【インタビュー】松下優也が挑んだ初の邦楽カバー作。ヴォーカリストとして俳優として培ってきた歌唱の魅力に迫る!

取材・文:藤井 徹(Vocal Magazine Web)

18歳でソロデビューし、X4でのグループ活動を経て、一昨年からYOUYA名義での活動をスタートした松下優也。
歌手だけでなく、俳優としても数多くのミュージカルや映画、ドラマなどでもマルチに活躍するアーティストだ。

幼い頃から洋楽のR&Bを好み、ダンスに磨きをかけてきた彼が、このたび松下優也の名義で邦楽カバーアルバム『うたふぇち 伝わりますか』をリリースした。
収められたのは、彼が生まれるずっと前の楽曲や、影響を受けたヴォーカリスト2人の名バラード、彼の死生観にさえ想いが及ぶようなシリアスなナンバーなど10の名曲たち。
山内 薫(b)、鎌田 清(d)、西 慎嗣(g)、友成好宏(k)という腕利きミュージシャンとともに作り上げた、素晴らしいバンドアレンジも聴きどころだ。

ヴォーカリストとしてのスキル、俳優としての解釈など、松下ならではのさまざまな視線で語られるカバー作の制作に迫ってみた。

自分にとっての武器はダンスだと思ってたから、当時はそこに特化していた

──松下さんの歌手としてのルーツはどこら辺にあるのか、というところから聞かせてください。

松下 小学6年生くらいから歌とダンスを習い始めて、そこでハマったR&Bやヒップホップ、ソウルといったカルチャーから一番影響を受けていますね。人前では邦楽曲を歌ったことはありましたけど、実際にずっと観たり聴いたりしていたのは、ほとんど洋楽のアーティストでしたね。

──具体的にはどういう方の名前が挙がりますか?

松下 歌って踊るということでの頂点はマイケル・ジャクソンでしたけど、ほかにも名前を挙げだしたらきりがないです。自分たちの時代の王道で言えばボーイズⅡメンとか、ブライアン・マックナイトからも影響を受けました。でも自分が歌ったりするのは、わりとネオソウルと言われているようなジャンルの人で、エリック・ベネイやディアンジェロ、ミュージック・ソウルチャイルドとかが好きで歌っていました。あとはラッパーですね。ヒップホップだと自分の世代的にもカニエ・ウェストがまさにドンピシャです。

──気になったらどんどん過去音源まで掘っていくタイプですか?

松下 そうですね。ダンスの先生もヴォーカルの講師にしても、みんなそういうジャンルに詳しい人たちばかりで、歴史と一緒に教えてくれました。「この人は、実はこの人に影響を受けていたんだよ」とか「さらにルーツをたどると、この人にたどり着くんだよ」という具合に。それで遡っていくことはありましたね。

──中学3年生のときに単身でニューヨークに行かれたそうですが、ものすごい行動力ですよね。現地においてエンターテインメントの面で一番刺激を受けたことは?

松下 そもそも初めての海外で、ニューヨークも一瞬いただけなんですけどね。影響を受けたもの……今でこそヒップホップやラップも普通に流行っているけれど、その頃に自分が好きだった音楽って、日本においてはまだまだマイノリティだったんですよ。知らない人にとっては「ラップってこういう感じでしょ? “Yo Yo!”」みたいな(苦笑)。10年以上前なんて、さらに“好きな人は好きだけど、世の中のほとんどの人たちがよく知らない音楽”みたいな。

だから自分は少数派だと思っていたんだけど、ニューヨークではショップの店員さんも普通にそういう音楽が好きで、お店で流れるラップに合わせて一緒に歌っていたりしている。ファッションで言っても、例えばスニーカーだったら、当時は(エア)ジョーダンみたいにヒップホップやバスケから入って来るものって、日本でも好きな人は好きだけど、世の中的には興味ない人のほうが多かったんですよね。でもアメリカの場合は、別にヒップホップっぽい感じじゃない人も普通に履いていたりする。それがいいなと思いましたし、居心地が良かったですね。“自分の好きなものが、これだけ受け入れられてるんだ!”みたいな。

──文化としてちゃんと生活に根付いているんでしょうね。2008年に18歳のとき「Foolish Foolish」でソロデビュー。以降2014年までの約6年間がソロ第一期になると思います。この時期を振り返るとヴォーカリスト像としては、どこを目指していた感じでしょうか? 

松下 外からどう見えていたかはわからないけど、もはや“自分じゃない”みたいです。それくらい、今の自分から見て振り返ると違い過ぎますね。本当に何もわからない状態でしたし、10代のときから360度を大人に囲まれてやっていたから……。たぶん当時も“自分がやってきたものはこれだし、やっていきたいものはこれだ!”って考えは持っていただろうけど、やっぱり“メジャーで活動する”っていうのは、そういうことだけじゃないですよね。レコード会社も含めて大人の意見もいろいろ入ってくるし。

でも、そんなこと理解してなかったし、“なんで自分のやりたいことができないんだ。なんで大人の言うことを聞かなきゃいけないんだ?”みたいな。常にそういう想いはあったけど、そもそも実力もまったく伴ってなかった。なんか“魂が抜けた自分”が葛藤していたのかなって(苦笑)。そう言うと当時から応援してくれた人に対して失礼かもしれないけれど、何もわからず、その日その日に起こることをとりあえずやっていく、みたいな感じでした。ただまあ、根拠のない自信だけは常にあったかもしれない(笑)。

──さまざまな面で闘っていたんでしょうね。

松下 そうですね。今でこそ多少は増えてきたけど、当時は歌って踊る男性のソロシンガーなんてほぼいなかったですから。思い当たるところで言うと三浦大知くんぐらいしか出てこない。急に芸能界っていうところにバンって来て、まったく自分を客観視できてなかったですね、当時は。

──そんな中で、ここを磨いていこうと思っていたスキルとは?

松下 自分にとっての武器はダンスだと思っていたから、当時はそこに特化していたところはあるかもしれない。ほかに今と違うところでは、わりと“感覚だけ”でやっていました。それがたぶん当時の自分が良くなかった要因、伸び悩んだ大きな原因のひとつですね。

──今思えば、自信の裏付けがなかったと?

松下 うん。若気の至りって感じですね。歌にしてもダンスにしても感覚ですべて押していた。極端に言うと“練習なんてやりたくない。本番だけでいいでしょ?”みたいなこともありましたし……。まあ、そういう時期だったんでしょうね。

──その後、X4のメンバーとしてグループ活動に軸足を移されました。ここで一番求めたものは?

松下 もともと自分でグループをやりたいと言い出したんじゃなくて、当時いた事務所の人に薦められたんです。ソロとしてそれなりに活動をさせてもらっていたけど、「さらに高みに行くために、グループっていうのも可能性としてどうだ?」と言われたので、「じゃあ、やってみるか」って。

──きっかけはそうであれ、約5年という実働期間を過ごし、リーダーという立場を経験されました。そこで得たものは、やはり大きかったのではないですか?

松下 めちゃくちゃ大きかったですし、結果としてはやって良かったなと思います。初めて同世代の仲間や後輩ができて、自分が表に出るだけじゃなく、先輩としての行動やグループとしてのあり方、人間関係も含めてパフォーマンス部分だけじゃない部分でも勉強になりましたね。

もともと“グループをやるなら絶対こうでありたい”と思い描いていた理想があったんです。正直それまでソロで成立していたのにグループを始めたから、単に自分が前に立って、ほかのメンバーもいるという見え方ではソロとなんら変わらないし意味がない。みんながメインという“アベンジャーズ感”が欲しかったから、メンバー4人の横一列でデビューしました。だけど現実的にはなかなか難しかったですね。実力もキャリアも目指す場所も人間が違えば全部違う。まあ理想に近づくことだけがすべてじゃないと思うから、途中でいろんな変化をしながら最終的にたどり着いた形はありましたけど。

──X4が活動休止した2020年から、YOUYA名義で再びソロ活動を開始し精力的に制作/ライブを行なっています。こちらは今、どういったビジョンを描いてますか?

松下 同じ人物が3回デビューするなんて、そうそうないことで変な話なんですけどね(笑)。もともと松下優也の第一期ソロ時代から振り付けやライブのダンサーをやってくれていたDAIKIって人がいて、彼はずっと前から「優也は本当はこういうことがやりたいはずなのに、今はできていない」と、自分のポテンシャルに可能性を感じてくれていたんです。彼が数年前からダンスイベントやライブ制作を行なう会社を興したこともあったので、自分が前の事務所を辞めるタイミングでいろいろ相談したんです。

そこで彼が「自分も音楽をやってみたい、作ってみたい」と言うので、レーベル(J.E.T.MUSIC)を作り自分がその第一弾アーティストとして始めたという経緯です。彼が思っていた「絶対こうやってたら、松下優也、良かったでしょ!」ということを実現している感じですね。もちろん、その中でもいろんな悩みはあるし、もっとこうしたほうが良いとかあるんだけど。

──悩みというと?

松下 レコード会社とか、いろんな人の意見が入ってくると、単純に自分たちが「カッコいいし、これがいいでしょ!」と思うことだけを実現できるわけじゃない。当たり前ですけどね。だけど最初はそれのほうがもはや良いというか……自分もこれだけのキャリアを積んできたうえで始めたので。単にシンガーというわけではなく、いろんな人の力を借りて、巻き込んで、“いちアーティスト”として表現したいことをやらせてもらっている感じです、YOUYAっていう存在は。

──デビュー曲「Ghost」で、冒頭にメッセージが語られるじゃないですか。それが、まさに今の心境を言い切ってますよね。

松下 まあ大変なところはありますよね。自分たちでイチからやってるんで、すごく時間がかかるし、いろんな問題も出てきたりもします。それでも“ここまではできる”っていうところをやらないといけないし、徐々にやれてきているのかなとは思いますね。

最新情報

ヴォーカルや機材、ライブに関する最新情報をほぼ毎日更新!