【インタビュー】昭和の珍曲(!?)が令和に再ブーム! プロレス界のレジェンド・藤波辰爾が『マッチョ・ドラゴン』を語る

2024.06.5

取材・文:榊郁乃 Photo:Jumpei Yamada

1985年11月にプロレスラーの藤波辰爾(※当時は辰巳表記)がリリースしたシングルレコード『マッチョ・ドラゴン』に再ブームが巻き起こっている。同曲はガイアナ系イギリス人のシンガーソングライター、エディ・グラントが1984年にリリースした『ボーイズ・イン・ザ・ストリート』に森雪之丞が日本語詞を付け、若草恵が編曲した楽曲で、藤波のイノセントな歌声や独特な振り付け、シュールな世界観が話題となり、コアなプロレスファンの間で人気を呼んだ。そんななか、2022年9月に放送されたNHKの音楽番組『1オクターブ上の音楽会』で藤波が同曲を37年ぶりにパフォーマンスし、SNSを中心に話題が再沸騰。CD化されていないためオリジナル盤レコードの価格高騰が続くなか、2023年11月3日にシングルレコードが再発売され、同日付のオリコンデイリーシングルランキングで4位を獲得する快挙を果たした。

昭和の珍曲(!?)が令和にバズっているなか、リットーミュージックが運営するTシャツ販売サイト『T-OD』にて、『マッチョ・ドラゴン』のジャケットで藤波が着用している衣装デザインのTシャツの受注販売が決定。これを記念してVocal Magazine Webでは、ボーカリストでもある彼に同曲の思い出を語ってもらった。

――そもそも藤波さんがレコードデビューしたきっかけは?

その頃はプロレス界のなかでもレコードデビューする選手がいて、同じ新日本プロレスにいた木村健悟や、今は亡き全日本プロレスのジャンボ鶴田選手がレコードを出してたんですよね。そういう流行りがあったなかで、僕に白羽の矢が立ったみたいです。

――長らくプロレスファンに愛されている『マッチョ・ドラゴン』ですが、『1オクターブ上の音楽会』で37年ぶりに披露されましたね。

結構歌えてたでしょ(笑)? あれ、がんばったんですよ。朝11時ぐらいにNHKに入って、終わったの夕方6時だったね。NHKのなかでも一番大きなスタジオで収録して、ダンサーもコーラスもバンドもすごく有名な方々だったんです。……申し訳なかったなぁ(笑)。

――素敵なパフォーマンスでした。緊張しましたか?

いやぁ、それは緊張しますよ。でもね、やっぱり当時を思い出すからだんだん乗ってくるんですよね。根っから歌うことや表現することは嫌いじゃないし、やっぱり『マッチョ・ドラゴン』で自分のイメージが変えられたっていうのを知ってるから。(出演者の)竹中直人さんは37年前を知ってるから、すごく目が潤んでましたよ。

――当時初めて『マッチョ・ドラゴン』を聴いて、歌ったときのことは覚えてますか?

覚えてます。もう緊張してねぇ、レコーディングもかなり時間がかかりましたね。僕自身はそれまで、カラオケに行ったら石原裕次郎さんとか低いキーの歌謡曲しか歌ったことがなかったから、『マッチョ・ドラゴン』みたいに高いキーや難しいテンポの曲に挑戦するのが初めてだったんです。与えられた曲にどう自分がついていくかに必死でね。だから個性のある感じになっちゃったのかな。まわりの方には大変な思いをさせたけど、自分では歌っていくうちにどんどん乗ってきましたね。

――もともと音楽はお好きだったんですか?

家のなかでたまに聴くくらいで、詳しいほうではないですね。ただ、地方巡業に出れば試合が終わったあとの打ち上げや宴会でね、主催者に連れて行かれて選手間同士で時々カラオケもしましたよ。『マッチョ・ドラゴン』はカラオケに入ってますからね、大変なことですよ(笑)。

――ちなみにカラオケで歌唱印税って入るんですか?

入ります、入ります。何年かにいっぺんかなぁ、すごい仰々しい封書で届くけど、金額は清涼飲料水1本分くらいかな(笑)。でもね、『1オクターブ上の音楽会』出演後は多かった。番組を観てカラオケでみなさん歌ってるってことでしょ。

――『マッチョ・ドラゴン 』をカラオケで歌うときのコツはありますか?

コツ!? みんなね、僕を真似しちゃうんですよ。“この歌を上手く歌おう”じゃなくて、僕に似せて歌おうとする人ばっかりだから(笑)。

――コツとしては、似せたほうがいいのか、それとも似せないで歌ったほうがいいでしょうか?

だって大体、歌って本家本元の見本がきちんとあって、それをみんな真似るでしょ。だからそういうことじゃ……あっ、じゃあいいのか。

――(笑)。『マッチョ・ドラゴン』はCD化されていないので当時のレコードが高騰し、再発盤もすぐに売り切れるくらいの人気ですが、これについて藤波さん自身はどう感じていますか?

やっぱり嬉しいですよね。こんなことになるとは、自分では夢にも思ってないし。バラエティ番組なんかで、いろんな芸人さんが『マッチョ・ドラゴン 』について触れてくれる機会が多くなったのも嬉しいですよ。

――再発盤はオリコンデイリーランキングで4位にランクインしましたが、それを知ったときはどんな気持ちでしたか?

その、オリコン自体があんまりよくわかってないから。

――藤波さんの師匠である故アントニオ猪木さんのテーマ曲『炎のファイター』のレコードも同日発売で、同じランキングの8位だったそうですね。

僕が猪木ボンバイエに勝っちゃったんですよ(笑)。猪木さんが生きてたら「バカヤロー!」ってビンタされたでしょうね(笑)。

――『マッチョ・ドラゴン』のジャケットで藤波さんが着ている衣装や試合で着用しているピンクのガウンは、PERSON’SやK-FACTORYなどで1980年代のファッションシーンを牽引した池田ノブオさんのデザインです。ピンクは藤波さんにとって象徴的な色ですね。

僕がレスラーのなかで初めてピンクを取り入れたんじゃないかな。デザイナーの池田ノブオさんには僕からは一切指定もせずに作ってもらって、出来上がったものがピンクのガウンやトレーナーだったんですよね。試合でピンクのガウンを初めて着たのは、忘れもしない東京体育館の猪木さんとのシングルマッチ(※1985年9月19日に東京体育館で行われたアントニオ猪木vs藤波辰巳60分1本勝負)。レフェリーがルー・テーズでね。僕がピンク着て出てきたもんだから、猪木さんも面食らっただろうな。お客さんもザワーッてしてましたよ。

――革新的な名シーンです。

リングに登場するときに、自分の個性を唯一出せるのがコスチュームなんだよね。僕は猪木さんとシングルマッチは数回しかやってないんだけど、久しぶりのメインイベントで大事な試合だったので「ここぞ」という気持ちでガウンを新調しました。それまでは猪木さんに近づきたいっていう気持ちで自分も黒を着てて、険しさが全面に出る色だったわけだけど、そこでリングの上にピンクという色を持ち込んで、まったく逆方向に自分を変えました。

――ガラリとイメージチェンジを遂げて、それから藤波さんといえばピンクのイメージが定着したんですね。

そうですね。いまだにそのガウンを着てリングに上がるとお客さんがあちこちでザワザワして、やっぱりその頃のイメージが残ってるんですよね。

――思い出のガウンは今も着ることがあるんですね。『マッチョ・ドラゴン』の衣装はもう残ってないですか?

そう、これ残ってないんだよね。多分、家のタンスのなかにしまい込んでるんじゃないかな?(笑)

――機会があればぜひ発掘していただきたいです! 今回、その『マッチョ・ドラゴン』の衣装デザインのTシャツを発売することになりました。フロントは当時のデザインを起こして、バックにはオリジナルのロゴを入れました。きっとファンのみなさんにも喜んでいただけると思います。

そうですね。このTシャツを着てるファンは大体『マッチョ・ドラゴン』世代の方だなってわかるよね。逆に若いファンには新鮮に見えるのかな。きっとピンクが一番人気だと思うけど、黒もいいね! 試合会場では黒や灰色のTシャツが人気なんですよ。白も明るくていいし、3色揃えてもいいんじゃないかな。

――藤波さんは現在も現役レスラーとして活躍していますが、今注目している選手や、闘ってみたい選手はいますか?

いっぱいいるんですけどね。どうしてもね、あのー……名前が覚えられない(笑)。若い選手とも同じようにリング上でスウィングできたらいいなと思ってますよ。

――70歳の今もなお、パワフルでい続けられる秘訣はなんですか?

『マッチョ・ドラゴン』です! 『マッチョ・ドラゴン』を常に自分のなかに思い浮かべれば、100年でも200年でもやれると思う。やっぱり自分のなかでいろんな元気になるものを取り入れるのが大事。僕は今、リングに上がるのがすごく楽しいんですよね。リングだからそりゃあ危険な場所でもあるんだけど、やっぱりこれまで50年やってきて、僕にとってリング上が一番元気になれるパワースポットだから。リングの上では元気を取り戻せるし、僕を変えてくれるからね。今日ちょっと足が痛いな、腰が痛いなと思ってもリングに上がったらシャキンとできるし、だからリングを降りられないんですよ。

『マッチョ・ドラゴンTシャツ』ピンク
『マッチョ・ドラゴンTシャツ』ホワイト
『マッチョ・ドラゴンTシャツ』ブラック

カラー:ピンク、ホワイト、ブラック

サイズ:S、M、L、XL、XXL

価格:5,500円(税込)

商品ページ:https://t-od.jp/products/machodragon-ts-001

※本商品は数量限定の予約販売で、予約期間は2024年6月30日(日)までとなっております。2024年7月末より順次発送予定です。

1953年12月28日生まれ、大分県国東市出身。1970年6月に新日本プロレスに入門し、1971年5月9日にデビュー。日本のみならずアメリカ、ヨーロッパ、メキシコなど世界で活躍し、1978年1月にWWWF(現WWE)ジュニア・ヘビー級王座を獲得。1981年末にヘビー級転向を宣言し、1982年8月にWWF(現WWE)インターナショナル・ヘビー級王座を獲得。2006年6月をもって新日本プロレスを退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。2008年1月に団体名を『ドラディション』へ変更。2015年3月にはアントニオ猪木に次ぐ日本人で2人目となるWWE殿堂入りを果たす。1985年11月にリリースしたレコード『マッチョ・ドラゴン』はコアなプロレスファンの間で話題を呼び、2023年11月に再発売された。

関連リンク

『マッチョ・ドラゴンTシャツ』 予約ページ https://t-od.jp/products/machodragon-ts-001

プロレスリング ・ドラディション オフィシャルサイト https://www.dradition.jp/

藤波辰爾 X https://x.com/dragondradition

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