取材・文:田代智衣里(Vocal Magazine Web)
関取 花が、7月6日(水)にメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースした。“ありのままの関取 花らしさ”をコンセプトに、ライブサポートでもお馴染みの谷口雄(k、etc)、ガリバー鈴木(b)、岡田梨沙(d、etc)が全編にわたり参加。自身がサウンドプロデュースを手掛け、関取 花の原点に立ち返った1枚となっている。
制作の様子はヴォーカル・マガジン・ウェブの連載コラム「うたってなんだっけ」でも綴られており、本人による「明大前」の声の使い分けも解説されているのでそちらもぜひ読んでほしい。今回のインタビューでは、多様な歌表現が詰まったアルバム収録曲を中心に、ヴォーカルレコーディングのテイク数を重ねないという彼女の真意に迫った。
※最後に素敵なプレゼントあり
無防備で、無自覚で、伝わるもの
──ヴォーカル・マガジン・ウェブでは連載コラム「うたってなんだっけ」を執筆いただいており、アルバム『また会いましたね』の制作の様子も綴られていました。待望のリリース、おめでとうございます!
関取 ありがとうございます!
──今回のアルバムは、昨年のワンマンライブでもお馴染みのメンバーと全曲一緒に制作したということですが、このスタイルにすることはいつ頃から考えていましたか?
関取 ちょうどアルバムについて考えるタイミングとツアーが終わるタイミングがクロスしたので、私が今やりたいのはこの人たちと作ることだなと思ったんです。
──オープニングの「季節のように」はアコースティックピアノから始まり、音の広がりに惹き込まれました。こちらを1曲目にすることはあらかじめ決めていたのでしょうか?
関取 曲順は最後に曲が出揃ってから決めたので、特に決めていなかったです。部屋で歌いながら自然とできた曲なので、“ありのままの関取 花”を一番わかりやすくお伝えできるのは弾き語りの一発録りかなと思って。なおかつ家で作っている感じと同じ音で作りたかったんです。家ではピアノでも作曲をするので、そこもナチュラルかなと。この曲を1曲目に置くと、他の曲もいい流れで聴こえるかなと思いましたね。
──息継ぎの音も、その場の空間まで聴こえてくるようでした。録り方にもこだわって制作したのですか?
関取 そうですね。今回はバンドメンバーやエンジニアさん、録音してくださった方に曲のコンセプトやイメージをお伝えしたうえで、こうやって録ったら面白いんじゃないかと提案していただいて録っていきました。今まで以上にエンジニアさんのアイデアと手腕が発揮されて、みんなが現場を楽しみながら自分事としてやってくれた結果だと思います。
──ピアノのペダルを踏む音まで入っているところも、エンジニアさんのアイデアが影響しているのでしょうか?
関取 はい。ピアノの音は、あえてドアを開けっぱなしにして、隣の部屋にマイクを置いて録りました。ヴォーカルマイクは目の前に立てるんですけど、実際の声の滲みは隣の部屋のマイクにも入るので、より空間が感じられて、でも一人ぼっちで歌っている感じも出たと思います。
広すぎる部屋じゃないイメージを伝えるために、ヴォーカルだけは少し近めにマイクを置いたり。そういう部分は本当にエンジニアさんたちのアイデアですね。
──使うマイクについても、エンジニアさんと相談しましたか?
関取 私はそんなにこだわりがないのでエンジニアさんにお任せなんですけど、今回はそこも含めてすごく相性が良かったと思います。こだわりはないんですけど、ハイが気になるとか、なぜかテンポが遅れて聴こえたりとか、歌いづらいマイクもやっぱりあります。
今回はほとんどエンジニアさんが曲や私の声に合わせてチョイスしてくださったマイクなんですけど、それが抜群に歌いやすかったんです。
──レコーディングのときに、歌い方や表現について考えることはありますか?
関取 基本的にはあんまり考えないんです。自分のやり方だけお話すると、練習して行かないんですよ。練習して行くと歌い方が固まっちゃって、どこか演じる感覚になってしまうんです。“家で録った弾き語りのデモの歌唱が結局いいよね”って言われることが多くて。それって無意識で、本当に頭で考えていなくて、ただただ歌っているだけなんです。
今回はそのナチュラルな感じと手探り感も私らしいかなと思ったので、特にこう歌おうとは決めませんでした。マイクチェックがてら一回歌ってみて、それをプレイバックで聴いて、“もうちょっと口を開けたほうがいいな”とか、“もうちょっと暗くてもいいな”とか、“ここの語尾は短いほうがいいな”とかチェックして、あとは感覚ですね。
──「風よ伝えて」では、歌声に母性や包容力を感じました。この曲も、感覚で歌っていたのでしょうか?
関取 そうですね。私は基本的に2テイクぐらいしか歌わないんですけど、1テイク目はしっかりした発音で歌ったパターン、2テイク目は本当に何も考えないで、マイクチェックで歌いました。その2パターンを聴き比べたときに、マイクチェックのときの空っぽ感があって気持ちが入り過ぎていないテイクのほうが、この曲はいいと思って。
母性と今おっしゃっていただいたものがあるのだとしたら、遠くから見守っていて、一歩距離を置いたところからの言葉のイメージです。近くないというか、会えるかもわからないし、見守ることしかできない気持ち。ある種、虚しさもあるし、諦めもあるし、でも希望もあって。その感じって、たぶん考えてできるものじゃなくて、むしろ自然発生的に歌ったものだと思うんです。バンドメンバーも聴いていて“こっちのほうがいいね”と言ってくれました。
──“考えてできることではない”ということでは、連載コラムで「歌のうまさにはご飯が美味しいの“美味い”もある」というお話もありました。その“美味さ”は、どんなふうに育まれるものだと思いますか?
関取 何も考えないのが一番なんじゃないですかね。誰かとか、自分の求める像とか、こういう歌い方とか、何かになろうとしない。あとは何を聴かせたいかを考えれば、そうなるのかなって。
自分の歌のギミック的な上手さを伝えたいと思った瞬間に、たぶんそれはできない気がしていて。もっと感情を込めて歌うとか、感情を伝えたいと思っても、それはまた違う巧さに、巧みさのほうになっていくと思うんです。
美味しいの“美味さ”って、一口食べたら“あっ美味しい!”みたいな、直感的なところで噛み締めるものだと思うんです。“これはここにスパイスが効いていて、こういう食感を作るためにこういう処理をしているのかな?”みたいなところじゃないというか。もっと無防備で、もっと無自覚で、何も考えていなくて、伝わるものだと思います。