き刺さるような声のキャラクターを持ってるかどうか。個性ってことです、結局ね。その個性があるかないかってものすごく大きなっていうことに気づいて。その事務所に所属してる先輩のアーティストと、練習生のこの子たちと何が違うかっていうことは、そういうキャラクターを持ってるか持ってないかっていう話になってくるんです。そのキャラクターを持っている声っていうのが、僕が学んできた中では、例えば郷ひろみさんは「前の声」。
──確かに、そうですね。
今井 スキマスイッチ……前の声なんです。久保田利伸さんも椎名林檎さんも前にある。ちゃんと自分のキャラクターを最前線で鳴らしてる人たちが第一線のアーティストでいられるんですよね。でも、その声のピントがちゃんと前に合ってる人と、そうじゃないところでぼやけてる人で線引きが生まれたんですよ。だから一流のアーティストたちっていうのは、ただ前に鳴らす声じゃなくて、うしろの響きを持った状態でちゃんとバランスを取っている。しかもちゃんと前側に「顔」を持ってるんですよね。だから「顔が見える声」……そこが一流のアーティスト。そうじゃない上手な人っていうのは、やっぱり「集団で埋もれる声」なんですよ。もちろんキャラクターの個性が強いっていうのは、クセが強いっていうのと似て非なるものでもあって、クセの強さももちろん大事なんだけど、そことバランスがちゃんと取れたクセの強さ。「ただのクセの強さ」だけでは全然違ってくるから。そういう面で言えば、ヴォイストレーニングっていうものは、歌をうまくするものではなくて「声を整える」もの。「歌をうまくする、一流のアーティストとしての個性を作る」っていうのは、その声に「いかに芯を作るか」っていうことだろうと。そこの芯を作るための、その人の声のバランス感覚を僕が見て、どこが足りないかのバランスを整えるっていうのが、僕の中のメソッドなんですよ。
──キャラクターとしてすでに持ってる、表に出ているものは足りているものとして、それで足りていない部分を見つけ出していく作業が大事になるわけですね。
今井 そうです。それの反対も言えて、事務所の育成に入るっていうことは、すでに個性を持っていたから入れてるんですよね。でも「うまくしよう」とすると、その個性を消す可能性があるんです。それをやっちゃいけない。そこのバランスを取らなきゃいけないから「この子のいい部分はここだ」っていう事務所との連携が必要だし、「この子のこの声がカッコいい。でももうちょっと良くしたい。どうしたらいい?」ってなったときに、「じゃあ、ここの響きが足りてないよね」とか、「ここでリズム感があまり良くないよね」とか、声以外の足りてない要素を見つける。そこを伸ばしてあげることで、個性を残しつつバランスをさらに整えていくっていう、もっと踏み込んだヴォイストレーニングという部分で、筋肉とか骨格っていう通り道にも全部連動していく形になってきました。だから、その人の声をもうちょっと身体の中で立体的に見るようにしてはいます。
──ありがとうございます。全国的なオンラインレッスンをすることで、どんな出会いを期待していますか?
今井 これからの日本の音楽を担うバケモノと出会いたいです。「コイツの声ヤバいよ!」っていう声を見つけて、それを知り合いのところに紹介したいです(笑)。いや、でもその声を見出した瞬間っていう場面に、僕は立ち会いたいですね。
──そこのワクワクはすごいだろうなと思います。
今井 いや、本当に。まだ埋もれてる人はいっぱいいるんですよね。僕もそうだったけど、地方出身だと東京に出ないとデビューのきっかけに繋がる機会は少なかった。でも今はインターネットの社会で、ウェブで本当に遠いところからアクセスできる。今でもK-POPの練習生になるためのオーディションを受けたいって、宮崎からとか北海道からとかオンラインでレッスンを受けてくる子もたくさんいる。そういうことができる時代になったからこそ、まだ見ていないバケモノがいると思うので……そのバケモノに出会いたい。
──モノが違う場合、すぐにわかるものですか?
今井 あ、もう一瞬でわかります。声を聴いた瞬間に「あ、もうコイツはヤバい」って。意識を持ってやってる人もいるけど、逆に無意識な人も多いと思います。そして「この声ヤバいな」っていう人は「無意識の安定感」を持ってる場合があるんですよ。安定させようとしてキャラクターを定着させてる歌い方と、何も考えずにすでに完成されてる声っていう場合もある。「ここを磨いたら伸びるな」みたいな隠れた財宝みたいな子もいるんですよ。自分じゃ気づいてないような才能を、たぶん僕らだったら見つけられると思うので、そんな才能に出会いたいですね。
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/