取材・文:藤井 徹 撮影:ヨシダホヅミ
Vocal Magazine Webでは、全国各地の優秀なヴォイストレーナーさんを講師に迎え、2022年より「歌スク」というオンラインレッスンのサービスを展開してきました。残念ながら「歌スク」のレッスンサービスは2024年3月で終了となりますが、これまで同様にVocal Magazine Web誌上で歌や発声のノウハウを教えていただける先生として、さまざまな形でご協力いただく予定です。
読者の皆さんの中にも「歌を習いたい」、「声を良くしたい」とスクールを探している方は多いと思います。その際に、ぜひ「歌スク」の先生の素晴らしさを知っていただきたいと思い、各先生のインタビューやプロフィールを掲載させていただきます。読むだけでも役に立ちますし、トレーナー選びの参考にもお役立てください。
今回登場いただくのは、声優・ナレーターからビジネスマンまで、話す仕事の人に向けて「滑舌」や「発声」を中心にトレーニングするプロフェッショナル、ムラーラミュージックオフィスの宮島知穂先生です。
講師プロフィール
宮島 知穂
ムラーラミュージックオフィス
声優、ナレーター、営業マンなど「声を仕事にする人」に向けたプロフェッショナルな指導に注目!
静岡県出身。4歳からピアノと歌を習い、名古屋芸術大学音楽学部音楽教育学科を卒業。地元の音楽教室でピアノ、ヴォーカルを担当後、結婚を機に上京する。新宿のスクールに3年間勤務したのちに独立し、2014年にムラーラミュージックオフィスを設立。声優やナレーター、営業マンなど、声を仕事とする人へのヴォイストレーニングを中心に、その志望者へ指導を行なっている。「ボイタリティ」=ボイス+メンタリティ+バイタリティを提唱しており「ボイタリティメソッド」を商標登録中。
ジャンル | J-POP、R&B、ジャズ、アニソン、ボカロ、歌謡曲、声優、ナレーション、話し方 |
好きなアーティスト | ホイットニー・ヒューストン、吉田美和、YOASOBI、玉置浩二、EGOIST |
趣味 | 作曲(DTMはちょこっと)、ナレーション原稿作り、モーションエフェクト動画づくり(最近やり始めました)、神社巡り(ほぼ人が行かないような場所) |
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講師からのメッセージ
寝ても覚めても仕事のことばかり考えています。私の生徒さんは、ナレーターさんや声優さん、その他クリエイティブなお仕事をされている方や、自己プロデュースが必要な方が多いので、その方たちにヒントになるようなことをよく考えています。声の世界にどっぷり浸かってしまいましょう!
ムラーラミュージックオフィス
■スクール名
ムラーラミュージックオフィス
■スタジオ
ムジカアシード志木校
埼玉県新座市北野3-8-35 2F
TEL:03-5980-7670
スピーチボイトレ駒込校
東京都豊島区駒込1-43-13 安藤ビル101
TEL:03-5980-7670
■講師
宮島知穂(ボイトレメンタルトレーナー™)/Lumi(プロフェッショナルシンガー)/Hayato(英語ボイストレーナー)
■ホームページ
https://www.muraramusic.com/
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/
講師インタビュー
一人だけ髪をピンクに染めてロリータファッションをして全然就活しない人だったんですよ。
──まずは、宮島先生の音楽的ルーツについて教えていただけますか?
宮島 私の母は、私がお腹にいるときからピアノ貯金を始めたという強者で、「男の子は生まれない。絶対女の子だ」っていう決めつけのまま私は女の子として出てきました。4歳からヤマハ音楽教室で音大に入るためのピアノと歌のレッスンをやっていたんですが、自分の中では「ああ、しんどいな。これ一生続けるのかな」と思うぐらい、ピアノは週に2回、あとは「音大生養成塾」みたいなところにも通っていたんです。ちょっと気持ち悪くなるくらい音楽漬けな感じではあって。それこそ「楽しい」からは程遠かったんですけど、「いずれ自分は音楽で御飯を食べていくのかな」みたいな心持ちは、その頃からちょっとできてきた感じですかね。
──特に好きな歌手はいましたか?
宮島 父がわりと歳のわりには若い人をこぞって聴く人で、Dreams Come TrueさんのCDが家になぜか1枚だけあって。それを聴いてたら、すごい魅了されて……ハスキーだし、英語も上手だし、何か独特な声じゃないですか。音楽性も素晴らしくて。私はけっこう曲から入るタイプなので、曲を聴いて「わぁ、こんな風に歌ってみたい」と。中学のときはカラオケに行って「ドリカムばっかり歌う」みたいなことをしていました。あと個人的に今も大好きなのは、ホイットニー・ヒューストンさんですね。
──ホイットニーも声楽の発声で歌ってらっしゃった感じですか?
宮島 もともと私は声楽の方らしからぬ発声というか、高くてキレイな声というよりも、低音が豊かな男声ボイスみたいなのを先生に勧められたんです。試験のときに「ワ〜〜〜」とか低音で歌ったら、「あれ、性別違う?」という感じになり、うたた寝していた教授みんなが起きるっていう現象が起きるぐらい、「あの子さ、面白いけど何なの?」みたいな(笑)。そこでいろいろ目を付けられて。「あの子はクラシックって言うにはちょっと惜しい。日本だと仕事にならないから、海外だといいんだけどね」とか言われながら、まあ留学とか別にせずに、「やっぱり私って歌は違うんだな」と思う中で、当時は高い声が本当に出なかったので、独自の発声法というか、どうやったら高い声が出るかなみたいなのを考えながら、今のクラシックっぽいけど、ちょっと違うみたいな発声が生み出されたっていう感じですかね。
──大学時代はバンドも組んでいたそうですが、どんな音楽を演奏していましたか?
宮島 キーボードを弾きながら歌ったりコーラスする感じでした。私よりも15歳ぐらい上の方たちとイーグルスの耳コピしてやってましたね。本当に趣味バンドなので、たまにみんなで集まって練習して、呼ばれたら町のお祭りとかで演奏するっていうレベルです。
──それは地元のお祭り?
宮島 はい。静岡のほうです。大学は名古屋だったんですが新幹線通学をしていたので、ずっと30歳まで静岡で腰を据えて暮らしてました。上京マジ遅い組なんです(笑)。
──音大を卒業されたあとは?
宮島 教員免許は普通に卒業するともらえるんですけれども、実際に採用されるかどうかは採用試験を受けなきゃいけなくて。私は学校の先生にめちゃくちゃなりたかったわけじゃなかったから、何となくで受けて当然のようにB判定で落ちました。そこからじゃあ何しようかっていうのも全然ノープランで。でもこれ、本当に自分の私の落ちネタになっちゃうんですけど、私は「みんなが同じスーツを着て同じ髪型して就活とかマジあり得ない」っていうタイプだったんで、一人だけ髪をピンクに染めてロリータファッションをして全然就活しない人だったんですよ。親も「本当にこの人は大丈夫なのかな?」みたいな。でも私は「特にやりたいこともないし、ローソンの店長が“引き続きバイトしていい”って言ってくれてるもん」みたいなことを言って、そのままローソンでバイトをする予定だったんですが、たまたま求人誌に某音楽教室のアルバイト講師の募集があって……今はすごくいい人ですよ、私(笑)。
──いや、誰も悪いなんて思ってませんよ(笑)。
宮島 当時は若気の至りですごいツンツンしてて。「まあバイトだったら、ちょっとやってもいいかな」みたいな感じだったんですよ(笑)。そこで電話掛けたら、新卒の年の3月だったので、「あなたおいくつですか?」って話になって。「いや、いくつです」、「何で今のこの段階で電話してきてるんですか?」って聞かれて、「バイトだからやってみたいと思った」って言ったら、「はあ」って……。そんなやり取りから一応面接受けさせていただいて、うまいこと言い訳を言われて正規の更新をさせられたんです(笑)。バイトで行こうと思ったのに「欠員が出たので、良かったら?」って言われて。そこで楽器店の正規講師になって、そこから私の音楽教室の先生ライフがスタートしました。で、3年間はピアノの先生をやっていました。3年やって子供の指導にちょっと限界を感じたので「会社辞めたいです」って言ったら「いやいや、ちょっと待て」と。「君、たしかピアノだけじゃなくて歌もできるよね」っていう話になって。そこでヴォイストレーナーに転換してからダダダッと自分の道が開けた感じですね。
──その楽器店のピアノの先生を3年やられて、そこから同じ教室でヴォーカルの先生をやられていたんですね?
宮島 そうです。「歌のレッスンのほうが楽しいんじゃないか」と。ピアノのときってそんなに生徒数が多くなかったんですね。ヴォイストレーニングもゼロからのスタートだったんで、「ひとり、ふたり入ればの世界ですよ」とは言われてたんですけど、気がついたら辞めるまでの4年間で生徒さんは最終的に65人ぐらいになったんですよ。そこで楽しくレッスンするようになってから、30歳で上京するタイミングの際に「上京するんだったら、やっぱりヴォイストレーナーはずっと続けたいな」と。初めの3年は別の新宿のスクールさんにお世話になっていたという経緯です。
──静岡でのヴォイストレーナーとしての4年間は、プロ志望の方も少ない感じの地域密着で?
宮島 そうです。もう近所の趣味で歌ってるおばあちゃまから、子供さんからみたいな。大学で勉強してたことを自分の中で取り入れつつ、私が自分の声にコンプレックスがあったじゃないですか。やっぱり高い声が出ないとか。だから初めはちょっと自信がなかったんですよ。自分はあんまり高い声が伸びないのに大丈夫なのかなとか思ってたんですけど、やっていくうちに、結局ローが出る人っていうのはハイも出るし、逆もしかり。ということで、低いときにより低い音を出すときのレッスンをやってあげたら、生徒さんの高い音がもっと伸びるんじゃないかっていうのをちょっと発見したんですね。それでクラシックの声楽のやり方だけじゃなくて、独自のいろいろ変わったレッスンをやるようになりました。例えば、日本語を英語に変換したデタラメ英語をヴォイストレーニングとか歌唱法とかでやったり、「全部母音で歌ってみましょう」みたいなことをちょっとやってみたり。何かそんなのがポコポコポコポコと出てきて。いろいろやっていた感じですね。
養成所とボイトレのスクールの合いの子みたいなスタイルに最終的になっていったって感じですね。
──発声メソッドで参考にした書籍や方法はありますか?
宮島 当時、ちょこちょこミックスヴォイスっていう言葉が出始めたくらいなのかな。やっぱりアーティストで言うと宇多田ヒカルさんがグイッと出てきた頃だったんで、「どういう風にしたら、ああいうウェットでエアリーな声になるのかな?」とか、そういうアーティストさんの歌を聴いて、自分の口内とか共鳴点をイメージしたりっていうのがひとつ。あとは大学のときに習っていた、畑 美枝子先生がイタリアに30年ぐらいいらっしゃったので、いわゆる日本式のレッスンではなかったんですね。「地声でいいから、もっと自分の声を使いましょう」っていう、「上からやかんの煙が……」っていうタイプじゃなかったので、その先生のメソッドも参考にしながら、自分の中で混ぜこぜしながら、一番自分が「ああああ〜」って声を出したときの喚声点がグラっとならないところを探すようなメソッドを、自分の中でできないかなというのをちょっと考えてた頃ですね。
──イタリアのカンツォーネなど、身体が鳴っている感じがありますよね。
宮島 確かにそうですね。もう全然、圧が違います。何か「頭のてっぺんから伸ばしましょう」っていうよりも、本当に大地を揺るがすじゃないですけど、響くところは全部使いましょう、みたいな。それは確かにちょっと日本的ではないと思うんですよ。今はだいぶ日本人の方も留学する先生が増えてるので、たぶん昔の音大の先生よりはだいぶ変わってきているとは思うんですけどね。
──そもそも、どうして上京しようと?
宮島 結婚前に主人が東京で、私が静岡の遠距離だったので、結婚をきっかけに出てきました。そこで、「どうせならヴォイストレーナーとして足固めしておこう」という感じで、東京に来る前に、東京の音楽教室の面接を受けました。その中で新宿の教室は声優さんの事務所が近かったんですよ。そこが今の私のルーツを作ったんです。そこは生徒さんがプロのシンガーさんか東京藝術大学の方っていう限定的なところで。私は名古屋芸大出身なんで、その方々から見たら正直「誰こいつ?」みたいな。今まで静岡で培ってきたレッスンに自信はあったんですけど。でもやっぱり「まだ声楽寄りだ」と。「うちは話し方がメインだから歌的な発声じゃなくて、話し方に特化したヴォイストレーニングやってください」みたいな感じになって。そこで「そうか、私のレッスンだとダメなのかな」と思って、ちょっと自信がなくなっちゃって。それもきっかけで3年で辞めるんですけど、そのやめるタイミングのときに「よし、話し方のボイトレで、ここより絶対に勝ってやろう」と思って(笑)。「絶対負けたくない」みたいな。
──言っちゃって大丈夫なんですか?
宮島 すいません、地が出ちゃいました(笑)。はい、大丈夫です。全然恨みとかないんですよ。そこがすごく良いレッスンをされてたので、よりもっと自分が良いレッスンで、マニアックにしたいって。よくそこの塾長に「あなた、もうちょっとロジカルなレッスンをしてください」って言われてたんですね。「ロジカルって何ですか?」なんて言って、「ロジカルの意味もわかんないのか」と思われたかもしれませんけど、わかってはいるものの、「より論理的ってどうだろう?」とか思いながら、どうしようと思ってたときに、「やっぱり声優さんに特化したスクールにしよう」と決めちゃったんですね。営業マンの話し方もそうだし、声優さん、ナレーターさんにとにかく特化していろいろやっていこうっていう風になって、今みたいにBGMの選定とか、ナレーションの原稿も全部自分で作ってるんですけど、そういう何でも屋さん、養成所とボイトレのスクールの合いの子みたいなスタイルに最終的になっていったって感じですね。
──その新宿のスクールは良い出会いでしたね。
宮島 もう本当に「出会い」でした。すごく良いレッスンをされていて、当時からYouTubeもされていたりして、ああすごいなって思ったりしていたんですね。私は私でもちろんイチからのスタートになったので、もう生徒さんゼロの状態で。まだ上京してきたときに、昔の静岡の時の生徒さんで、たまたま同時期に実は上京してきた方がいたんですね。二人ぐらいは「私が静岡から東京に出るから、私も出る」って言った方がいたんですよ。一人は静岡に帰っちゃったんですけど、もう一人はたぶん東京で活動しているのかな? 「やっぱり東京って広いな」とか思いながら、どういう風にやったら声優さんとかレッスンできるのかなという勉強はちょっとずつ、辞めたあとぐらいかな。2013年ぐらいからこつこつやってきた感じですね。
──ムラーラミュージックオフィスの創立はいつになるのですか?
宮島 2013年の4月ぐらいから屋号だけは取ってたんですけど、普通にスタジオを間借りしてやっていたんですね。ここ(埼玉県新座のスタジオ)ができたのが2014年で、あと駒込もちょっと移転とかして。一応2014年ということにしています。
──最初は宮島先生お一人で始めたんですか?
宮島 もちろん私一人でやっていて、まあ、でもウチはそんなに人数が多いわけではなくて、私がほとんど一人親方みたいな感じでやっているので、少しずつ他の先生たちに私のメソッドを継承しながら、みたいな感じです。でもちょっと特殊なやり方を取っていて、私の直接の生徒さんでなくても、困ったことがあったら先生に間に入っていただいて、私が生徒さんに受けた質問を、先生に返してターンしてもらっています。私の目が届くようにしているというか。そのほうが効率が上がったり成果が上がりやすいので。
──生徒さんは声優さんやナレーター志望の方が多いんでしょうか?
宮島 今は現役ナレーターさんとか、ナレーターさん予備軍という方が多くて、あとは声優さん、営業マンさん。その次は自分の趣味でYouTubeをこれから立ち上げたいっていう歌のうまい人だったり。あとは「歌ってみた」をやってる方……この方は事務所の紹介の方ですが。事務所からいきなり電話かかってきて「お願いします」というパターンもあったりしますね。あと最近はちょっとやってないんですけど、アイドルのレッスンというのも2018〜2019年くらいかな? スカパーの田村淳さんの番組で風俗嬢アイドルを育てるみたいな企画があって、その専任講師をやったりしました。
──普通のスクールとは、生徒さんのジャンルが違っていそうですね。
宮島 コロナになってから打撃が思ったより少なかったのは、おそらくウチは「趣味の人はあまり対象にしてませんよ」と初めからしつこく言ってるのもあって。やっぱりお仕事を取りたいから、仕事の一環として来てるみたいな方が多いので、ちょっとそこは救われたかなという感じはありますね。
ご自分の声を前より好きになったとか、そういうのが指針の第一歩なのかな。
──指導の基本姿勢を教えてください。
宮島 もうこれは「やるからにはやりましょう」っていう感じで、お金をいただくので、やっぱり生徒さんにもどんどん成果を上げていただきたいっていうのもありますし、ウチはスクールの規約であまり振り替えの自由が効かないようになってるんですね。直前にお休みした場合は「お休みです」というふうにしていたり。それも私がスポーツジムに行ったり、ダンス習おうとしたときに、やっぱり「いつでも行ける」と思ったところで行かなくなっちゃうんですね。「また明日でいいや、明後日でいいや」という風になってしまうので。私の経験を踏まえて言うと、振り替えを何度もやってしまう先生の生徒さんは、欠席率がボーンと跳ね上がっちゃうんですね。全然来ないんです。「また休み?」って。それで先生は腕を組んで待ちぼうけを食らってるわ、みたいな。それがすごく私の中で嫌なので、ほかより少し厳しめなのはそこだと思います。やっぱり「体調管理も仕事のうち」みたいなところがあるので。「ちょっと私、それでは無理だな」という方は、「いや、それもちゃんとやってください」みたいな。それはちょっと厳しいイメージになっちゃうのかなと思ったりします。でも、それが指針です。
──では、レッスン自体で一番大切にしてることっていう。
宮島 まず「余計な話をしない。生徒さんのプライベートを聞かない。そして実のある話をする。実にならない話はしない」っていうことですね。対価をいただいている時間ですから。あともうひとつは、生徒さんが「今日これ、めっちゃめっけもんや」、「ああ、いいことを聞いた」みたいなやつを最低1個。1個じゃ少ない。まあ3つぐらい欲しいかなっていう風に頭フル回転でレッスンしています。
──『歌スク』のレッスンでは、どんな内容を予定していますか?
宮島 紹介動画でも言ったんですけど、最近宅録がすごく主流になってきているんですね。要はスタジオを構えてるエンジニアさんにとっても、宅録のほうがまず感染リスクがないっていうところもあって、例えばナレーターさんだったら自分で自分の音をエンジニアリングをして、完パケで送る。それが無理だったら録るだけでもいい。そんなスタイルにどんどん変わってきています。私は今そこに注目していて、何が私のレッスンで良いかと言うと、例えば宅録の方だとヘッドホンしてマイク前で話す。もうこれ、レコーディングとまんま同じなんですね。なので、例えばレッスンの最中に、生徒さんによっては「だんぼっち」みたいな簡易な防音室に入って、「今ちょっと録ってみていいですか?」っていうのはアリなんですよ。レッスンをやりながら録っていただいたりとか。原稿読みだったりとか、もしじゃあ「原稿とか私はそういうの専門じゃない」っていう方であれば、滑舌のどうしてもダメなところを何回も反復練習して私が聴いてレスポンスして、みたいな。それを繰り返していくようなレッスンだったり、やりようはいくらでもあります。歌ってみたくなっちゃったら、別に歌っていただいても全然大丈夫なんで。
──声優さん、ナレーターさんを目指す方には、心強いですよね。
宮島 はい。すごくいいと思います。楽しくできると思うんで。
──楽しくて厳しいんですよね(笑)?
宮島 そう、厳しいは厳しい(笑)。例えば地方にいるとね。なかなか都心の雰囲気とか、「声優さんってどういう勉強するんだろう?」って、情報が下りてこなくて困っている子もいると思うんですけど、「具体的にはこういうことやると思いますよ」ってアドバイスができたりする部分もあるので、地方の方にも何か寄り添えるかなっていう感じはありますね。
──では、読者の方へメッセージをお願いします。
宮島 『歌スク』には、すごく良い先生がたくさんいると思うんですね。ただ、ひとつだけ私から「こうしたほうがいいんじゃないかな」って言えるとしたら、同時進行で何人かの先生に習うってすごいアリだと思うので、できれば「この先生に習いたい」と思ったら、1回受けて、2回目受けて、そこからしばらく継続したほうがいいと思うんですよね。もちろんA先生B先生で2ヵ所とか3ヵ所とかしてもいいと思うんですけど、取っ換え引っ換えにランダムで受けるっていうのは効果的ではないし、あまりお薦めできないかなと感じます。あとは、オンラインだと自分の前髪を気にしちゃったりとか、鏡みたいに見てる方とかいるんですけど(笑)、やっぱり「目の前に人がいる」っていう風にだんだんイメージが湧いてくると思うので、「目の前にこの先生がいる、先生の目の前に私がいる」っていうようなイメージでできるといいんじゃないかなと思います。
──先生のレッスンの成果は、どういう形で見せていくスタイルでしょうか?
宮島 例えばフリーでやってる方だったら、自己PRの仕方も含めてお伝えすることはできると思うので、SNSの発信の仕方とか、あとはご自身でYouTubeチャンネルを持って、自分でいろいろ吹き込んでみたりとか、「そういったことをやってみたらどう?」みたいなアドバイスもできるかなって。そうしてご自分でやっていくと、「何か私の声ってけっこう受け入れられてるかも」みたいに、世の中の認知度的にって、別に万人に受ける必要はまったくないと思うんで、やっていくうちに「自分の声のここが好き」みたいなこだわりが出てくると思うんですよ。そこを持てるかどうかっていうのが一番大事なところなので、ご自分の声を前より好きになったとか、そういうのが指針の第一歩なのかなっていうふうには思いますね。
──営業マンの方は、どんなことを教えてほしいと来るのですか?
宮島 原稿を読むとかはないんですけれども、でも発声をしてみて、姿勢があまりにも良くない方は姿勢を正すレッスンをしたり。営業で電話をするっていう方であれば、実際にデモンストレーション的なものをちょっとやっていただいたりします。でも、デモンストレーションって、やっぱりデモンストレーションなので。ここで何となくコピペしたような文章で言えたとしても、対面で人と話すのってちょっと難しいじゃないですか。オンラインの対面も含めて。その場合はフリー原稿みたいなので、例えば「花・月・牛乳という単語を使って文章を作ってください」みたいなレッスンもやったりしています。その時に「え〜……、あ〜……」となっちゃう方がいらっしゃるので。やっぱり一番はフリートークがうまくいくこと。営業マンの方っていうのは、自分が一番営業したいことは腹の底に取っておいて、まず初めに「天気がいいですね。アイスクリーム食べたいですね」みたいなところからの会話がうまい人っていうのは、絶対点数は取れる方なので。そういうコツみたいなのをちょっとお伝えできるかなと思います。
\「先生に習いたい!」とご興味を持った方へ/