【ヴォイストレーナーインタビュー】小泉 誠司(ニューベリーサウンド/東京)

取材・文:藤井 徹 撮影:ヨシダホヅミ

Vocal Magazine Webでは、全国各地の優秀なヴォイストレーナーさんを講師に迎え、2022年より「歌スク」というオンラインレッスンのサービスを展開してきました。残念ながら「歌スク」のレッスンサービスは2024年3月で終了となりますが、これまで同様にVocal Magazine Web誌上で歌や発声のノウハウを教えていただける先生として、さまざまな形でご協力いただく予定です。

読者の皆さんの中にも「歌を習いたい」、「声を良くしたい」とスクールを探している方は多いと思います。その際に、ぜひ「歌スク」の先生の素晴らしさを知っていただきたいと思い、各先生のインタビューやプロフィールを掲載させていただきます。読むだけでも役に立ちますし、トレーナー選びの参考にもお役立てください。

今回登場いただくのは、数多くの著書を持ち、Vocal Magazine Web連載『ボイトレの???(ハテナ)にこたえる 声と歌の小泉クリニック』を連載中の小泉誠司先生です!

講師プロフィール

小泉 誠司

ニューベリーサウンド

理論的な指導法は医療機関や企業にも定評あり。著書も多数の「声のスペシャリスト」から「プロに必要な力」をゲットしよう!

米ボストンのバークリー音楽大学を卒業。帰国後に数々のアーティストの作曲、編曲、プロデュースを行なう一方、ボイストレーニングを始めとした新人育成に注力。TV番組『ASAYAN』の審査員も務める。2001年、新丸子にて「ニューベリーサウンド」を設立。2011年に現在の東京・渋谷に移転する。理論的な指導方法に定評があり病院や医療施設、企業のボイトレやセミナーも多数行なっている。『すぐに歌がうまくなる新常識』、『人生を変える「勝ち声」「負け声」』(いずれもリットーミュージック刊)など著書多数。Vocal Magazine Webにて『ボイトレの???(ハテナ)にこたえる 声と歌の小泉クリニック』を連載中。

ジャンルJ-POP、ロック、R&B、アニソン、声優、ナレーション、話し方
好きなアーティストEric Martin(MR.BIG)、玉置浩二、山下達郎、井上陽水、米津玄師
趣味美味しいビールを飲むこと、一輪挿しに合う花を探すこと、かっこいい花瓶を見つけること

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講師からのメッセージ

 「頭に浮かんだことは実現できる」……そのために必要なことは「なにがなんでもやってやる」という熱い気持ちと「実際にアクションを起こす」こと。
 テレビのオーディション番組でのボイトレ指導や審査、数々のアーティストをデビューさせた実績とノウハウであなたの「頭に浮かんだことは実現できる」を全力サポート。「本気でプロになりたい人」、ぜひ受講して「プロに必要な力」をゲットしてください!

ニューベリーサウンド

■スクール名   
ニューベリーサウンド

■所在地
東京都渋谷区渋谷3丁目6-19 第一矢木ビルB1-A 
TEL:03-6419-7320

講師:小泉誠司(チーフボイストレーナー)/松本藤子(スタンダードコース、レッスンコース)/千葉千恵巳(声優コース)

■ホームページ   
https://newberrysound.com/

■ブログ(note)
https://note.com/newberrysound/

■連載(Vocal Magazine Web)
『ボイトレの???(ハテナ)にこたえる 声と歌の小泉クリニック』


\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/


講師インタビュー

自分の作った曲の仮歌を歌ってる時間がすごく幸せで

──音楽を始めたきっかけは?

小泉 高校2年の夏に、突然「自分はプロデューサーになりたい」と思ったんですね。それで東京に出てきて、自分の叔父が作曲家をやっていたもので相談しに行ったんです。そうしたら「アメリカのボストンにバークリー音楽大学があるから、そこ行っておいで」って言われ「はい、行きます」と。そこが私の音楽人生のスタートです。

──それまで、音楽的な活動は?

小泉 そういうのはないですね。もう中学校の放課後が私の活動の場でした。同級生を集めて「今から俺の歌を聴け」と(笑)。あとは文化祭とか。そういうものが私のステージでしたね。

──ギターを弾きながら歌った?

小泉 はい。もともと井上陽水さんが好きで。当時はカラオケがなかったので、歌いたかったら自分で演奏するしかないじゃないですか。必然的に「歌いたいからギターを弾き始めた」という感じですね。

──フォークソングというよりは、井上陽水さん?

小泉 そうなんです。フォークソングって言われると、他の人はそんなに好きでもなくて、要するに「陽水が好きだった」っていう。好きだと言っても、そんなめちゃくちゃコピーしたわけではないですけど、何かあの人はテレビも出ないし謎だった。歌詞を見ても意味が難しいものがあったので、余計に憧れが強くなっていったんです。ちょっと複雑なんですけど「陽水になりたい」と思っちゃった感じですね。

──叔父さまにバークリーを薦められて、高校を出たらそのままアメリカへ?

小泉 本当はそのまま行きたかったんですが、当時バークリーに行くためにはバークリーを卒業した人の推薦状が必要でした。でも、そんな人は知らないので、東京の専門学校に留学科というのがあって、そこの先生がバークリーを出ている。留学科に行ったら推薦状を書いてくれるっていうので、そこで1年、東京の音楽専門学校に行きました。メインの楽器はギターですね。

──バークリーではどんなレッスンを?

小泉 いやもう、やっぱりプロ養成学校だったので……。皆さんは普通に生きてきて「恥を知れ!」とか言われたことってないでしょ? 毎時間、そんなんですよ。「Shame on you!」って。で、「Go home!」ですよ。すごく厳しいです。スピードも速いし、テンション感マックスだし、もうすごいです。ちょっと話は逸れますけど、先日、ある大学でボイストレーニングの授業をやったんです。そうしたら、まあまあまあ……な感じなんですよね。うたた寝する人もいたり。当時のバークリーではあり得ないですね。そんなことすると殺されるかもしれないし、まず絶対ついていけない。なぜなら「お前らプロになりたいんだろう?」っていうことで、プロになるためのものをすべて教えていただく。それはもう魂とか姿勢の部分も含めてだったので、今となったら私はすごく感謝してますね。

──バークリーではヴォーカルについては?

小泉 いや、バークリーでは歌をやってないです。あくまでもギターであり作曲であり、アレンジであったり、そういった勉強をしていました。

──プロデューサーになりたかったんですものね。

小泉 そうですね。プロデューサーになりたいけど、何をやっていいかがわからない。ただ、とりあえず「やるぞ!」ってことでバークリーに来た。でも、そこで3年通ったときに「そうだ、ロス行こう」って思い立って、1年だけMIっていうロサンゼルスの学校に行ったんです。でも、もともとMIへはギターを弾きに行ったはずなのに、なぜか曲ばっかり作ってたんですね。で、たまたまリトルトーキョーに行ったら日本の本屋さんがあって、立ち読みしてたらギタリストのCharさんの発言が載っていて、「その人が寝ることも忘れて、食べることも忘れてやっていることが、その人が一生やることである」と書いてあったんです。そこで「そうなんだ!」と。自分はギターを弾きにロスへ行ってたんですけど、「結局、俺は作曲家になるんだ」っていうことを、そこで気づかされて……。そのままバークリーへ帰ってきて、残された1年を作曲とかアレンジとか、そっちのコースを固めて履修しました。

──プレイヤーとしての部分はひとまず置いておいた?

小泉 そうですね。さっきも言いましたけど、私は「歌を歌いたいからギターを弾いていた」のがスタートなんです。だから、ギタリストっていうのはもともとそんなにイメージにない。逃げになるかわからないけど「ギターはそんなにうまくなくてもいいや」くらいには思ってたんです。ただ、「じゃあ、ギターうまくならなくて、お前どうするの?」っていうことの答えがなかった。そこで「俺は曲を書けばいいんだ」と。曲を書く中において仮歌っていうやつが必要なんです。自分の作った曲の仮歌を歌ってる時間はすごく幸せで、それが結局、今につながるっていうことなのかなと思っています。

──なるほど。先ほど井上陽水さんのお話も出ましたけれど、その後、こんな歌い手さんが好きとか、影響を受けたなという人はいますか?

小泉 本当に申し訳ないんですけど、研究はあんまりしなかったんですね。ただ、好きで聴いているといつの間にかちょっと似ちゃうとか。陽水も実はそうで。そういうことなら、やっぱり山下達郎さんがすごいなと思いました。もう「何かすべてが新しい!」と思って。彼の歌だけじゃなくて、例えばインストゥルメンタル……ジャズであったり、いわゆるフュージョンとか、そういう音楽が好きですね。『SPARKLE』を聴いたときにもうビックリしました。「こんなカッコいいオケに、こんなカッコいい歌が乗っかるなんて」と、理想に見えました。ヴォーカリストとしての山下達郎というより、もっと大きいところで、なんて素晴らしいんだろうと思いましたね。

──本当に、“ザ・ミュージシャン”ですよね。

小泉 そうなんです。理想形がそこにあったんです。でも、山下達郎さんの歌をめちゃくちゃコピーしようとか、そういうのはあんまりなくて。ただ、トータルで達郎さんが好きだった。陽水もトータルで好きなのだと思います。

単に歌をうまくするというよりトータルでプロデュースしたい。

──日本に戻られてからは?

小泉 帰ってきてから叔父のもとで一緒に働いてたんです。そうしたときに「シンガーソングライターはどうか?」っていう話もあったんですが、なぜか自分はメインになる人間だとはあんまり思ってなかったんですよ。フロント願望が全然ないんです。私の叔父もやはり昔グループサウンズの横でピアノを弾いて、曲を作る人だった。その血筋なのかわからないですけど、表に立って何かやりたいという願望はなく。だからもしかしたらプロデューサーっていう縁の下の力持ちというものには、フロントに立たなくてもそうやって素晴らしい音楽を作れるというところで、憧れがあったのかもしれないです。

──そこへ戻ったんですね。

小泉 シンガーソングライターは自分にはピンとこなかったので、それは「(やらなくて)いいです」と。じゃあ、いいですとなったらどうするかと言ったら、「そうだ、やっぱり曲書きだ」と。「俺はロスへ行って曲書きになろうと思ったんだ」と。たまたまアニメの歌が多かったので、例えばガンダムの主題歌とか、アニメの曲を作るときに声優さんが歌う仕事もあったんですね。そのためにはやはり仮歌をしっかり乗っけてあげないと、声優さんは歌うほうのプロではないので、なかなか歌いづらいと。まず、そこで仮歌をよく歌うようになった。さらに本番のレコーディングでコーラスを入れるとか、そういう仕事をやる中で「歌っていいな」ということを再認識した。そこからなんですが、作家として曲を出していたら、あるところでダブっちゃったんですね。

──ダブっちゃったとは?

小泉 ……曲が。作家事務所のほうに「引っ込めておいてくれ」と言っていた曲を引っ込めてなくて。私は引っ込めていると思っているから、同じ曲を別のところに出してた。結果、こっちで使われているものを、またこっちで出しちゃうという作家として最悪のことをやってしまって。そこで私は迷惑をかけたほうの制作会社のところへ平謝りに行ったんです。土下座覚悟で「本当に申し訳ない」と。そうしたらそこにいた社長から「1曲減っちゃったから、もう1曲書いて」と言われて。九死に一生を得たような状態で書いていたら気に入っていただいて、そのうち「君、歌うまいね。歌の子たちに歌を教えてあげてよ」って言われたんです。ヴォイストレーニングのレッスンをやりながら、その子の個性、ビジュアルに合ったものを取り入れて、それでデモテープを作ってほしいと。要するに「プロデュースをしてくれ」と言われたんです。それで私は「そうだ、高2の夏にプロデューサーになりたいと描いたことが、言わば自分の起こしたミスの元で、こんなものが手に入って」……と。そこでオーディションに受かったアーティストの卵たちたちを預かって、デモテープを作ってヴォイストレーニングを行なっていくことになりました。ヴォイストレーナーとしては、そういうスタートだったんですね。

──縁とは不思議なものですね。それは何年ぐらい前のお話ですか?

小泉 20年以上前ですね。だから今も私の原点は、単に歌をうまくするというより、その人をトータルでプロデュースしたいんです。その中の一部が歌である、そして声であるっていうことなんですね。

──ニューベリーサウンドを起こされたのは何年前でしょうか? 

小泉 会社を作って20年以上になります。

──そうやってアーティストの卵を教えてるうちに、自分でもっとやりたいと?

小泉 これが、そうではなかったんですよ。もはや世捨て人だったんです。あれだけ憧れて入った音楽の業界に疲れちゃって。身体も本当に調子悪くなるぐらい疲れ果てちゃったんですね。で、「もう音楽自体をやめよう」と思って。ただ、生きていかなきゃいけないから「何ができるんだろう?」と思ったときに、「よしやるぞ!」ではなかった。「そうだ、歌を教えようかな。ヴォイストレーニングをやろうかな」ということで、マンションの一室でやり始めて、ホームページに【ヴォイストレーニングやります。私はこうこう、こういうことをやります】と書いたら、不思議なぐらいに人が来てくださったんですね。今の渋谷と違って、当時は川崎の新丸子という、ある種、辺鄙と言ったら辺鄙な場所ですね。そんなところまでわざわざ人が来てくださったんですよ。そういうことをやってるうちに、「あれ、まだ俺やらなきゃいけないことがあるのかな。自分には使命みたいなものがあるのかな」と。おそらく自分は人よりは少し声が出やすくて、少し人よりは歌えるかもわかんないけど、フロントに立ちたくない人に、何で神様はこんな力をくれたのかなと思ったときに、「そうだ、使命だ」と。世のため人のため。やっぱり本気で歌がうまくなりたい、芝居がうまくなりたい人を教えるために、この力はあるのかなと思って、まあちょっと本気になったというところですね。

──何年ぐらいで渋谷に移転したのですか?

小泉 半分ぐらいじゃないですか。10年ぐらい新丸子でやって、10年ぐらい渋谷に来てるっていうことですよね。

──渋谷ではライブハウスも運営されていたとか。やはりこれは発表の場が欲しかったというのも?

小泉 そうなんです。せっかく一生懸命に頑張っている人たちに発表の場を作ってあげたい。だったら、やはり東京のど真ん中で勝負させてあげたいと思って、それで渋谷の駅のど真ん中と言うか、駅に近いところにライブハウスを作ったんですね。今はもう建物自体がなくなっちゃいましたが、10年間やってました。

──ニューベリーサウンドには、どういった層の生徒さんが多く通われてますか?

小泉 やっぱり、プロ歌手になりたいという方。そして声優さんになりたい人。俳優さん……っていう方々。あと実は、今言った人たち以外に最近多いのは、ビジネス。「ビジネスで使いたい」と。商談の時、自分の声が良くないせいで、いろいろミスが起きてるとか、もったいないことが起きてるっていう方が多いですね。

──それは、ビジネスマンの方が、そう思い込まれてるだけで、実際にはそんなに声が酷いわけではなかったりする場合もあるのでは?

小泉 いや、おっしゃるとおり、そんなに酷いことはなかったりするんです。でも、実はそれに気づかれてる時点で素晴らしくて。プロでない限りは、世の中の人みんな滑舌が良いわけでもないし、みんな声が良いわけじゃない。少なからず、やっぱり問題があるんです。だけど自覚がない。だから、むしろこちらに来られてる方というのは自覚があって、今おっしゃられたように、そうでもないんだけど、プロでない限りは常時良い声をキープすることができないですよね。だから結局ムラがあって、たまたまそのムラの部分が下のときが多かったりするっていうことだったりすると思うんですよ。でもみんな一緒なんです、そこは。

──なるほど。大雑把で良いのですが、どうやって声を改善していくのですか?

小泉 一番簡単な方法はゆっくり話すことなんですね。それはなかなか難しいんです。私自身も心掛けようと思って、なかなかできない。だけど、生徒さんは「ゆっくりって何?」っていうことにはならないんです。「わかった、ゆっくりだね」と。なぜ、ゆっくりが良いかと言うと、要するに、声が小さい、聞こえないと指摘するほうも「声がちっちゃいぞ!」となる。特に男だったら「男らしくない」とか「もっと大きい声で話せ!」っていうことになっちゃうんですけど、要は相手に聞こえればいいんですね。聞こえない原因は声が小さい、滑舌が悪いって決め込んじゃうんですけど、実はそうでもなかったりするんですよ。ゆっくり話せばだいたい解決です。ゆっくり話すって勇気がいるので、その時点でスイッチが入るんです。「この人に届ける」と。そこで声の質も上がるし、声量も上がるし、滑舌も丁寧になる。ゆっくり話そうとして、できればほぼ解決です。ところが、ゆっくりは難しいんですけどね(笑)。どうやったらできるかっていうことを、レッスンでは教えたりしています。

──ありがとうございました。歌のほうではどういう相談が多いですか? 

小泉 「どこが足りてないのかが自分ではわからない」という人たち。これ実はライブハウスでバリバリ活動していて、それなりに評価も高い人たちが意外と多いんです。こういった「何が足りないんだ。わからない」っていう風に来られる方がひとつ。あとは「一生音痴で終わるのが嫌だ」っていう人。2通りあります。ちなみに音痴というのはいろいろな原因で言われるんですが、むしろまず「音痴っていう言葉をなくすべきだ」と私は思っているんですね。なぜなら、「全員音痴」ですから……人間である限り全員音痴です。コンピューターでなければ外れちゃうんですね。で、音痴っていう人のひとつの特徴に、わりと耳がいい人が多いんです。

──絶対音感の人で音痴だって言う人が多いですよね。

小泉 それもいます。要するに敏感なんです。ちょっとズレたことに「あっ!」ってビビっちゃうから、さらに音がズレちゃう。また指摘する人も、音が外れたら、たいがい「下がってるよ。フラットしてるよ」って言うんです。それを聞いて「あ、下がってんだ」って上げる。それでどんどん上げてしまうけど、実はシャープだったりすることもあるんですよ。これは声が高い方に多いです。そうしてどんどん差が広がっていっちゃってパニックになる。だから意外に耳が良くて、ちょっとした誤差を感じちゃえる人っていうのがあったりします。普通の人というか、もうちょっと耳が悪い人は、その誤差をもっと図太く生きていけるんですけどね(笑)。

皆さんの夢に向かっての最短距離を取ります。

──小泉先生の指導における基本姿勢や方針を聞かせてください。

小泉 これは、生徒にもずっと言い続けていますが、私の中では「頭に浮かんだことは実現できる」ということ。せいぜい人間が頭に浮かぶぐらいのことですし、浮かぶってことは実現する未来があるからなんです。そこをヴォイストレーニングだけで片付けようとするのはもったいない話なんですね。例えば音程が外れている人に、「はい、それ下がってるよ、上げて!」、滑舌が悪い人に「滑舌を良くしよう!」……良くなったらいいですけど、でも、この人たち(生徒さん)が求めてるものは、そういうところのマイナーリペア=応急処置ではないんですね。もっと先にあるものに辿り着きたいんです。その人の頭に浮かんだもの、即ち夢であったり目標。だから私は「アウトプットから考えよう」と言います。「これ(歌手や声優)になりたいんでしょ? これになりたいんだったら、何が足りない? どうしたらいい?」と。そこで邪魔になるのが、今の自分の力。自分の力で「これできるかな? できないかな?」っていう風に人はやってしまうんですが、それやってるともったいない。たどり着かないです。もう「できるかできないか」……そんなことを言ってる場合ではない。ここ(夢や目標)です。さっきも言いましたけど、私はアーティストの卵という人たちを教えてたんです。6ヵ月後にデビューしなきゃいけない人に、こんなとこ(できる、できない)からスタートできないですよ。もう最初からこれ(目標)。

──アウトプット?

小泉 そう、アウトプットを作っちゃう。「これになりたいんでしょ? これになろうよ、この6ヵ月間に」って。だから今も私は最短距離を狙います。「皆さんの夢に向かっての最短距離を取ります。こっち(目標)から行きましょう」っていう風に指導しています。それは『ASAYAN』のオーディションをやったときに、やっぱり彼らは勝ちたいわけです。普段できないことも、やらないと落ちちゃうんで「できません」なんていうものは存在しないんですよ。それは彼らが偉いわけじゃなくて、その環境、その空間が偉いわけです。こうやったら人は伸びるって私はわかってるんですよ。「君ができるかできないか」。誰が決めるわけでもないですよ。逆に、できたらいいわけです。だから私は合宿オーディションとかやったときに、「これだったら人が育つな」ってやっぱり思うわけです。で、合宿からここ(スクール)へ戻ってくると、やっぱり“のほほ~ん”としてるんです、皆さん。自分ができるかな? できないかな?ってやってる。いや、それはそうなんだけど、それやってたらもったいないよって。だから私も最初から無茶振りのように、「これやろう」っていう風に決めちゃうんです。そのほうが圧倒的に早いし、そのほうが圧倒的に夢に近づきます。

──それはオンライン、オフライン関係ないですか?

小泉 関係ないですね。なぜなら私のトレーニングって、成果を出すために半分はヴォイストレーニングです。でも、もしかしたら半分以上はそういった「人間」の部分なんですよ。「人間」の部分を伝えるのに、別にオンラインであろうが、リアルであろうが関係ないと思います。欲しいのは、そこに対するお互いの熱ですよね。私は【生徒さん】だとあんまり思ってないんです。パートナーとの二人三脚なんです。やはりちゃんとキャッチボールできるようにしていかないと成果は生まれない。普通の仕事も全部そうですよね。これも大事な共同作業、共同の仕事ということなので。そういう意味ではオンラインであろうがリアルであろうが……逆に言えば熱がないとダメです。「何が何でもうまくなってやる」、「何が何でもうまくしてやる」っていう気持ちがないと、絶対そこには成果は出ないですね。

──ある程度、期限を切ったほうが成果が出たりする場合もある??

小泉 そうですね。例えば1年先の成果を、この1ヵ月でやっても、それは無茶なんですね。だから「この1ヵ月でどこまでできるようにしたいか」っていうことを明確にしてあげるのが、いわゆる指導者のやるべきことだと思うんですよ。でも習いに来ている人たちはすごく焦ってるから、1年後の成果を今欲しいんです。今欲しいし、講師側も今欲しいんだけれど、ただそこはさっき言ったことと逆のことを言うかわからないですが、無茶振りしてできちゃえばいいんだけど、できたらそれでOKではなくて、「何でできたか?」っていう裏付けまで取ろうと思うと、やっぱりそこにはある程度の時間がかかってしまいます。だから、そこはやっぱり「この時点までにこれぐらいのことができるようにしよう」、「この時点ではこう」という風に、ある種ステップアップをしていかないと、最短距離とさっき言いましたけど、なかなか最短距離にもならないんです。時間を切ることがやっぱり必要です。そういう意味ではンラインって適しているのかなと思います。

──生徒さんのレッスンと次のレッスンの間の過ごし方については、どう考えていますか?

小泉 もちろん、すごく大事です。やっぱり圧倒的にその時間のほうが多いので。ただ、そこで一生懸命やる人のほうがマイナスになることもあるんですよ。はい、練習しちゃうからです、悪い癖で。だから、実はレッスンの回数より、スパンなんですね。どれくらいの期間が空いているかっていうことなんです。これがあんまり長いと「おーい!」ってとんでもないとこに行っちゃうんですね。でも短いと「これぐらい」っていう風に、実は戻してこれる。だから私の場合は宿題というより、毎日やっていただきたいことっていうことを常に言います。「毎日、これだけはやってね」と。そして、その後に実験です。それでどうなったか? だから実験とかゲームとかクイズとかいうものを行なうと、うまくいかなかったとしても、これじゃダメなんだっていうことがわかるので、実はプラスになっているんですね。

──そういった経験を積み重ねてきたことで、こうすると伸びていくといったデータが溜まってきたんですね。

小泉 だから私の考え方は、例えばさっきも言いましたが、相手に聞こえにくいからといって「声がちっちゃいよ」ではなくて、結果的に声が大きくなれば、相手に伝わればいいっていうことなんですね。例えば音程外れている人に「この音だ、よく聞いて!」って真正面から言うのは、これ逆効果でしかないです。何で音程が外れるかっていう、大もとを直していくには、その人が思い込み過ぎにならないような宿題を出したほうが、実は成果が上がるんですね。

──やはり人間同士のコミュニケーションで進めていくものですからね。

小泉 お医者さんと一緒で、「この先生の言うことを聞いてると病気が治りそうだな」っていう信頼関係がないと。「これとこれとね。やっといてね」と同じことを言っても、この人の言葉は信用できるかどうか。でも、それはやはり急には無理なんです、信頼関係は。「この人の言う通りにやったら、本当にこうなったわ」っていう積み重ねで、「じゃあ、もっとこの人の言うことを信用しようかな。聞いてみようかな。やってみようかな」という信頼関係が生まれると思います。

──ありがとうございました。それでは、「こういう人が自分のレッスンには合ってると思う」ということなどを含めてメッセージをください。

小泉 「私は何が何でもプロになりたい」、「プロの歌手になりたい」、「プロの声優さんになりたい」、「プロの俳優になりたい」。そういった方は、ぜひ来てください。何をすればプロになるか。どれだけの力があればプロになれるか。私はそれを熟知しております。レッスンを通じて、「あ、これがこうなればいいんだ。これこうなればいいんだ」っていう風に、ゲームのようにやっていきますので、皆さんにプロとしての力を必ずつけてもらいます。頑張っていきましょう。


\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/


講師動画紹介

ご挨拶
リズム強化で表現力アップ
英語が発声しやすい理由
美顔・滑舌 表現力アップ作戦

Vocal Magazine Webでの講師記事紹介

【連載】ボイトレの???(ハテナ)にこたえる 声と歌の小泉クリニック

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